今日は横浜、朝から気持ちよく曇っています
クリスマスの余韻を
イエス キリストが長じて
人心を掴み発言力を持ち 時の王が危機感を募る
この人の心を掴むまでにどれほどの時間がかかったのだろう?
釈迦・・・・ブッタ は産まれてすぐに七歩歩き
右手で天を指し左手で地を指して
天上天下唯我独尊
てんじょうてんがゆいがどくそん
と、言ったそうだ
ブッタは生まれながらにして
高貴な方
だから産まれてすぐに人心の耳目を集めた・・・・?
そして、家を出て
確か結婚して子供もいたと思った・・・・・
それなのに家を捨て
出家した
今で言えば
蒸発してしまったお父さん
その後何歳で亡くなったんだろう?
あの仏像を見ると
相当長命だったのではないだろうか?
といっても
日本でもちょっと前までは
人生僅か 五十年
といわれていたというから
・・・・・・・僕はもうとうに越えている・・・・
それは、病気になったり、戦争に行ったりして短命だったのだと思う
当然
無病息災で
100歳近くまで元気な方もいらしたんだと思う
このブッタが宗教活動したのは
50年近かったのかな??
と、勝手に推測
一方
イエスキリストは
羊飼いには
救世主が生まれる
神の子がこの世につかわされた
と言っても
10歳やそこらで人心を掴んだのだろうか?
聖書を熟読していないので
何歳くらいで頭角を現し
周りの人に・・・・
ごく狭い町内の人に影響を与えだしたとしても
小学生くらいがいいところ??
あの子神童だよ
ってな具合に・・・・
それが中学生くらいになって
テレビにでも出れば全国区だが
そんな物の無い時代
国中を歩き回らなければならない
そうなると体力的に考えても
二十歳前後????から始動
それから僅か10年で
何が出来るのだろう
31歳の時
イエスキリスト
は体制を批判した
として
ローマ帝国の反逆者
と言うレッテルの元 十字架に張り付けになり処刑された
十字架を自ら背負い
ゴルゴダノ丘を何度も転びながら登った・・・・
どれほどの丘なのだろう
山ではないにしろ
かなりの坂道だったに違いない
処刑される場所が
市街地に近いとは考えにくいから・・・・・
普通、十字架に張り付けられるのは極悪人
ローマ人はいくら極悪人でも十字架には張り付けられなかった
それくらいむごい処刑なのだ
考えてみればそのむごさが分かる
張り付けられ掌(てのひら)と足首に
釘で打ち抜かれ固定され十字架に張り付けられ
高々と吊るされる
即死ではない
ジワジワ・・・・・
死に至るまで何日かかるのだ・・・・?
中世 断頭政治とばれた時代があった
首をスパッと落とせば
処刑される人に苦痛がないから人道的だ
と、採用されていたという
でも、首を落とされてどれくらい意識があるのか知りたかった
誰だかが・・・・・
相変わらずいい加減だな~
処刑される人に意識あるかぎり目をパチパチ瞬きを頼んだそうだ
そしたら・・・・・結構・・・・・
またまたいい加減だな
結構長い時間目をパチパチして
これはかなりの時間 苦痛が伴うようで残酷だからやめよう
と言う話になった
のだと思った・・・・
処刑される人にも人権が与えられている
そこに行くと
十字架の処刑は
何日にも及ぶ
ところが、安息日までに処刑を完了させたい政府は
次の日・・?
両脇腹に剣を刺して絶命に至らしめたという
長く辛い処刑は1日で済んだ
世の中には
鳥葬と言うのもあると聞く
岩の上に死体をおき
鳥がすべてを食べつくすのを待つという
これに似た状況があったに違いない
むごい処刑なのだ
鳥葬はむごいのではなく
単に風習だ
念のため
弟子達が亡骸を十字架から下ろし
埋葬した
吉田松陰が時の幕府に処刑された時に
身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂
と辞世の句を読んで切腹したのち
松下村塾の教え子が
亡骸を引き取りに来た
これと同じように
弟子達が引き取り
埋葬した
そして、七日目に復活した
七日目に復活したのはなにか????
僕が思うに
マタイ マルコ ルカ ヨハネ
これは新約聖書の順番・・・・
とにかく 弟子が心の面で立ち直り
これからお師匠さんの言った事を広めていこう
と、弟子の心の中で復活したのに違いない
これが七日めでよかった
これが十日でも
三日でも困った世の中になっていた・・・・・はずだ
だって、一週間が 十日じゃ長いし
三日じゃ短いし
この七日目の復活が一週間になり
一週間の始まりの日には
教会に行く為に休日になった
決して、江ノ島に遊びに行くための休みではないのだが・・・・・
かくして、世界に広まった
数々のイエスキリストの残した物に
日本人である我々もかなりの影響を受けている
そういえば・・・・・
え関東学院の海老坪先生が
お店で
出血サービス
などと銘打ってセールをしているが
本当の出血サービスをしたのは
イエスキリストだけだ
イエスキリストは
人類の為に自らの血を流したのだ
と、聖書の時間に言っていたな
おっと、この時期に・・・・年賀状の印刷の注文が来た♪
急いでやらなければ
クリスマスの余韻を
イエス キリストが長じて
人心を掴み発言力を持ち 時の王が危機感を募る
この人の心を掴むまでにどれほどの時間がかかったのだろう?
