最近の豪雨には閉口です
今年の梅雨は空梅雨か?と思ったが7月に入ってからの九州での豪雨被害には驚くばかりである。ここ東海地方でも昨日は川の氾濫もあり、連日の日本列島の荒れ方に悲しくなる。自然現象には逆らえないことはわかっているが、発達させてきた人間の科学(叡智)でもって予知とか防御できる方法を生み出せないものか・・と思ってしまう。
7月と言えば娘のまる3年の命日を迎える
生物のなかで人間は科学を発達させてきた。医学・医療は非常に進歩していると聞く。難しいとされた病気も治っているものもある。しかしその進歩した医療をもってしても限界というものがあるのも現実である。7月の暑い時期は娘の痛く・つらく苦しんだ時なので、いつもいつも暑さと同期して思い出す。
「死」はある意味「寿命」ととらえることもできようが、「試練」かもしれない。運命とはいえ難治な病気にかかったときは、一層この死というものを意識する。
今我が家の愛犬も秋になると15歳になる。娘と同じ心臓病で、動物病院では末期と言われている。心臓肥大でそれが呼吸器官を圧迫している。ほとんど寝ているがそれ以外は咳が激しい。3種類の薬を一日に二回。ドッグフードも心臓サポート(ナトリウムのないもの)、胃腸系のサポート。これらを昨年の11月からやっていて、調子の悪いときは点滴もしている。
人間であっても犬でも、その生命を人らしく、愛犬らしく、見つめながら・・・納得のゆく医療がなされなければならないと思うし、そのために家族は看病すると思う。娘と犬を同じにしてはいけないが、この頃こう考えている。
強い苦痛を持つ病気に侵され治癒の見込みがないとされたとき、娘はどう考えたのだろうか?最後まで医師を信じて手術に臨み闘った。(結果は手術途中で亡くなった。) 最後は自分の判断で行った。
こうして月日ははや3年たった。
年月の経過は容赦なく速く進んでいく。笑ってしまう言葉で「人生には上り坂、下り坂、そして まさかがある」っていう。 まさか?は別として、人生は毎日の坂道を少しずつ上ってゆく。知らずに上っていくと、その先に静かな死が待っている。そんな気がする。
さ~て私は・・・ 好きなことを楽しむ。小さなことにこだわらない。複数の人と食事をする。
今健康と思っている間はこの3つをモットーにしよう。そして猛暑を乗り切ろう。(愛犬トマトとね)