岩手県大槌町の庭師 佐々木格さんは、震災後、自宅の庭に「メモリアルガーデン」を造り「風の電話ボックス」を置きました。
10メートル四方ほどの「ガーデン」には、祈りの像と海岸に向けて腰掛けられるベンチ、そして白い電話ボックスがあり、中にはダイヤル式の黒電話が置かれています。
電話線のつながっていない電話の横には、佐々木さんによって次のようなメッセージが添えられています。
「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」
せめて一言、最後に話をしたかった人がたくさんいるはずだ、そう考えて、佐々木さんは「風の電話」を実現させたといいます。
突然の別れを強いられたかけがえのない人に向けて、ふりしぼるように言葉を紡いだ人が数えきれないほどいることでしょう。
哲学者の鷲田清一さんは「語りなおし」という言葉を使って、震災に遭った人たちが、みずからの心を立て直す過程を表現しています。語りなおしの過程を、鷲田さんは著書 『語りきれないこと』 (角川oneテーマ21 2012)のなかで、青虫が蝶に変態するプロセスに例えて説明します。
青虫はサナギという移行期の形態において、枯れ葉の頑丈なよろいを身につけます。その中で青虫としての身体組織をいったん溶解させて、じぶんの存在をどろどろの不定形のものにします。それを蝶の形に再編成していき、羽や触手や髭や脚など、じりじりと新しい蝶の形へと固まっていったら外のよろいを取って、蝶として自立するわけです。
語りなおしによって、新しい物語を紡ぎ出す過程は、いったん自らを溶融させるという大仕事を伴うプロセスです。
そして鷲田さんは、この語りなおしを「聴く人」の必要性について語ります。介添え役としてサナギが蝶になるまでじっと聴いてあげる人の大切さです。
「風の電話」の話題を聞いたときに、まっさきに思い浮かべたのが、電話ボックスの中で祈るように言葉を紡ぎながら、あたかもサナギの中でみずからを立て直そうとしている人たちの姿でした。
「風の電話」がサナギとしての役割を果たしているとするならば、黒電話の先できっと声を聴いているはずの「大事なひと」の存在があるからだと思います。