歌人の桑原正紀さんは立教高校の教師であり、野球部の顧問を務めていました。このときの教え子に長嶋一茂などもいます。若者に囲まれた職場にいた桑原さんは、ある日から人生の終末に臨むひとの世界に入ってゆくことになります。
別の高校の校長をしていた妻房子さんが脳動脈瘤破裂で倒れたのです。奇跡的に一命をとりとめ意識は回復しましたが、脳内の大出血は運動・記憶・認知能力に障害を残しました。桑原さんは高校の仕事を終えると、ただちに病院へ向かい、夕食前のリハビリに付きそう生活が続きます。
2007年刊の桑原さんの歌集『妻へ。千年待たむ』には、次の歌が収められています。
車椅子日和といふもあるを知り妻のせて押す秋晴れの午後
介護生活3年目の秋晴れの午後、おだやかな陽に照らされて車椅子はゆっくりと進みます。仲睦まじい夫婦の一瞬を詠んだ歌を、歌人の永田和宏さんは次のように評しています。
「車椅子日和」というのは、なるほど病人を抱えた家族にしか思いつかない言葉でしょうが、そんなのどかな言葉にでもすがらなければ、その苦しさは乗り越えられないものかもしれません。(『人生の節目に読んでほしい短歌』NHK出版新書)
加齢による老老介護ではなく、突然の病魔による介護には、諦めきれない不遇感が付きまといます。桑原さんの場合も例外ではなかったでしょう。しかし、わたしたちが救われるのは、桑原さんの次のような歌に触れるときです。
車椅子日和とおもふ昼過ぎをそはそはとして早退(はやび)け図る
(『短歌研究』08年2月号)
「そはそはとして」妻のもとに向かう夫の姿からは、辛いだけの介護を歯を食いしばって引き受けるのではなく、これから長く続く介護生活で、ともにある一瞬一瞬を愉悦として受け容れようという、静かな覚悟を感じることができます。
次の歌は、そうした夫の覚悟を受け容れる妻の様子を写し出しています。
「一人で歩けるようになればいいね」と言いたれば「このままでいいの」と妻は言いたり
(『天意』2010年)
介護を受ける日々を辛いものとしてではなく「このままでいい」と受け容れる妻の姿は、どれほど桑原さんを勇気づけたことでしょう。はたから見れば哀しい諦めの言葉も、運命を受け容れ支えてくれる人との共闘の誓いになりうるのだと、この歌は教えてくれます。