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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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熱海旅行(2日目)(MOA美術館・起雲閣)

2018年08月24日 | おでかけ


今日は曇り時々晴れまたは雨。今朝は上空にどんよりとした雲が広がっていたが、次第に雲の合間から青空が広がってきて、日が射し始めた。朝の気温は 25℃で熱帯夜となった。南よりの風が吹いていて湿度が高く、ムシムシとした陽気である。ただ、ここ熱海は海が目の前に広がっているということもあって、海風が気持ちよかった。
宿泊していた旅館で朝食を食べると、朝風呂に入った。旅館に3カ所ある大浴場は男女入替制になっていて、この時間は旅館の5階建ての建物の4階にある大浴場に入る。露天風呂もあって、湯船からは相模湾が一望できた。

今日は熱海の街を散策することにしている。昼前に旅館を出ると、旅館の送迎バスで熱海の山の上にあるMOA美術館に行くことにした。MOA美術館は相模湾を見渡す高台に建つ「海の見える美術館」で、エントランスから美術館本館まで3基のエスカレーターを使って昇っていく。


本館前の相模灘を望むムア広場と呼ばれる広場にはヘンリー・ムーアのブロンズ像「王と王妃」が設置されている。この広場から本館までは急な階段が設けられているが、この階段を登らなくても、建物の中を4基のエスカレーターで登ることができる。もちろん、エスカレーターを使って本館2階まで登った。


メインロビーに入ると左手に黄金の茶室が展示されている。この黄金の茶室は豊臣秀吉が大阪城内や茶会で組み立てた黄金の茶室を復元制作したものである。


右手奥は展示室になっている。今月28日までは吉田博木版画展を開催しており、画家吉田博の水彩画や油彩画、木版画などが約80点の作品が展示されている。これら展示の中に混じって、MOA美術館の所蔵する国宝「色絵藤花文茶壺」等も展示されていて、なかなか見応えのある展示となっていた。


2階の展示を見た後は1階の展示室に降りて、MOA美術館の所蔵品を見て回る。その後は本館の外に出て、茶の庭に向かった。茶の庭の入口には神奈川県大磯町の三井家別邸 城山荘内にあった唐門が建っている。


この門をくぐって、中に入る。庭園内には茶室や尾形光琳の屋敷を復元した光琳屋敷、豊臣家重臣片桐且元が薬師寺の普請奉行をつとめた時の宿舎の正門であった片桐門などがある。
庭園を一周し、本館に戻る。1階のカフェでお茶をした後、MOA美術館を出た。

午後は熱海市街地の中にある起雲閣に行くことにした。起雲閣まではバスを乗り継いで行くことも考えたが、目の前にタクシーが停まっていたので、タクシーで起雲閣に行くことにした。


熱海市指定有形文化財となっている起雲閣は大正から昭和時代にかけての実業家・政治家である内田信也が別邸として建設したのが始まりで、その後、鉄道王の異名を持つ根津嘉一郎の手に渡り、戦後は旅館として開業した。平成に入り、熱海市が観光の拠点として整備し、一般公開をしている。


建物は広大な庭を囲むように配されていて、建物もまた広い。


旅館として営業されていた時期は、山本有三や志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治などの文豪が宿泊しており、文豪にまつわる資料も展示されている。


建物を一巡したところで、入口脇にある喫茶室「やすらぎ」でお茶をすることにした。

( 今日のスイーツ(御抹茶と和菓子@喫茶室やすらぎ) に続く )

喫茶室を出た後は起雲閣の庭に出た。庭には池が配置されていて、池の周囲を巡ることもできる。庭から見る起雲閣の建物群は一部後世に整備された建物を除き、昭和の雰囲気を感じさせるモダニズムな建築様式で、見ていて飽きない。


庭を一巡した後、起雲閣を出て熱海駅に向かう。今日は熱海海上花火大会があるので、旅館の夕食を早めに予約しておいた。そのため、あまり遅くならない内に旅館に戻ることにしていた。起雲閣からはバスで熱海駅に戻るつもりだったが、バスに乗れずに熱海駅まで歩いて戻った。熱海の街までは急な坂もあったが、昨日の伊豆山神社から熱海市街地まで戻る行程に比べるとだいぶ楽だった。
熱海駅前から旅館の送迎バスで旅館に戻ると、少し休憩をして、旅館で夕食を食べる。食事を済ませると、早々に部屋に戻り、カメラをセットして、花火が打ち上げられるのを待った。

