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エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

珍現象続く

2009年06月11日 | 地域

お隣りの石川県で空から(おそらく)おたまじゃくしや小魚が降る現象が続いてるそうです。その場面に遭遇すれば不思議さと驚きに包まれた事でしょうね。実際は地面に落ちてペチャンコになった屍骸を住人が見つけたんですが。

しかし世界ではこの珍現象(怪奇現象か)の記録は数多く残されているようです。蛙や魚から亀やワニまで記録があり、果ては血や肉が降ったこともあるらしい。こういった現象をファフロッキーズと呼んで各方面で調べた方もいるそうです。

原因が不明な現象に出会うと人は戸惑い、とんでもない原因と結果を簡単に結び付けてしまう事があります。おりしも統一教会の者たちが人々を不安に貶めて高額な印鑑を売りつけた事件が摘発されました。これなんかも冷静な時なら騙される事も無かったんでしょうが。

以前に書いたかもしれませんが100年以上も昔の話しです。近くの大きな神社に夜な夜な松の大木に登り砂を撒く男がいました。仕事が終わって夜中に神社にお参りする芸妓さんの間で「天から砂が降る」と言う噂が立ちました。

度胸のある若者が夜を徹して見張り犯人を見つけ取っ組み合いながらも逃した事件です。それまでは夜の神社で天狗が砂を撒くと言われていたそうです。顔を見られたせいかそれ以降は「天狗の砂撒き」は起こらなかったようです。

まあ今回の石川県の現象の参考にはなりませんが、不思議な現象を前にして安易な結論に導かれるのは気を付けたほうが良いと言う事です。心霊現象なんかも若い人たちには関心事です。けれどすぐに怨念やら幽霊に落ち着くのはどうかと思います。それこそ「怨念がおんねん」です・・・


ハイテク農業

2009年06月07日 | 地域

最近の農業は人力でする作業はより少なくなっています。田植えも稲刈りも乗用の大型機械で行うので人手も掛らず集落全体で共同することもないそうです。農家の方に聞くとそれだけ人間関係が疎遠になってるらしい。

先日見た光景です。こちらでは左程珍しくは無いのですが都会の人には面白いかと思います。携帯電話動画だから粗くて見難いのはご容赦ください。

        

                                               

    


小沢氏は本気だ

2009年01月21日 | 地域

ローカルな話題ですが、富山3区から民主党候補が出そうです。ご存知の方も多いのですが富山県は保守王国として有名で国政選挙では自民党がダントツに強い。政治に関心も無い若者が選挙では「とりあえず自民党に」と言うくらいです。居酒屋のビールじゃないぞ!

現在は選挙区で国民新党の綿貫氏、比例では自民党の萩山氏が3区の議員となっています。しかし綿貫氏は昨年9月に比例区のみで選挙区では立候補しない事を表明しました。

当初は長年在籍した自民党に対する遠慮かと思いましたが、事ここに至って既に沢氏と話が付いていた可能性が出てきました。つまり比例は国民新党、選挙区は民主党の図式を二人の間では描いていたように思えます。

昨年から現職の萩山氏に対して自民党内の候補者選びが混迷を続けました。前参議院議員の橘康太郎氏が意欲を見せたり、県議の柴田氏が立候補を表明したりしました。現在は橘氏の息子、高岡市長の橘慶一郎氏が公認候補に濃厚な可能性を感じます。

所詮は自民内のコップの中の争いでした。当時は現職の萩山氏の評判の悪さが突出していたから、萩山下ろしと私は見ていました。しかし柴田氏も本気らしいし橘氏も十分な色気があるようです。

萩山氏は議員としての品格は無い。少し前の国会の委員会での事。彼は横の同僚議員と何か話しをしていた。大きな声で随分長い時間をしていたようです。それに我慢できず野党の議員が注意したら萩山氏は怒り出し当に逆切れ状態でした。この映像がTVの全国ニュースで流れました。彼には投票していない私までもが富山県人として恥ずかしくなった。

だから萩山氏は論外として自民党は柴田氏か橘氏に落ち着くでしょう。これに対して民主党は県内でも知名度の高い民間放送のアナウンサー相本芳彦氏をぶつけてきたのです。自民党内がゴタゴタしている分勝つ可能性は高くなりました。

当の相本氏はまだ正式には返答していないけれどもうこれは決まりでしょう。今更断ってももうメディアの仕事は出来ないと思われます。保守王国富山県で名前が出た以上は前に進んで勝利するしかありません。

