心の学校・佐藤康行の『真我の実践・サンタ営業の実践』日誌…『ひよこ』から『にわとり』への道

うつに苦しみ社会離脱した人間が真我(=本当の自分)に目覚め、サンタ営業実践の日々と開発者・佐藤康行の言霊を紹介します。

【第338回】【自説】真我プロカウンセリングはカウンセリングではない。~NO.5~

2019-10-15 09:44:06 | 日記

前回から続きます。

このテーマで、ブログを書いているうちに、少し何を書きたかったか思い出してきました。

なぜ、真我プロカウンセリングが、上手くできないのか。愛の翻訳が難しいのか。

以下私なりの答えです。

答えは

カウンセラーの立場となる人が「カウンセリングをしよう。」と自分の頭で思ってしまうこと。

「愛の翻訳をしよう。」と自分の頭だけで考えてしまうことが原因だと思っています。

その結果、「プロカンが上手くできない。何を返したらいいかわからない。」という悩みにつながってくるのではないかと、私は思います。

なぜか、プロカンとは「相手の鏡になること。」と私は理解しています。

そして、プロカンの基本は、

①言葉のオウム返し

②心のオウム返し

③真我のオウム返し。

これだけ。これ以上でもこれ以下でもない。

(なお、私は最近のプロカン講座は全く出ていませんので、悪しからずご了承ください。もしかしたら、最新の手法が出ているかもしれませんね。)

要はこれ以上のことをやろうとしたり、やらなかったりすると、即、真我のプロカンではなくなり、巷のカウンセリングの領域に入り込んでしまいます。

相手の言葉を返す、そして相手の心の中にあるものを返す。そして相手の真我を返す。これだけ

さあ、皆様いかがでしょうか。

なぜ、

「カウンセリングをしよう。」と自分の頭で思ってしまったり、「愛の翻訳をしよう。」と自分の頭で考えてしまうと、なぜ真我プロカンが上手くできないのか少し見えてこないでしょうか。

自分の心の中で、そう思ったその瞬間、相手の事が見えていません。相手の言葉も、相手の心も、相手の真我も見えてこないのです。

その瞬間、真我プロカンはできなくなってしまうのだと私は思います。

「カウンセリングをしよう。」「愛の翻訳をしよう。」と思っている人は誰ですか?その主語は誰でしょうか?

答えは言うまでもなく、自分ですね。

自分が主人公になっています。

自分が、相談者を材料にして、愛の翻訳をしようという、自分の心の世界になってしまっているのです。

真我のプロカンは、100%相手中心なのです。相手が主人公なのです。

カウンセラーが主人公ではないのです。

カウンセラーが主人公になってしまった瞬間に、相手の心は、一瞬にして見えなくなってしまいます。

カウンセラー一人の世界に入ってしまい、相手の心が一瞬にして見えなくなってしまうわけですから、当然、愛の翻訳なんてできるわけがありません。

それでは、どうすればいいのか。

はい、それは、真我プロカンは100%相手中心、相手になり切る事だと私は思っています。

これを次回に書きます。

なお、この内容については、私の書いていることを鵜呑みにせず、あくまでもご参考程度にして頂ければと思っています。

そしてプロカンに関する質問は、絶対佐藤学長に質問されるのが良いと思います。

ありがとうございました。