熱海海上花火大会は午後8時20分から50分までの30分間で実施される。旅館の仲居さんに聞くと、雨が降っても風が吹いても花火は打ち上げられるというのが凄い。

花火大会のスケジュールは以下の通りである。
20:19 プロローグナレーション
20:20 弟1ステージ オープニングカウントダウン
20:30 弟2ステージ 水上の花火展覧会
20:40 弟3ステージコンピューター制御デジタルスターマイン
20:49 ファイナルステージ 最終最大の一大スペクタクル 大空中ナイアガラ
20:50 エピローグナレーション

花火を打ち上げる会場は岸から順に第1会場、第2会場、第3会場の3つに分かれていて、プログラムによっては全会場で花火が打ち上げられる。ちなみにナレーションはホテルからは聞こえないので、時計を見ながら暗い海を眺めた。
花火は時間通りに打ち上げられた。打上花火を見るのは3年ぶりだろうか。途中、にわかに嵐のような強い雨が降ってきたが、花火は何事もないかのように打ち上げられている。おそらく浜で楽しんでいた人たちはずぶぬれになったのでは無かろうか。


最後にフィナーレを飾る「大空中ナイアガラ」が打ち上げられて、その美しさに目を奪われた。花火が終わると、カメラを片付ける。その後、旅館の大浴場で温泉に浸かって、昼間の疲れを癒した。

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熱海旅行(1日目)(伊豆山神社)

2018年08月23日 | おでかけ


今日は晴れのち曇りときどき雨。今朝は上空に青空が広がっているが、南の空の地平線付近に綿あめのような雲が見えた。朝の気温は24℃で風は無いものの、湿度が高く、少し蒸すような陽気である。朝から強い日射しが降り注いでいて、日の当たるところに出ると、肌を焦がすように暑かった。
今日から2泊3日で妻と熱海に旅行に行く。熱海までは新幹線ではなく、東京から特急「踊り子」で行くことにした。特急は10時発なので、いつもより遅く家を出ることも考えたが、平日ということもあり、いつもと同じ時間に家を出て、東京駅構内のカフェでモーニングを摂ることにした。

特急「踊り子」は定刻通りに東京駅を出発した。


熱海駅に到着したのは11時21分である。東京駅から車窓を眺めていたが、熱海駅にはあっという間に到着した感がある。


熱海駅に着くと本日宿泊する予定の旅館に行き、荷物を預けて熱海を散策することにした。旅館は地図で見ると、駅近のイメージがあったが、高低差があって、旅館のロビーに着くまでにたっぷりと汗をかいてしまった。
旅館でチェックインを済ませると、荷物を旅館に預けて最初の目的地である伊豆山神社に足を運ぶことにした。

今日は暦の上では処暑となる。立秋を過ぎて暑さが収まってくるとの意味合いで、この熱海では最高気温は28℃と、昨日の東京のような暑さにはならなかった。ただ、この熱海は海が近くて、海風が吹いてくることもあって、東京よりは涼しく感じられる。
天気予報では午後、天気が悪くなるとのことだったので、お昼を食べずに伊豆山神社にバスで行くことにした。熱海は山と海に挟まれた温泉郷で、駅から山に行くにしろ、海に行くにしろ、かなりの勾配の坂や階段を上り下りする必要がある。伊豆山神社は地図で見ると駅からそう遠くはないように思えたが、歩いて行くと大変な気がしてきた。

駅前のバス乗り場からバスに乗って「伊豆山神社前」停留所で下車する。この停留所前にある鳥居から189段の階段を上がったところに本殿がある。


この階段の途中、鳥居があり、鳥居から本殿までは180段ある。


なお、伊豆山神社の参道は伊豆山浜からとされており、伊豆山浜から神社本殿までは887段あるとのこと。
本殿の鳥居をくぐる。境内は伊豆の御山、子恋の森の一部で、相模湾を一望する場所である。