彼も奥様と若くして死別し子育てなんかで色々苦労したそうです。そんな事もあり主婦層には結構人気有ります。それが昨年再婚されたそうです。これも選挙を睨んだ動きかなと言うのは穿ち過ぎでしょうか?間接的に民主党は早くから相本氏に接触していたと思えます。

色々考えると小沢氏はかなり早い段階から綿貫氏と話を付け、この保守王国に楔を打ち込む準備をしていたと感じます。恐るべし「小沢」。やはり自民党のベテラン議員が恐れるはずです。しかし彼は生来の気まぐれがあります。自分で作ったものを自分で壊すのも得意です。日本新党の時のように・・・

富山3区、民放アナに出馬要請=小沢氏

1月20日15時21分配信 時事通信


 民主党の小沢一郎代表は20日、富山市で地元民放アナウンサーの相本芳彦氏(52)と会い、次期衆院選で富山3区からの出馬を要請、相本氏は「1週間ほど考えさせてほしい」と応じた。同氏が出馬を決断すれば、民主党は社民、国民新両党に協力を呼び掛ける方針。
 同区では、国民新党の綿貫民輔代表が昨年9月に不出馬を表明。民主、社民両党がそれぞれ候補者選定を進めている。 


新しい器には・・・

2008年11月17日 | 地域

昨日の日曜日は私の住む南砺市の市長市議選挙が行われた。賑やかな一週間ではあったが市民にとっては有意義な日々だったと思う。

即日開票で夜の10時以降には大勢が分かるはずだったけれど、なにぶん早寝早起きの生活習慣が身に付いてるので結果も知らずに朝を迎えた。早速朝刊で結果を確認した。まあ順当な当選だったようだ。

市長候補の清都氏は前副市長で合併前の旧井波町長、方や当選した田中氏は前市議だ。選挙戦は両候補の本気さが伝わる白熱したものだった。

ただ小泉さんが音頭を取った平成の大合併も地方の市民には主旨もメリットも解らなかったのは事実。あくまで行政主導で地元が渇望したものでなかったからだろう。

ともかく新しい器には新しい酒を入れなければ・・・合併前の町長どうしがジャンケンして順番を決めたんでは市民は納得しない。一割以上の得票差は有権者の率直な気持ちだろう。

同時に行われた市議選も「まあ、そうかな・・」という結果だった。新人が強く現職には厳しかった。理由は簡単明瞭で、現職の仕事振りに市民は不満を感じていたからと思う。

ともかく旧い体制や人脈を変えて、アンシャン・レジュウムからの解放を我々南砺市市民は選んだということ。今回選ばれた方達はこの事を肝に銘じて頂きたいと有権者は思う。


坊さんが屁を・・・

2007年10月30日 | 地域

世の中には他所者には解らない符丁や隠語が沢山あります。最近では亀田家だけで通用する表現が有名になりました。特に相場に関わる業界、証券会社や卸売市場などには一般人には???が非常に多いようです。

私の子供の頃にもそんな仲間内にしか通用しない言葉がやはりありました。その代表が数の数え方です。学校で教わるのは「1,2,3・・・10」で、これは全国共通の標準語でしたね。子供の世界ではこれが大変な変化をします。

鬼ごっこ缶蹴りという遊びには必ず鬼役がいます。そしてその役が当った子供は例外なく数を数えます。他の子供が隠れたり逃げたりする時間を与える為です。自分でカウントするわけですね。

カウントする数は年齢で変わったように記憶しますが、最初の頃は10くらいだったと思います。それが段々増えていき、最後には50以上くらいにもなっていった憶えがあります。実はその理由もあるのです。

当時の子供の間では簡単に沢山の数をカウント出来る方法があったのです。真面目にカウントすれば時間が掛るので子供流の略式方法を使います。

                  「坊さんが屁をこいた」

これで10文字です。この文言を唱えたら10をカウントしたことになりました。なんとも恐ろしい省略ですがこれが仲間内では公認されていました。

さあそうなると今度はカウントする数が増えていくことになります。あまりに簡単に数えられては直ぐに鬼に捕まります。カウント数が増えた理由はこれでした。しかし鬼も負けていません。従来の文言にアレンジを加えます。

