お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

八木城

2013-05-19 16:39:10 | 兵庫県
 八木城

2013/4/28  但馬遠征(2泊3日)

兵庫県養父市のお城めぐり

 八木氏が築き、別所重棟が修築した石の城

≪ お城の概要 ≫

城名: 八木城
よみ: ヤギ
別称:
所在地: 兵庫県養父市八鹿町八木
現状: 山
築城年代: 室町時代
築城者: 八木氏
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台跡・本丸櫓台跡・段曲輪・石垣・切岸・堀切
規模: 全長約350m、標高330m、比高230m
文化財: 市指定重要文化財
訪城日: 2013/4/28


≪ 訪城記 ≫

但馬遠征(2泊3日)  2日目、竹田城第1駐車場から八木城へ向かう。

竹田城第1駐車場から出た道が一方通行のため、左折して山の道を降りていく、降りたところで左折してJR播但線の踏切、円山川を越えて国道312号へ出る交差点信号を左折、このまま国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。ここに車を駐車させてもらう。
八木城の見学を終えて帰ってきたら、親切に車のワイパーにパンフレットを挟んでおいていただきました。ありがとうございました。

公民館から徒歩で、公民館裏から国道9号に出て、西へ少し行くと信号があり、この信号を北に渡り、約25mで御堂のある下に道から見えるように縄張図付の説明板があります。
さらに約30m進み、八木城跡登城口の案内板のある民家の間の道を西へ行くとお墓があり、お墓の北側に獣除けの柵がしてあり、ここから扉を開けて入ると登城道です。扉は簡単な針金を巻いただけです。閉め忘れの無いようお願いします。
尾根道をひたすら登り、秋葉さんと呼ばれるお地蔵さんのある休憩所から八木城跡の領域に入ります。
登城道の左側に広い段曲輪がいくつかあり、三の丸、二の丸を過ぎると、石垣ある登り口に出る。ここを登ったところが本丸で、入り口に説明板があり、西へ三段の削平地になっていて、一番奥が天守台跡のようです。石垣の石があちこちに散乱しています。
この本丸南側に苔むした高石垣が良く残っています。
石垣の下を通り抜けるとすぐに大きな堀切があります。
登城口か本丸まで約45分です。
さらに西へ山を登っていくと八木土城へ行けます。


≪ 歴 史 ≫

室町時代 八木土城から同じ尾根の低いところに八木城を築き移ったようです。
戦国時代末期には守護山名氏の影響力が落ち、天正年間には八木氏は太田垣・垣屋氏とともに毛利氏に属する。
天正五年 (1577) 羽柴秀吉が但馬侵攻を開始する。
天正八年四月 (1580) 羽柴軍の攻撃を受け、城主八木但馬守豊信は降伏し、八木城を退去する。
天正十三年 (1585) 別所重棟が城主となり、石の城に修築する。
天正十九年 (1591) 重棟の子吉治が城主となる。
慶長五年 (1600) 吉治は関ヶ原の戦いで西軍に属したため、改易となり、八木城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


八木城全景


八木城登城口


獣除け柵の扉


登城道の尾根道


稲葉さんの休憩所


稲葉さん上の段曲輪


三の丸の切岸


三の丸


二の丸


本丸登り口の石垣


本丸櫓台の石垣


本丸


本丸南側の高石垣


本丸西側の大きな堀切


現地案内板縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陰本線八鹿駅からバスで下八木下車、徒歩45分。
<車>
播但連絡有料道路和田山ICを降りて国道312号を北上、一本柳交差点信号を左折、国道9号を北西に進み新和田山トンネル、和田山トンネルを通って、南但馬トンネルで大きく左へ曲がり、そのまま西進する。八木の集落に入ったところに八木城跡の案内板があり、最初の信号を右折すると八木城への登城口がある。この信号を左折して、集落の中に入った最初の交差点を右折、約150mで下八木公民館に着く。公民前の空き地に駐車可能です。


≪ 位置図 ≫

八木城登城口


八木城


下八木公民館


紹介したお城の数 64城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社


最新の画像もっと見る

コメントを投稿