鳥居の右手に社務所、左手に手水社がある。手水社で口と手を清めて奥の正面にある本殿で参拝した。


伊豆山神社は関八州総鎮護と称し、御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、拷幡千千姫尊、瓊瓊杵尊の三柱となっているが、由緒によると応神天皇の御世に大磯の海に出現し、仁徳天皇の御代に日金山に飛来し祀られたと伝える伊豆大神の御神影をあらわした木造男神像を本殿に祀っているとのこと。
この本殿の裏にある山の頂には本宮があるが、そこまでは片道30分程度歩いていく。今日は天気も悪いこともあって、本宮の参拝はあきらめ、入口にある白山社遙拝所を参拝した。

この神社は伊豆の蛭ヶ小島に配流されていた源頼朝が崇敬していた神社で、当時、頼朝と政子が結ばれたのがこの神社ということである。境内には頼朝と政子の腰掛け石がある。


また、本殿の手前左手には瓊瓊杵尊を祀る雷電社があり、その前に光り石と呼ばれる石が置かれている。この光り石は走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山高来神社より道祖神とともに来た神様の降り立つ石とのことで、触ったり座ったりすることができる。自分も石のパワーにあやかろうと、座って休憩を取ってみたりした。


この神社の境内からは熱海の海が望める。天気が良ければ初島大島を望むことができるとのことであるが、残念ながら今日は天気が悪くて、初島ですら、島影すら見えなかった。


社務所で御朱印を頂くと、参道の石段を下りて、伊豆山浜の傍にある走湯神社に向かうことにした。


本殿から走湯神社までは821段の階段を下りていく。


走湯神社は走湯温泉湧出口と呼ばれる横穴のある小丘の上に鎮座している。


この神社の真下にある走湯温泉湧出口は洞窟の奥に源泉がある。洞窟の中はスチームサウナのような状態で、メガネがたちまちの内に曇ってしまった。洞窟から出ると、洞窟の外の外気が涼しく思えたほどである。


走り湯の前には足湯があって、ここで疲れた足を暫しの間、癒すことにした。この足湯は午前9時から午後4時まで無料で使用することができる。眼前には熱海の海が広がっていて、気持ちがいい。海の向こうには初島の島影が姿を現した。


しばらく休憩をした後、足湯を出て国道まで上がると、国道沿いに熱海市街地に向かうことにした。本当はバスに乗りたかったのだが、時刻表を見ると次のバスが来るまで30分待つ羽目になりそうである。そこで、歩いて熱海の海岸まで行くことにした。
伊豆山神社参道入口から熱海サンビーチまでは歩いて30分ほどで着いた。熱海サンビーチの一角に尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の主人公の貫一とお宮の切ない別れを再現した「貫一お宮之像」がある。熱海の名所でもある。


海岸を少し歩いた後で、熱海駅に向かった。熱海駅南口には駅ビル「ラスカ熱海」がある。涼を取るつもりで、駅ビルに入った。

( 今日のスイーツ(宇治金時クリーム(白玉入り)@間瀬CAFE) に続く )

店を出ると、既に時間も15時を回っている。ラスカ熱海を出ると、駅前のコンビニで買い物をする。店を出て、再びラスカ熱海の前に戻ると、ちょうど目の前に送迎バスが停まっていたので、これに乗ることにした。
熱海駅から旅館まではバスで10分ほどで着いた。旅館に着くと、早々に温泉に入って汗を流した。

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山梨散歩(猿橋)

2018年07月13日 | おでかけ


今日は晴れ。今朝は上空に薄い雲と青空のマーブル模様が広がっていて、強い日射しが燦々と降り注いでいる。朝の気温は24℃で風は無く、湿度が高くてムシムシとした陽気である。
今日は代休でお休み。明日からの3連休をあわせると、4連休になるのだが、そもそもそんなつもりで代休を入れたのではなく、予定表を見て、休める日に代休を設定したので、結果として4連休になったという感じである。

そのため、今日は特に予定が無い。しかし、外はいい天気なので、どこかに行ってみたい気がする。どこに行くか考えてみた。
ふと思いついたのは山梨県の猿橋である。これから夏休みシーズンで高速道路も渋滞で車列ができる。その時によくテレビやラジオの報道で「猿橋バス停付近を先頭に…」とよく聞く。その猿橋に行ってみようかと思いついたのである。