            「坊さんが東京の真ん中で屁をこいた」

これで20文字になりました。これを三回唱えたら忽ちに60を数えた事になります。小学生も高学年になればかなり早口です。これはもうイタチゴッコですね。段々とカウント数が増えました。

私が子供の頃はこんな遊びをして、夕方も暗くなるまで子供達が大勢で時間を過していました。時分どきになれば各家の母親が家の前でそれぞれの子供の名前を大声で呼び遊びも終了します。実にのどかな情景です。ALWAYSの世界がそこにはあったのです。懐かしく思い出しますが、もうそこには絶対に戻れないのも知っています。


釣り人が羨ましい

2007年10月15日 | 地域

富山県南砺市(旧井口村)にある温泉施設をよく利用します。自宅からクルマで10分ほどの距離にあり銭湯代わりには丁度良い施設です。平日なら客も疎らで、湯船を独占してゆっくり入れるので大のお気に入りなのです。

その温泉施設のすぐ横に赤祖父池があります。この池は近隣の農地の灌漑用に作られた人工の池です。詳しくは調べてませんが、戦前からあるのではと思います。隣りの旧城端町にある桜が池ほどは大きくないけれどなかなか趣のある佇まいです。

            
      天気が悪くて残念ですが、奥に見える緑色は隣接のゴルフ場です

小さな池ですがここは全国でも有名なイベントがあります。ヘラブナ釣り大会が毎年開かれています。ヘラブナは地味な魚ですが、釣りの対象とするのには非情に難しい魚だそうです。警戒心が強くてなかなか釣れないようです。

            
                   平日でも釣り客はいます

私は10年前にふつりとゴルフを止めました。若い頃から野球やソフトボールをし中年からはゴルフに現を抜かしていました。理由は色々あったんですが、ともかくそれに代わる趣味を釣りに考えた時期がありました。

ノンビリと釣り糸を垂らす釣り人の姿にある種憧れみたいな感情も擁きました。これなら左程に金も掛らないだろうし日常の些事の気晴らしにもなるかなと思いました。この時分からこの温泉に来るようになり、赤祖父池の釣り人が羨ましくなったのです。

             
                    こんな人達が羨ましい

当時は本気で釣りをしようかと考えていたのですが、思いの外の障害がある事に気が付きました。私は釣りのエサとなるミミズが嫌いなんです。絶対に触れませんね。小学生の頃なら平気で捕まえていたのに何故か理由は判りません。

一口に釣りと言っても様々な容態があるのは知りました。だからエサのミミズを嫌いならそれを使わない方法でやれば済むのですが・・・ともかく一気にモチベーションが下がってしまったのはこれが理由でした。ちょっと情けないのですがそれが今に至っています。しかし今でも釣り人を見るとやはり羨ましい気持ちは変わりませんね。


箕面の思い出

2007年10月13日 | 地域

大阪の景勝地として最も手近な印象があります。と言うのも子供の頃、町内会や小学校の遠足で度々訪れたのがここ箕面でした。

一番の想いでは、やはりあの性質の悪いサル共です。とにかく酷かった。これは最近知った事ですが、奴等は大人と子供の区別がつくらしい。私たち子供のリュックを狙って傍若無人の振る舞いでした。今も変わらないのでしょう。

箕面は自然が豊富で都会では見られない昆虫も沢山いました。カラスアゲハジャノメ蝶を初めて見たのもここでした。特に感動したのがヤママユガです。これは特大の蛾で、小学生の頃図鑑だけで知っていた虫です。こいつが大量にいたのに驚きました。今なら気持ち悪いだけですが・・・

町内会の日帰り旅行で行った時の事です。箕面の滝に続く道にはセメントの偽木で作った柵が設えてありました。季節は少し蒸し暑い夏だったでしょう。偽木のあちこちにカタツムリが這い出しています。

私は父親に並んで歩いていました。父親はその偽木の柵の方を私は反対にある店の側を歩きました。私は店で揚げてる紅葉揚げばかりに気が向いていました。そんな時ふと父親を見ると歩きながら時々柵に触って何かしています。

不思議に思い注意して見てると、なんと彼は偽木に張り付くカタツムリを大きな親指で一つ一つ潰しているではありませんか。ブチュブチュと音がします。まるで今のプチプチみたいな感覚でした。気色悪かったのを憶えています。

