【孤独な散歩者の夢想 / ルソー@覚書(訂正Ver.)】
総べては現在にあって、何もかも思い出せない。わたしと云うもののはっきりした観念はなく、我が身に起こった先刻のことすら全然意識にない。自分が誰であるか?何処にいるか?すらも判らない。痛み、不安、恐れもない。水の流れを見るように、自らの血が流れるのを眺めた。自分の血であることさえ考えようとしない。絶えず、多量の血を吐いていたが、痛みはなかった。達者なときとおんなじように、苦労もせず、道に迷うことなく、歩いて来た。
わたしは、そう云う歪曲を、予め覚悟しなければならなかった。奇妙な事実を付け加え、曖昧な話や沈黙が付随され、ひとびとは、おかしなくらい控えめな調子でわたしに話し掛ける。わたしはいつも闇を憎んでいたし、生まれつき闇に恐怖を憶えていた。闇の深さは、恐怖を沈めてくれる訳にはいかなかった
世間では、わたしは転んで死んだことになっていたのである。
わたしと云う人間の運命も、将来に於ける名声も、現代の人びとの一致した申し合わせによって決定されているあって、わたしがどんなに努力してみても、その決定からは逃れられないのである。何故ならば、どんなものにしろ、この時代にあって、それを破り捨てようとして、或る者の手を通さないでは、他の時代へ伝えることはまったく不可能なのだから。
こんなにも多くの偶然の事実の集積、わたしのもっとも残酷な敵の総てが、いわば幸運の翼に乗って輝いていること、国家を支配する者、わたしの世論を指導する者、地位にある人、信用のあるひとびと、その総てが、あたかも篩(ふるい)に掛けられたかのように、わたしに何らかのひそかな敵意を抱いてる者の中から選ばれて、共同の陰謀に加わっていること、こうした普遍的な一致、協力は、単なる偶然によるものと考えるには、あまりに異常なことである。
ただひとりの人間が仲間に入ることを拒んだとしても、ただひとつの出来事が彼らの目的に逆らったとしても、ただひとつの思いがけない事情が障害になったとしても、その陰謀を失敗させるに十分だったのだ。
しかも、いっさいの意志が、いっさいの宿命が、偶然が、いっさいの事件が、人間の所業を確乎たものに仕上げているのであり、奇跡的とも考えらるような驚くべき協力を知って、わたしは、その完全な成功が永遠なる者の命令のうちに書き記されていることを疑うことは出来ない。
過去、現在に、数知れぬさまざま事実の観察からわたしはこの考えをかたく信じて、これまでは人間がの邪悪な心の所産と考えてきた所業にを、これからは、人間の理性をうかがうことの出来ない天の秘密のひとつとみなさないわけにはいかなくなる。
【LOVELIKEDEATH@予稿】
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