感性のままに。

平凡な主婦の独り言です。

雪の思い出

2009-12-19 20:39:33 | 日記
最近の積雪は少なくなった。

ココに引越して来て、一度も屋根の雪下ろしをしたことがない。
ただ、うちが無精者でマメに雪下ろしをしないだけと言うこともあるのだが。

でも、私が子供の頃は1mなんて小雪な方だった。
積雪2mなんてことも!

よく覚えているのは、学校から帰るとブルトーザーが通った後で、家の前に2mもある雪の壁が出来ていたこと。
家にはいるのに、その壁をよじ登り、玄関まで滑り下りて入ったっけ。

雪の壁で家の中は真っ暗、なんてことはよくあったことだ。

早朝、道路にはブルトーザーも来ないので母や父が「カンジキ」で雪を踏み固め、歩くだけの幅の道をつけてくれたものだ。

晴れた寒い朝には、「しみ渡り」と言って、田んぼや畑の雪がカチカチに凍っている上を学校までショートカットで登校するのが楽しかったなぁ。

家の周りは空き地や田んぼが多かったから、雪が積もるとよく外で遊んでいた。

山を作って滑り降りたり、雪合戦もしたし、カマクラや迷路も作ったり、ツララを取って舐めたりしてたな。

今みたいに完全防水の防寒着なんてなくて、ただの長靴にすぐビショビショになるアノラックとミトンの手袋しかなく、冷たくてホッペが真っ赤になって鼻はズルズル、長靴には雪が一杯入り手はかじかんで痛くなる程。
それでも、元気に雪の中で遊んだ。

あの頃はよく足や手の指がしもやけになったけど、今はそんな子供は見ないもんね。

そして、家の中では掘りごたつと石油ストーブ。

うちは確か「豆炭」こたつだった。
あの、独特の匂いを思い出す。

そして、ストーブの上にはヤカンがシュンシュンとお湯を沸かし、そこの上で焼く食パンが大好きだったナ。
お正月にはお餅も焼いたり、アルミホイルに来るんだサツマイモも美味しかった。
母は、よくストーブの上に鍋をかけ、その煮物の香りが家中漂ったものだ。

今のように高気密高断熱の家ではないから、ストーブだけではとても寒くて。
だから、みんな何枚も下着を重ね着したり、毛糸のパンツや腹巻、ズボン下まで履いていた。
綿入れのハンテンも来ていたし。

そんな中、手芸好きの母は、よく夜なべして手袋やセーターやカーデガンを編んでくれた。
それが、いつもとても凝っていたり色が可愛かったりして、私はとても嬉しかった。

その編み物だって、買って来た毛糸は少なかった。
冬になると、コタツにあたり、古いセーター等をほぐした毛糸を玉にするため、私が両手を広げて毛糸を掛け、母が糸を巻いて行くと言う作業をしたっけ。
これは、編み物をするお母さんを持つ人は、一度は手伝った経験があるでしょう?

そんな冬の情景、今はないのだろうな。

母がクルクル毛糸を巻いて行くのを、
「これがどんなセーターになるんだろう?」とウキウキしながら見つめていたなぁ。

豆炭の火をおこし、顔を洗うお湯を沸かし、雪道を作り、母は暗い早朝から家族のためによく働いてくれたんだよね。

幼稚園の頃電車で通っていたため、駅まで私をおんぶして「かく巻き」を着て、ザックザックと雪を掻き分けて歩いた母。

寒くて冷たくて、辛い大雪の冬だったけど、なぜか思い出すとホンワカした気持ちになる。

季節の中でも一番思い出が多いのが、雪の多い冬。