そんな時も私の心はズラリと並ぶお店で売られる紅葉揚げでした。母親には当然、父親にも食べたいと言いました。あっさりと却下されました。大人の目からはお金を支払ってまでも食べる意味は無い物と映っていたようです。その感覚は今の私なら納得できます。

しかし夜店の怪しげな駄菓子と同様で分別の無い子供にはとても魅力的な食べ物でした。以下のサイトで40年ぶりに思い出しました。こうして見るとやっぱり一度は食べてみたいと思えてきました。

         http://www.hisakuni.net/what.htm

 


アイトラムに乗る

2007年08月04日 | 地域

先日、仕事で高岡市に行った。勿論マイカーで行ったのだが、午前の部と午後の部の間に随分な空き時間が出来た。こんな時は普段なら本を読むか昼寝するかで時間をつぶす事が多い。

以前から高岡に来る度に気になっていた乗り物があった。そうアイトラムである。全国的にも路面電車は少なくなってきた。けれどこの富山県には富山市と高岡市という県内双璧の街に路面電鉄が残されている。いやただ単に細々と生き長らえているのじゃなく活性化しようとしている。これは両市の市長と県知事の卓見によるものと私は思う。

前置きはこれくらいにし本題に入ろう。当日私はこの貴重な時間を利用して先進の路面電車に乗る事にした。JR高岡駅前に行くとそこには昔からある古い車体の電車が停まっていた。まずはそれに乗る事にした。

           
      よく見るとネオンが付いていて夜間には綺麗にディスプレイされる

乗り心地はやはり悪い。特に横揺れが大きく立っていると絶対に何かに掴まりたくなる。この高岡の万葉線には女性の運転手がおられたので少し驚いた。運転席のすぐ後で拝見していて分かったのだがこの古いタイプの操作はかなり難しいようだ。私のような素人が見ていてもそれは感じた。リコーダーに対する尺八くらいの違いだ。要は自分の感覚をフルに発揮して運転しないとコントロールできない。

           
     厚かましくカメラを向けるがにこやかに応対してくれる美人さんでした。

後に分かったのだが彼女の運転は男性の運転手より荒かった。のでカーブなんかは少し怖かったのが正直な感想だ。予定より遅れていたのかもしれない。JR西日本の惨事を思い出した私だった。なんと言っても路面電車に乗るのは30年ぶりだから感激しまくりで限度が不明なのだ。

           
       椅子は昔ながらのお見合い式。実は高校生でいっぱいでした。

           
                終点、越ノ潟。雰囲気ありすぎ!

           
                線路のカーブが旅情を誘う

            
   駅の向こうは海!連絡船が停泊していた。高倉健がいそうな待合室でした。

           
   案内板には日本語の他英語とロシア語があった。なかなか国際的なムード。

           
     心残りだが日本海と立山連峰を後に帰りはいよいよアイトラムだ!

                              
               この車両にはやはり赤が良く似合う。

ここで簡単リポート。乗り心地は素晴らしい。同じ軌道を走る車両とは思えない。まず例の横揺れが大幅に低減されている。同様に走行時の騒音も静かで極めて快適な旅になった。おまけに客が少ないのが我儘な私には嬉しかった。

           
    シートはボックスタイプでなかなか落ち着いた雰囲気だ。全て二両連結。

           
          運転席もハイテクっぽい。これなら操作も簡単か?

 

実を言うと今回の記事は7月と8月の二回の体験を元にして書きました。映像も自分のデジカメで撮った写真とネット検索から仕入れた物を併用しました。私の携帯カメラがPCに入らずせっかくの写真が使えずがっかりでしたが我慢ですね。ただあの女性運転手もそうでしたが皆さん撮影に快く応じていただき実に感謝しました。是非皆さんもこの万葉線に一度乗車して頂きたいものです。県内にも素晴らしいものがあります。今度は富山のポートラムに挑戦したいですね。


GWが終わって・・・

2007年05月07日 | 地域

随分長いGWも終わりました。連休明けの仕事は魂が抜けた状態なのでなかなか普段のモードに戻りません。早い人で午後から、遅い奴は2,3日はかかります。今はGWだからと休めない仕事だから懐かしく思い出してます。

会社勤めを辞め関係の無いGWですが街を歩いていてもその雰囲気は感じられます。今日は如何にも休みが終わり普段の日常が始まったのが分かりました。何か物憂げでシャキッとしなくて、表現は悪いけど暗い元の街に戻りました。田舎町ながらこの感覚を考えてみました。一番大きな違いはなんだろうと・・・