朝、8時くらいにカメラと御朱印帳を持って家を出る。猿橋で御朱印がもらえるとは思わないが、沿線に高名な寺院や神社があれば、参拝して御朱印をもらおうというつもりである。
電車に乗って八王子駅に出ると、乗り換えて松本行きの普通電車に飛び乗った。猿橋駅に着いたのは9時5分である。


改札を出て駅北口に降りた。駅前は何も無くて、寂しい感じのする駅である。駅前にはタクシーが2台客待ちで停まっている。駅から猿橋までは国道20号線を東京方面に歩いて1km程度のところにある。歩いて15分くらいといったところか。
既に外は強い日射しが燦々と降り注いでいる。気温はまだ30℃に達していないようだが、既に汗だくである。幸い、道路を歩いていくと、猿橋までの案内が随所に現れる。飲み物を飲みながら猿橋に到着した。


日本三奇橋の1つである猿橋は桂川の渓谷にかかっていて、橋の長さは30.9m、橋の幅は3.3mで、橋から水際までは30mある。ちなみに日本三奇橋の他の橋は岩国の錦帯橋と木曽の棧(かけはし)である。
橋は推古天皇の頃(600年頃)百済の人が、猿が藤蔓をよじ、断崖を渡るのを見て橋を造ったとの伝説がある。史実では1486年にこの地を訪れた門跡道興が詩文を残し、過去の架け替えや伝説に触れているとのことである。昭和7年に国の名勝指定を受けた橋は江戸時代嘉永4年(1851)に架けられた出来高帳により、昭和59年に架け替えられているとのこと。


下から見上げると、ユニークな造りをしている。両岸から張り出された4層に及ぶはね木の上に橋が架けられている。渓谷が深いため、橋桁を作らずに当時としては長い橋をかけるのはなかなか困難だったと考えられる。周囲の自然と調和した風景は安藤広重の浮世絵の1つ「甲陽猿橋之図」に描かれているとのことである。


橋からは桂川に降りることができるが、下から見上げることのできる展望台からは木々が鬱蒼と茂っていて、全体を見ることができない。ただ、猿橋の西側に架けられている新猿橋からは橋の全体を見渡すことができる。


ちなみに猿橋の先に見えるのは明治45年に送電を開始した東京電力八ツ沢発電所の一号水路橋で、こちらは重要文化財に指定されている。


鉄筋コンクリート造単アーチ橋で橋の長さは42.7mある。


猿橋の周囲は住宅地となっていて、特に何があるわけでもない。橋の袂にある蕎麦屋はまだ営業を開始しておらず、猿橋から国道20号に至る道には土産物屋が何軒か軒を連ねているが、どこも客はいなかった。

( 山梨散歩(恵林寺・放光寺) に続く )

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山梨散歩(恵林寺・放光寺)

2018年07月13日 | おでかけ


( 山梨散歩(猿橋) から続く )

ここまで来て、このまま帰るのは少々勿体ない気がした。とはいえ、この周辺に何か見るべきところもなさそうだ。一旦、猿橋駅に戻り、駅の時刻表を何の気なしに見上げる。その中に塩山の駅名を見たとき、頭にひらめいたものがあった。そうだ、塩山にある戦国大名の武田信玄の墓がある恵林寺に行ってみよう。
ずいぶんと前に日帰りで恵林寺に行く計画を立てていたことがあった。その時の計画はすっかり忘れていたが、とりあえず、塩山に行けばなんとかなりそうな気がしてきた。ホームに降りると、ちょうど目の前に松本行きの普通電車がやってきた。迷うことなく電車に乗った。

電車の車内でスマホを立ち上げて、バスの時刻表を見ようとしたのだが、スマホのバッテリーがあっという間に消費されて、電源が落ちてしまった。仕方ないので、モバイルバッテリーでスマホを充電しつつ、車窓を楽しみながら塩山を目指した。
猿橋から塩山まではおよそ40分の行程である。塩山駅には11時10分に到着した。


