前に少し書いたことがありますが、このブログを始めたきっかけが、仕事上の人間関係でストレスをため込んでいた時に、自分自身を励まして、ひいては人を励ますことができる文章を書こうと決めたことでした。
それ以外のことを書くことは極力避けていたつもりなのですが、最近ついつい泣き言が多くなってしまったように思います。私自身、永田和宏や川本三郎の文章に力づけられたのは事実なのですが、読んでくださる方にご心配をおかけしてしまい、反省しています。
今年の投稿もおそらく今回が最後ですので、今年文章を書いていて良かったことを記そうと思います。
私はクライアントにお送りする毎月の通信の末尾に、当ブログを若干アレンジした身辺雑記を載せています。そのなかで、志村ふくみが「六十の手習い」について述べている文章を引用しました。
当ブログにも載せた、こんな文章です。
六十の手習いというのは、六十歳になって新しいことを始めるという意味ではなく、今まで一生続けてきたものを、改めて最初から出直すことだと思う。(中略)
今まで夢中で山道を登ってきたつもりが、よく見ればいかほどの峠にさしかかったわけでもない。もう一度山の麓に立って登り直す方がずっと魅力的だと思うわけは、要するにもう一度あの、わくわくした新鮮な驚きをもって仕事をしたいのである。(『語りかける花』)
読書の一人が連絡をくださり、「あの一文に救われた」と仰っていただきました。
同年輩の親しい人が亡くなったり、病気になったりして、仕事に向かう元気がなくなっていたところに、「もう一度、あのわくわくした新鮮な驚き」をもって仕事をしようと決意をした人がいることで、勇気をもらったと言われました。
頂いた言葉を、素直に受け取ったのですが、私自身、志村ふくみの決意をきちんと我がものとしていないことを、内心痛感しました。いや、むしろ読んでいて気圧されるような感覚をもっていたというのが正直なところです。
お子さん二人を抱えて、火の燃え盛る荒野に飛び込むような日々だったと、志村ふくみ自身が語っていて、そのうえでもう一度自らを鍛え上げようとする迫力には、到底及ばないと思うのです。
私は、これからしばらく仕事を続けて行くつもりですが、「六十の手習い」はまだまだ私にとっての宿題です。
それでも、あえてはっきりと「もう一度」と言えるものがあるとすれば、妻との生活です。「私の老後」は「妻との生活」と同義のものではなかったかと、つくづく考えます。未熟な者には未熟ななりの無邪気な関係があったのかもしれませんが、思い起こせば、余りにも私の配慮が欠けていたように思うのです。
僕の老後は君との生活のことだ、と妻には言いました。そのつもりで精一杯生きるつもりだから、ついてきておくれと。
これは自分自身の老後に向けての、宣言でもあります。