少し分かりました。人出の多寡は勿論ですが、若い人の姿が多かったのです。特に元気な子供を連れて歩いている若い家族に多く出会いました。30歳代の夫婦に小さな子供達がトコトコ付いて歩きます。

そう言えば自分たちも我子を連れてこんな事をしていました。若い頃はこの連休が楽しみで仕方が無かったのを思い出しました。特別に何かをするわけじゃなかったけれど兎に角楽しみにしていた事を憶えています。そして小さかった子供等を伴いささやかな一時を堪能していました。


今朝、近所の奥さんとその事を話しました。

   奥  「そうや、あの頃は街中に子供がいっぱいおったわ」

   私  「うん、たった20年前のことやけどねぇ、えらい変わりようや」

   奥  「石投げたら子供に当るくらいやったのに・・・」


現在、町内の私の班は13軒あります。人数は24名。一人暮らしが5軒ですがその年齢構成が一番の問題なのです。最も若いのが我が家の息子で21歳です。そして65歳以上は15人なのです。近い将来の日本国の縮図ですね。屋根ばかりが重くて支える柱の数は減るばかりです。

たまに家の横で子供の声を聞くと新鮮で驚きます。殆どは里帰りした人が子供を連れてきたのが原因ですが。30年前に私がこの街に来た頃とはえらい違いです。あの頃はガキの声が煩かったもんですわ。

やはり若い人達がいる街は活気がある。田舎に暮らすとそれをつくづく感じます。子供を生むには年齢的な制約があります。結局は人口を流入させるしかないのですが、それは日本全国の街が腐心しても妙案は出ていません。


今回も長らくブランクが出来ました。昨年を振り返ってみたらやはりこの時期に長いブランクがありました。特別に仕事が多いとかではないようです。むしろ外の世界が美しくてパソコンに向かってられないのが原因かなと思いました。ただ遭いも変わらずに同じ事で我が心が揺れてるのも奇妙な一致かと驚いています。


田舎の大邸宅

2006年08月09日 | 地域

表題の通り田舎の大邸宅を紹介しましょう。かつては在所の村長を務めた家です。江戸時代なら大庄屋さんですね。上の写真は正面の門で、普通車が楽に入っていけます。

            

      門の中には酒の一斗樽を二つくっ付けた大きさの太鼓が吊ってある。
      在所の祭りや行事には必ず叩かれたんでしょう。

           

          前庭の木も立派です。軽四と比較しても分かります。
          とにかく庭の大きな邸宅です。

           

           門の右側の壁、美しいです。

           

              門の左側。これだけで半分の庭ですよ。

           

       本宅は意外と小さい。けど左の森の奥に現代風の家があります。
       まさに自分ちの森です。

           

実は現在では日帰りの老人ホームになっています。このお屋敷をはじめて見た時は心底驚愕物でした。都会なら一つの町内が収まりそうな広さの屋敷も戦後の税制では個人が所有できる範囲を越えているのでしょう。

ここに来るたびに思うのは戦後の平等社会に生きてる有り難さです。世が世なら私ごときはこの門の前を横切る事さえ憚られたと思われます。しかし最近は一般人の間にもジワリと格差が生まれてるようです。貧乏人なりの楽しみを満喫しましょう・・・


恐竜博物館

2006年07月30日 | 地域

今月の初め一年ぶりに福井県立恐竜博物館に行ってきました。前回は雨のシトシト降る平日でしたが、今回は適当に曇り空のやはり平日でした。しかもこの日は一人じゃなくパートナーがいます。普段は動くもの全て大嫌いな、そう我女房です。いつもは私の恐竜フリークを鼻で笑ってるのに何を思ったか付いてきました。今回はその時の報告をサラサラとしましょう。

富山から北陸自動車道にのり丸岡ICで降りるルートで約二時間の道のりです。九頭竜川沿を勝山に向います。市内に入ると道沿いにそれらしいモニュメントが雰囲気を盛り上げてくれます。

            (これは本気で持って帰りたいと思いました)

           

        近づくほどに見えてくる銀色に輝くドーム!
        家内 「あれは何?」
        私 「あれがそうです!」

             

        写真で見ると大した事無いけどかなり巨大なドームです。

        博物館の正面にはタカさ10メートルもある巨大モニュメント!

        全てが大きく恐竜の偉大さを期待させます。

           

           モデルはブラキオサウルスと見た!

