犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

変わるための正月

2018-01-01 01:00:43 | 日記

玄侑宗久さんによると「正月」とは、もともと修正する月という意味あいで、そう呼ばれたのだそうです。
絶えず変わりつつ変わらない人生は、変わらないことによって歪みを溜め込むことになります。昔のひとはその歪みを修正するタイミングを、年のはじめとしました。年のはじめの心構えは、したがって、去年までのつつがない反復を確認するのではなく、今まで積み重なった悪弊を、思い切って振り払おうという意気込みであるはずです。

生命の38億年の歴史は、福岡伸一さんによれば、エントロピー増大の法則と対峙するものでした。老廃物の蓄積、加齢による酸化、タンパク質の変性、遺伝子の変異といったかたちで襲いかかるエントロピーの増大は、放っておくと生命の死をもたらします。
生命は秩序の崩壊を食い止めるために、頑丈な鎧で身を包むという方法をとらず、むしろ逆の方法を選択しました。自らを絶えず分解し、更新して、エントロピー増大のスピードを追い越して再生するという、捨て身の逆転技を選びとったのです。これが、福岡さんのいう「動的平衡」のダイナミズムです。

動きつつ、釣り合いをとるという生命の知恵は、年のはじめの節目にこれまで溜まった歪みを修正しようという心構えにも反映されているように思います。
しかし、歪みを修正するということが、具体的にどのようなものかというと、これもまた難しい問題です。そもそも、歪みが何かを正しく把握できないからこそ、あとから振り返ってほぞを噛むような失敗をしでかすのです。

カーナビを例にとって考えてみましょう。
まず目的地を設定し、望ましいルートを選択肢の中から選び、ナビをスタートさせます。ところが道半ばで、どうしても途中の渋滞状況やゴール地点のことが気にかかって、ナビの進行方向に画面を進めてみたり、目的地周辺の状況を確認したくなります。
そうすることで、いろいろな情報は入ってきますが、一番大切な目的地に向かうという行為そのものが、おろそかになりがちです。今走っている周りの状況を瞬時に正しく認識できなくなることも起きることでしょう。福岡さんの言い方を借りれば、溜め込んだ情報のごみが整理できず、身動きが取れなくなっている状態です。
そういう時にはカーナビの「現在位置」ボタンを押せば、「今」に意識を取り戻すことができます。今走っている道路状況に注意を集中させて、前後を行く車の速度や横断歩道を渡る人の表情も視野に入ってきます。ひょっとすると「目的地」を設定しなおす余裕すら生まれるかもしれません。

進行方向や目的地周辺のいろいろな情報を画面に表示させるのはやめて、「現在位置」ボタンを押すこと、さしあたって常に変化する「現在位置」に意識を集中すること、これも年のはじめの修正のあり方でしょう。
修正することをいとわぬ、新しい心のもとに「正月」はやってきます。


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