エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

殿様商売

2006年02月01日 | 地域

 大阪の街で買い物をすると、たとえタコヤキ一人前でも「おおきに!」の大きな掛け声が返ってくる。そんな大阪の商人根性が私は好きです。笑顔や元気は無料ですね。しかし実はこれが一番大事なんです。

 私が当地に来て一番驚いたのが商売屋の愛想の悪さでした。買い物をしても殆どの店で後味の悪さを感じて店を出たもんです。元気の良いあの「有り難う!」の言葉が追いかけて来ません。お店によっては売ってやると感じる店主も沢山います。この違和感の原因が最近少しだけ解かりました。

 話は昭和のはじめ頃、戦前になります。よくお話を聞くお年寄りの方が子供の頃です。当時は現金収入が毎月ある(今のサラリーマン)家庭なんか殆ど無かった。役所か電力会社に勤めてる家庭くらいでした。民間会社の多くはまだお盆と年末に給金が支払われる程度でした。しかし商売屋さんにはそんな頃でも現金がありました。

 殆どの家庭の収入は農業もしくは手作業の賃加工収入に限られていました。要は貧乏だったんです。小学校でも牛乳が飲めるのは商売屋の子供だけで他の子供等はその飲む姿を眺めるだけでした。どの家庭の子供も同じような服を着て同等な生活をしてる今日からは想像できない格差がその時代はありました。

 そんな状態はおそらくは戦後もしばらく続き、昭和30年代までは残ったようです。その年代が今、店主かその父親になってる世代です。僅かづつですが愛想の悪さは改善されてるようですがその時は少し遅すぎたように思えます。

 県内でも二番目の都市、T市の駅前商店街も多くの店がシャッターを下ろしています。今になって活性化を叫んで頑張ってますが、各商店の横柄な接客は有名でした。私に言わせれば「何を今更・・・」です。

 中心商店街の荒廃を言われる街は全国にも数多くあります。私の住む田舎町の商店街にもこれは当てはまります。勿論その接客態度だけが全てとは思いません。しかし買い物をしてくれた客に感謝の態度を素直にあらわすのは商売の基本に違いないでしょう。選択肢が増えれば当然心地よい店に客は向いますから。

 一概に殿様商売と言い切ってよいのかは分かりません。この地に長く住んでみて、大人しく万事控えめな気風が関係してるのかとも思います。しかし未だに売ってやる精神の店主がいるのは間違いない気がします。

 


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