館内に入ると長いエスカレーターで一番下のフロアー降ります。前回はカメラの使用がかなり制限されていましたが今は緩やかでした。ただフラッシュだけは禁止されてたのが難儀しました。元来のメカ音痴なもんでどうしてもフラッシュが光り、しまいには館員の方に注意される事態になりました。ちょっと恥ずかしい大人です。それでも楽しい一時には違いありませんでした。

           

       後からラプトルに襲われる竜脚類。可愛そうな声を出してました。

           

      上のフロアーから撮りました。この時もフラッシュが光困りました。

           

       ティラノの頭骨。横の家内の大きなお腹と比較してもまだ大きい!
       やはり恐竜は偉大ですね・・・

 

一年ぶりの訪問になりましたが感動は全く錆び付いていないのが嬉しかった。今回は恐竜時代の前後の生物にも関心があり、それも満足できました。古生代や新生代の標本も充実した施設です!

家内もそれなりに楽しそうでで安心しましたが、残念だったのは化石やグッズの販売店が無くなっていたことです。商業的に合わないからなんだろうけどそれだけ来館者が少ないんだろうか?最近は公益法人にも厳しくなってるから施設の存続を考えると少し心配になりました。

 

今回は所謂ブログ風な構成にしてみました。長いブランクのおかげでネタはそれなりにありますのでおいおいやります。あっ それと帰りに寄った食堂のことを書きます。「オロシ蕎麦」を二人で食べたんだけど案外でした。越前蕎麦を期待したけどガッカリしました。やはり事前に調べるべきだと反省しました。


殿様商売

2006年02月01日 | 地域

 大阪の街で買い物をすると、たとえタコヤキ一人前でも「おおきに!」の大きな掛け声が返ってくる。そんな大阪の商人根性が私は好きです。笑顔や元気は無料ですね。しかし実はこれが一番大事なんです。

 私が当地に来て一番驚いたのが商売屋の愛想の悪さでした。買い物をしても殆どの店で後味の悪さを感じて店を出たもんです。元気の良いあの「有り難う!」の言葉が追いかけて来ません。お店によっては売ってやると感じる店主も沢山います。この違和感の原因が最近少しだけ解かりました。

 話は昭和のはじめ頃、戦前になります。よくお話を聞くお年寄りの方が子供の頃です。当時は現金収入が毎月ある(今のサラリーマン)家庭なんか殆ど無かった。役所か電力会社に勤めてる家庭くらいでした。民間会社の多くはまだお盆と年末に給金が支払われる程度でした。しかし商売屋さんにはそんな頃でも現金がありました。

 殆どの家庭の収入は農業もしくは手作業の賃加工収入に限られていました。要は貧乏だったんです。小学校でも牛乳が飲めるのは商売屋の子供だけで他の子供等はその飲む姿を眺めるだけでした。どの家庭の子供も同じような服を着て同等な生活をしてる今日からは想像できない格差がその時代はありました。

 そんな状態はおそらくは戦後もしばらく続き、昭和30年代までは残ったようです。その年代が今、店主かその父親になってる世代です。僅かづつですが愛想の悪さは改善されてるようですがその時は少し遅すぎたように思えます。

 県内でも二番目の都市、T市の駅前商店街も多くの店がシャッターを下ろしています。今になって活性化を叫んで頑張ってますが、各商店の横柄な接客は有名でした。私に言わせれば「何を今更・・・」です。

 中心商店街の荒廃を言われる街は全国にも数多くあります。私の住む田舎町の商店街にもこれは当てはまります。勿論その接客態度だけが全てとは思いません。しかし買い物をしてくれた客に感謝の態度を素直にあらわすのは商売の基本に違いないでしょう。選択肢が増えれば当然心地よい店に客は向いますから。

 一概に殿様商売と言い切ってよいのかは分かりません。この地に長く住んでみて、大人しく万事控えめな気風が関係してるのかとも思います。しかし未だに売ってやる精神の店主がいるのは間違いない気がします。

 


四国が好きです

2006年01月29日 | 地域

 両親が四国出身ということで深い縁があります。子供の頃から父親の故郷にはよく行きました。母親の生家はすでに無く、母親自身も生まれは東京だった(本人も赤ちゃんで記憶が無い)ので訪問したことはありません。だから四国と言えば父親の関係が殆どでした。

