徳倉城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
松田氏一族の居城で金川城の出城
≪ お城の概要 ≫
城名: 徳倉城
よみ: トクラ
別称: 土倉城・徳蔵城
所在地: 岡山県岡山市北区御津河内
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 松田親秀
形式: 山城
遺構: 本丸・出丸・腰曲輪・土塁・石垣・堀切・井戸跡
規模: 300m×170m、標高232m、比高170m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
金川城から徳倉城へ向かう。
北区役所支所を出て、支所の東側、旭川沿いの国道53号を南下、宇垣三叉路信号を右折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに車を駐車する。
案内板に沿って川沿いの舗装路を少し入ると本丸登山道の案内板のあるところから登っていく。要所の角々に小さな案内標識が建ててあり道に迷うことなく登れるが、堀切、出丸付近からほぼ直登で非常にきつい。約25分登ると出丸長郭跡に出て、ここからは道が緩やかになる。矢竹林、腰曲輪、井戸跡を過ぎると、いきなり野面積の石垣で屈折した虎口に出る。この上が本丸で登城口から約50分で着く。本丸は南北に細長く、中央高い部分に祠があり、南面に石垣を施した土塁跡が残る。
この徳倉城は岡山空港に近いため旅客機が城跡の上を飛んでいくのに本丸に着いたときちょうど出くわし、旅客機をまじかに見ることが出来ました。
≪ 歴 史 ≫
文明八年 (1476) 松田元隆の三男親秀が居城とする。
天文年間(1532-55)から永禄五年(1562)頃に宇垣市郎兵衛が城主であったが、宇喜多直家による離反工作にあい永禄十年(1567)頃、徳倉城を退去する。
永禄十一年 (1568) 宇喜多直家が松田氏を滅ぼして備前国西半を支配し、家臣の遠藤河内守が城主となる。天正末年には城番を置いて岡山に移住する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で宇喜多秀家が滅び、代わって小早川秀秋が備前国主になり、徳倉城は廃城となる。
≪ 写 真 ≫
徳倉城虎口石垣
南面の石垣のある土塁跡
本丸
本丸北面
井戸跡
腰曲輪
矢竹林
出丸長郭跡
堀切
登城口
徳倉城跡大手登城道入口
≪ アクセス ≫
<車>
山陽道岡山ICを降りて国道53号岡山北バイパスを北上、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、宇垣三叉路信号を左折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに駐車可能。
≪ 位置図 ≫
徳倉城
登城口
紹介したお城の数 217城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
松田氏一族の居城で金川城の出城
≪ お城の概要 ≫
城名: 徳倉城
よみ: トクラ
別称: 土倉城・徳蔵城
所在地: 岡山県岡山市北区御津河内
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 松田親秀
形式: 山城
遺構: 本丸・出丸・腰曲輪・土塁・石垣・堀切・井戸跡
規模: 300m×170m、標高232m、比高170m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
金川城から徳倉城へ向かう。
北区役所支所を出て、支所の東側、旭川沿いの国道53号を南下、宇垣三叉路信号を右折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに車を駐車する。
案内板に沿って川沿いの舗装路を少し入ると本丸登山道の案内板のあるところから登っていく。要所の角々に小さな案内標識が建ててあり道に迷うことなく登れるが、堀切、出丸付近からほぼ直登で非常にきつい。約25分登ると出丸長郭跡に出て、ここからは道が緩やかになる。矢竹林、腰曲輪、井戸跡を過ぎると、いきなり野面積の石垣で屈折した虎口に出る。この上が本丸で登城口から約50分で着く。本丸は南北に細長く、中央高い部分に祠があり、南面に石垣を施した土塁跡が残る。
この徳倉城は岡山空港に近いため旅客機が城跡の上を飛んでいくのに本丸に着いたときちょうど出くわし、旅客機をまじかに見ることが出来ました。
≪ 歴 史 ≫
文明八年 (1476) 松田元隆の三男親秀が居城とする。
天文年間(1532-55)から永禄五年(1562)頃に宇垣市郎兵衛が城主であったが、宇喜多直家による離反工作にあい永禄十年(1567)頃、徳倉城を退去する。
永禄十一年 (1568) 宇喜多直家が松田氏を滅ぼして備前国西半を支配し、家臣の遠藤河内守が城主となる。天正末年には城番を置いて岡山に移住する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で宇喜多秀家が滅び、代わって小早川秀秋が備前国主になり、徳倉城は廃城となる。
≪ 写 真 ≫
徳倉城虎口石垣
南面の石垣のある土塁跡
本丸
本丸北面
井戸跡
腰曲輪
矢竹林
出丸長郭跡
堀切
登城口
徳倉城跡大手登城道入口
≪ アクセス ≫
<車>
山陽道岡山ICを降りて国道53号岡山北バイパスを北上、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、宇垣三叉路信号を左折、JR津山線の踏切を渡り、すぐに左に大きく曲り、県道61号を南西方向に進み、川の右側を進み橋を渡り、御津河内の集落を過ぎた橋を渡る手前に徳倉城跡大手登城口の案内板がある手前の道路脇スペースに駐車可能。
≪ 位置図 ≫
徳倉城
登城口
紹介したお城の数 217城
レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版 | |
來本 雅之 | |
山川出版社 |
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クリエーター情報なし | |
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