夏至がやってくると、それがちょうど梅雨の季節の真ん中にあたることに、改めて気づきます。太陽が黄道上もっとも高い夏至点を通過する厳かな日でありながら、夏至の日の太陽の多くは雲に隠れているのです。
夏至の日はうすく曇りて連山をつつめる雲のゆれのぼりゆく
(津田治子『津田治子歌集』)
明治45年に佐賀県呼子町に生まれた津田治子は、18歳でハンセン病の宣告を受け、23歳で熊本の病院に入院し、この地でキリスト教と短歌に出会いました。
治子は29歳のとき生涯の住みかとなる「九州療養所」へ転所します。ここは東に阿蘇連山を望み、西に金剛山を望む場所ではありますが、住まいとしては寒暖の差の激しい、厳しい環境だったそうです。ハンセン病患者に対する差別が公然と行われていた時代のことです。
冒頭の歌に詠まれた「連山」は、療養所から東に見える阿蘇連山で、立ち昇る雲は山々を包む朝霧と一体になって、揺らいでいたのでしょう。それは雄大な景色だっただろうと思います。大広間に十人の患者が同居し、わずかな賃金で作業を課せられる、決して恵まれているとは言えない日常の、夏至の日の一瞬を切り取った一首です。
しかし、この歌には悲壮感はなく、むしろ与えられた運命をそのままに受け入れようとする、潔ささえ感じます。
治子の自らの運命を引き受け、気高く生きようとする姿は、次の代表歌にも表れています。
現身(うつしみ)にヨブの終りの倖(しあわせ)はあらずともよししぬびてゆかな
苦しみのきはまるときにしあはせのきはまるらしもかたじけなけれ
夏至の日は、苦しみの極まる日でも、幸せの極まる日でもなく、療養所での生活をたくましく生きる平凡な一日です。それでも、揺れ昇ってゆく雲が、作者のかすかな心の昂ぶりを表しているように感じます。