 西条の叔母の家の裏には幅2メートルほどの川が流れていました。水量が豊かで透明な水が気持ち良くお気に入りの場所でした。川のふちにコンクリートで作られた深さ5メートルくらいの四角い升がありました。それに川の水が流れ込み人工の大きな水槽のようになっていました。

 子供の目から見ると、それは建物の地下室で上の建屋だけがなんらかの原因で無くなったように感じがしました。それだけでも子供心には充分ですね。ある時水槽の底で1メートルはあろうかと思われる魚が泳いでいました。大人達も来て「あれは主じゃろうと言ってました。

 また天気の良い日に手鏡で遊んでいて、畑を挟んだ遠くの家を照らしてたらその家の親爺が怒鳴り込んで来てえらく怒られた憶えがあります。その時に鏡が通信に使えることを実感しました。迷惑な子供でした。

 いずれにしても記憶の全ては好天の穏やかな状況ばかりです。おそらくは学校が春休みや夏休みの長期休暇を利用したからでしょう。それと四国の方言がのんびりしていて好きでした。「そうじゃけんの・・」とか。

 そんな縁で学生時代には四国を一人旅したり、就職活動でもよく行きました。高知の中村駅では通学の女子高生の集団に出会いましたが、みんな南沙織に見えました。実に楽しいところです。

 今四国八十八ヵ所巡礼が流行っています。ゲームもあってけっこう売れてるらしい。経験者の方に聞くと全部一気に廻るんではなく、分割して自分の都合に合わせてスケジュールを組めるそうです。旅行会社でもドル箱商品だそうです。

 巡礼といえば白装束で鈴を鳴らし布施を頂き旅する、なんともストイックなイメージでした。「砂の器」和賀英良の親子を思い浮かべます。しかし現在は移動にはエアコンの効いたバスを使い宿泊はホテルで寛ぎます。昔の深い信仰を求める姿はありません。レジャーになってるんですね。

 しかし元々神社仏閣のお参りは非日常を楽しむレジャーの趣があったのは事実です。「お伊勢参り」が代表です。ただその中でも自分を省みる時間があるんでしょう。実は私の近い将来の希望にこの「四国巡礼」があります。しかしこればかりは足腰が動く間に限定されるから正直焦っています。


言葉は面白い

2006年01月14日 | 地域

 今日はいきなり貼り付けでいきます。例のごとく「まぼろし通信」からです。

★『女房言葉』★

 さて、「おむすびの日」の解説に出てきた「女房言葉(にょうぼうことば)」
について、ちょいとお勉強致しましょう。「女房言葉」といっても、その辺の女
房が使う言葉、例えば、「ろくでなし」とか「ひとでなし」などを言うのではあ
りません。

 室町時代初期ごろから、宮中に仕える女房(家内のことではありません。高
位の女官、貴人邸に仕える上級の侍女のこと)が使い始めた、言わばスラング
なのだそうです。基本的には、上品な言葉遣いだとされ、おもに衣食住に関す
る言葉が多いようです。後に、足利・徳川将軍家に仕える女性に伝わり、そこ
から武家や町屋の女性に広がって行ったとか。現在も相当数残っています。

 語の頭に「お」を付けて丁寧さを表したり、語の最後に「もじ(文字)」を付
けて婉曲的に表現したりします。これは、特に「文字詞(もじことば)」と呼ば
れています。ただ、今回は、「お」関連の女房言葉についてのお勉強で、文字詞
については、後日改めて、ということで、よろしいでしょうか。

<代表的な女房言葉>
・おかか・・・鰹の削り節。「お」と「鰹節」の「か」を2回重ねたもの
・おかき・・・欠餅。「鏡餅」を砕いて食べたことから
・おはぎ・・・「牡丹餅」。小豆の粒をはぎの花に見立てた表現
・おこわ・・・強飯=こわめし
・おつけ・・・吸い物、味噌汁。「つけ」は飯に付けて出すもの。本来は吸い物
       のことでしたが、味噌汁のことを、味噌の女房言葉である「お
       み」と合わせて「おみおつけ」と言うようになったとか。それ
       が略されて、特に京阪神で「おつけ」で味噌汁のことを言うよ
       うになったというわけです。
・おでん・・・田楽。おでんは、本来は豆腐などを串に刺して味噌を付けて焼
       く田楽のことですが、焼かずに煮て調理する煮込み田楽が普及
       し、これを「おでん」と言うようになったんですね。
・おなか・・・腹
・おなら・・・屁。「鳴らす」から来た言葉。

