心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第634回】真我カウンセリング~①聴くことのその先にあるもの~

2024-06-23 14:23:00 | 日記
前回まで4回に渡り、真我カウンセリングの基本『聴く』事の威力を見せてくれた素晴らしい実例をお伝えしました。

そして、真我カウンセリングには『聴く』のさらにその先があります。

このブログを書くきっかけになった、あるカウンセラーの言葉
『無条件の肯定的関心』
『愛ある態度』
『やり方ではない在り方』
クライアントは『癒やされていく』

真我カウンセリングと共通する所を感じ、とても素晴らしいと思いました。

しかし、このカウンセラーの話を聞く限りでは(本当は共通するかもしれないけど)、真我カウンセリングとは1つ違うと思うところがある。  

少しの違いのようで、大きな違いだ。

それは『苦しい人を癒やす』という部分。何回か彼の動画を拝見した私のイメージは、彼のカウンセリングは悩み苦しんでいる人を、愛で包むというやり方。

一方で真我カウンセリングは、

相手は神である
相手は悩んでいない
相手は愛と感謝と喜びの心で溢れている相手は完全完璧である。

という『前提』で相手と対峙するのです。

悩んでいる心の奥に、悩んでいない完全完璧な心がある。という前提に立つ。その立ち位置からのカウンセリングなのです。

そして、その完全完璧な心のことを『真我』と言うのです。

相手を癒やすカウンセリングではない相手の真我に的を当てたカウンセリングなのです。しかしその結果、相手は自分自身で自分の心を癒やしていくのです。

相手を癒やすという発想は相手が不完全であるという発想です。

しかし真我カウンセリングは、相手が悩み苦しみを表現していても、その奥には完全完璧の真我の心が在るという前提に立つ。

相手の方がカウンセラーからも不完全だと見えたとしても、相手は完全だという大前提に立つのです。

そして徹頭徹尾その前提を崩さないのです。

そして、真我カウンセリングでは相手の話を聴くことは大前提ですが、『聴く』ことが目的ではない。  

目的は、カウンセラーが、相手の『真我の鏡』になり、相手が真我の心に目覚めることです。

相手の言葉、そしてその奥の相手の。そしてさらにその奥にある相手の神の心・仏の心・宇宙の心・愛と感謝と喜びに溢れた心=即ち=真我を、カウンセラーが鏡となって相手の方に返していくのです。

相手の心の闇を、カウンセラーが光の鏡となって愛の光で返していくのです。

愛の鏡返しをするのです。

クライアントは、カウンセラーが映し出した鏡から自分自身の姿を見て、自分の言葉と心・・そして自分の真我を観て、自ら問題の答えを見つけていく。

聴くことによって相手の言葉を吸収するに留まらず、カウンセラーが、相手の心と言葉と真我の鏡となって返していくのです。

だから、カウンセラーには知識も知恵も経験も技術も必要ないのです。

人間であれば誰でもできるのです。

しかし・・これがなかなか上手くいかないのです。

なぜ上手くいかないのか。そしてどうすればいいのか。

それを次回に書きます。

ありがとうございました。