釈迦・・・・ブッタ は産まれてすぐに七歩歩き
右手で天を指し左手で地を指して
天上天下唯我独尊
てんじょうてんがゆいがどくそん
と、言ったそうだ
ブッタは生まれながらにして
高貴な方
だから産まれてすぐに人心の耳目を集めた・・・・?
そして、家を出て
確か結婚して子供もいたと思った・・・・・
それなのに家を捨て
出家した
今で言えば
蒸発してしまったお父さん
その後何歳で亡くなったんだろう?
あの仏像を見ると
相当長命だったのではないだろうか?
といっても
日本でもちょっと前までは
人生僅か 五十年
といわれていたというから
・・・・・・・僕はもうとうに越えている・・・・
それは、病気になったり、戦争に行ったりして短命だったのだと思う
当然
無病息災で
100歳近くまで元気な方もいらしたんだと思う
このブッタが宗教活動したのは
50年近かったのかな??
と、勝手に推測
一方
イエスキリストは
羊飼いには
救世主が生まれる
神の子がこの世につかわされた
と言っても
10歳やそこらで人心を掴んだのだろうか?
聖書を熟読していないので
何歳くらいで頭角を現し
周りの人に・・・・
ごく狭い町内の人に影響を与えだしたとしても
小学生くらいがいいところ??
あの子神童だよ
ってな具合に・・・・
それが中学生くらいになって
テレビにでも出れば全国区だが
そんな物の無い時代
国中を歩き回らなければならない
そうなると体力的に考えても
二十歳前後????から始動
それから僅か10年で
何が出来るのだろう
31歳の時
イエスキリスト
は体制を批判した
として
ローマ帝国の反逆者
と言うレッテルの元 十字架に張り付けになり処刑された
十字架を自ら背負い
ゴルゴダノ丘を何度も転びながら登った・・・・
どれほどの丘なのだろう
山ではないにしろ
かなりの坂道だったに違いない
処刑される場所が
市街地に近いとは考えにくいから・・・・・
普通、十字架に張り付けられるのは極悪人
ローマ人はいくら極悪人でも十字架には張り付けられなかった
それくらいむごい処刑なのだ
考えてみればそのむごさが分かる
張り付けられ掌(てのひら)と足首に
釘で打ち抜かれ固定され十字架に張り付けられ
高々と吊るされる
即死ではない
ジワジワ・・・・・
死に至るまで何日かかるのだ・・・・?
中世 断頭政治とばれた時代があった
首をスパッと落とせば
処刑される人に苦痛がないから人道的だ
と、採用されていたという
でも、首を落とされてどれくらい意識があるのか知りたかった
誰だかが・・・・・
相変わらずいい加減だな~
処刑される人に意識あるかぎり目をパチパチ瞬きを頼んだそうだ
そしたら・・・・・結構・・・・・
またまたいい加減だな
結構長い時間目をパチパチして
これはかなりの時間 苦痛が伴うようで残酷だからやめよう
と言う話になった
のだと思った・・・・
処刑される人にも人権が与えられている
そこに行くと
十字架の処刑は
何日にも及ぶ
ところが、安息日までに処刑を完了させたい政府は
次の日・・?
両脇腹に剣を刺して絶命に至らしめたという
長く辛い処刑は1日で済んだ
世の中には
鳥葬と言うのもあると聞く
岩の上に死体をおき
鳥がすべてを食べつくすのを待つという
これに似た状況があったに違いない
むごい処刑なのだ
鳥葬はむごいのではなく
単に風習だ
念のため
弟子達が亡骸を十字架から下ろし
埋葬した
吉田松陰が時の幕府に処刑された時に
身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂
と辞世の句を読んで切腹したのち
松下村塾の教え子が
亡骸を引き取りに来た
これと同じように
弟子達が引き取り
埋葬した
そして、七日目に復活した
七日目に復活したのはなにか????
僕が思うに
マタイ マルコ ルカ ヨハネ
これは新約聖書の順番・・・・
とにかく 弟子が心の面で立ち直り
これからお師匠さんの言った事を広めていこう
と、弟子の心の中で復活したのに違いない
これが七日めでよかった
これが十日でも
三日でも困った世の中になっていた・・・・・はずだ
だって、一週間が 十日じゃ長いし
三日じゃ短いし
この七日目の復活が一週間になり
一週間の始まりの日には
教会に行く為に休日になった
決して、江ノ島に遊びに行くための休みではないのだが・・・・・
かくして、世界に広まった
数々のイエスキリストの残した物に
日本人である我々もかなりの影響を受けている
そういえば・・・・・
え関東学院の海老坪先生が
お店で
出血サービス
などと銘打ってセールをしているが
本当の出血サービスをしたのは
イエスキリストだけだ
イエスキリストは
人類の為に自らの血を流したのだ
と、聖書の時間に言っていたな
おっと、この時期に・・・・年賀状の印刷の注文が来た♪
急いでやらなければ