 その他、「おかず」「おじや」「おはぐろ」「おひや」なども女房言葉です。普
段何気なく使っている言葉にも、それぞれに歴史あり、なのです。

 当地にも独特の方言があります。関西人の私が初めて聞いた言葉や「うん?」と思った言葉が沢山あります。主に聞かされたのは先年亡くなった家内の祖母でした。「年寄り言葉」だから今の若い人たちは逆に使わない言葉もあります。そんな中からいくつか紹介しましょう。

 「こけ」  たぶん漢字では「苔」だろうと思います。当地ではマツタケやシメジなん       かの「きのこ」を指します。こちらでは全て「こけ」で、秋のシーズンには「こけ取り行こうか?」なんて会話が普通に飛び交ってます。お隣りの金沢でも聞きましたから旧加賀藩の地域では共通の言葉かもしれません。

 「きびす」 踵のこと。死んだ祖母さんがよく「きびすの尖った靴」と言ってました。ハイヒールのことですよ。家内がまだ若い頃「あんなもの履いてると危ない」とよく言ってました。古い言葉が現代に生きていました。

 「柿山」  これは「おかき」です。上記まぼろし通信の記事にもあるように欠餅のことだろうと了解しています。こちらでは「あられ」も「おかき」も総称して「柿山」です。こちらでは餅米に小さい昆布や小豆を混ぜて切り餅にして細い縄に括りぶら下げて乾燥させて保存菓子にしました。これは年寄りのいる家庭では今でも見られます。

 「おっちゃん」 関西では中年の男性への軽い呼称。関東では若干失礼になるようですね。当地では「弟」の事です。来た頃よく「あんた、おっちゃんけぇ?」と聞かれ若い私は分けも判らず不愉快になったもんです。まじな笑い話です。

 まだまだ沢山あるのですが今思いつく最低限だけを書きました。しかしこの四つの言葉は私が29年前にこの地に来て最初に「うん?」となった代表です。

 言葉は共通の認識があって初めて機能するものです。いわば文化を共有する者同士だけに通用する道具なんです。その意味で収斂する面と拡大する場合が同じ地域や場所で起こります。仲間外れと勢力拡大ですね。いずれにしても人間のやること、あまり目くじら立てても仕方ない事です。

(今日、PCがおかしくなりました。操作途中にマウスが機能しなくなり、ハードディスクがキーキーピーピーと喧しく音をたてこりゃ完全アウトかと半ば諦めました。何回か立ち上げを繰り返し強引にやって今に至りました。ボチボチかなとも思っていますが、買い替えは家内が許してくれそうもないのでPCの寿命とこのブログの最終回がシンクロしそうです。前もって皆様にお伝えしておきます。)


雪かき フォー!

2006年01月08日 | 地域

 連日の除雪で街中ヘトヘトに疲れています。この三連休は各家庭で屋根雪下ろしに追われています。雪国は大変です。新潟の方には失礼ですが、私の住む地方も昨年末からの積雪に皆泣いています。

 まず朝は除雪から始まります。会社に行けばまず除雪が最初の仕事です。日中も手が空いてればやります。そして夜も寝る前に家の周囲を除雪します。そして翌日の朝も・・・

 朝の除雪はなるべく人や車が通る前の方がやり易い。軽くてフワフワだからです。一度車が通ると堅い圧雪の変わります。そうなると人力での除雪は少し厄介になります。そんな理由で段々早起きになります。私みたいな不精者でも早い時は5時前に起きて始めます。まだ真っ暗な夜です。

 まだ暗い頃から体を使って働くと徐々に脳ミソも起きてきます。そして除雪した後を見るとそうでない所と明らかな違いが明確に現れます。その満足感はなかなかのもんです。随分と離れた車庫の前も除雪して帰宅する頃には体も心も熱くなっています。

 家ではやっと蒲団から抜け出し寝ぼけた顔で寒そうにしている家内と息子がいます。こちらはハイテンションです。思わず叫びました

          「雪かき フォー!」

 言った後で少し恥ずかしくなりましたが。しかし体を動かした後には心地よい充実感があります。片やローテンションの面々を見てると思わずやってしまいました。

 成人式を数時間後に控えた雪国の家庭の朝のひとこまです・・・

     (除雪のことを当地方では「雪かき」と言います)