塩山駅のホームから階段を上がり、改札を出る。改札脇には観光案内所を併設した売店「KIOSK」があり、観光案内所恵林寺までの交通手段を聞いてみる。すると11時25分発のバスがあることが判明。このバスに乗って恵林寺まで行くことにした。本当は駅前の飲食店でランチでも食べたい気分だったが、バスは1日に5本しかなく、次のバスは2時間後に出るとのこと。お昼を食べている暇は無かった。
駅から恵林寺まではバスで約10分余りで到着した。距離にして4km程度あるとのことだが、この暑さの中、1時間も歩くのは自殺行為である。バスが無ければタクシーで行けば良い。観光パンフレットによると1500円程度で行けるようである。

恵林寺は臨済宗妙心寺派の寺で、1330年に創建された。関東準十刹の寺格を有する寺で当時の地頭職であった二階堂貞藤が夢窓国師を招き、自邸を禅院としたのに始まるとのこと。戦国時代に入り、武田信玄の尊崇を受けた快川国師(紹喜)の入山で寺勢を高め、武田の菩提寺と定められた。
しかし、1582年に武田家滅亡の折、織田信長の兵火に遭い、諸堂宇が灰燼に帰した。その中で快川国師は「心頭滅却すれば火自ら涼し」との辞世を残したと言われている。


バス停から恵林寺の方を見る。駐車場の奥に見えるのは総門である。


総門をくぐると長い参道がある。参道の両脇には大きな杉並木が植わっていて、木陰を作っている。


参道を抜けると赤い門が見えてきた。四脚門である。通称「赤門」と呼ばれるこの門は重要文化財に指定されている。徳川家康の再建と伝えられる物で、極めて簡単な構架であるが、全体に木割が大きく、その意匠は雄大であり、桃山期の豪放な気風をよく表している。


四脚門をくぐり、境内に入る。左右の池に挟まれた参道を進むと、正面に三門が見えてきた。三門には快川国師の「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」の文字が柱に書かれている。


三門をくぐると、正面に開山堂が見えてきた。


開山堂の中には夢窓国師、快川国師の木像の他に末宗和尚の木像が安置されている。末宗和尚は快川国師の弟子で、織田信長の兵火から逃れ、その後、徳川家康に命じられて恵林寺を再建したとのことである。


開山堂の左手には仏舎利宝塔(三重塔)がある。


右手正面には信玄公宝物館がある。この1階の窓口で恵林寺宝物館の共通券を買い求めた。まずは恵林寺の拝観をすることにして、宝物館と開山堂の間にある通路を北に向かい、通用門をくぐった。


通用門をくぐると、右手に庫裏があり、左手に本堂がある。


庫裏の中に入ると、窓口があって、そこで、御朱印を頂くことにした。なお、拝観しない場合は御朱印はあらかじめ紙に書いた物を買うことになる。拝観する場合は御朱印帳に書いていただける。
拝観順路は大庫裏から禅堂、方丈(禅定閣)と続き、うぐいす廊下を渡って、武田不動尊堂に入り、武田信玄公之墓の脇を通って柳沢吉保廟の前を通り、方丈の裏手の夢窓国師築庭の庭を見ながら入口に至る。


まずは禅堂の中の一室に入った。大庫裏と方丈に挟まれた禅堂の前には小さいながらも中庭がある。中庭と反対側には玄関がある。静謐な空間の中に凛と張りつめる空気を感じることができた。
本堂にはご本尊の釈迦如来が安置されている。方丈の前庭は開山堂の裏手に当たる。この庭は枯山水式の石庭になっている。力強い枝振りの松がそびえ、西の脇に勅使門がある。


方丈の前を通り、うぐいす廊下にさしかかった。うぐいす廊下は人が床の上を歩くことにより、きしみ音が鳴るように作られている。外部侵入者の危険探知の為に設けられたのがはじまりで、廊下を歩くとうぐいすの鳴くような音が聞こえてくる。
このうぐいす廊下の先にあるのが明王殿である。この明王殿に安置されていている等身大の武田不動尊像は武田信玄公が生前に対面で模刻させたという。この明王殿の裏手にあるのが武田信玄公墓所である。毎月12日のみ特別公開されているということで、昨日来れば、拝観できたのだが、それは仕方ない。この公募所の脇を進むと柳沢吉保公墓所がある。柳沢吉保は徳川綱吉の側用人で武田氏の家臣であった柳沢氏の一族に連なる。

柳沢吉保公墓所の前を通り、方丈の裏手に出た。目の前には夢窓国師築庭の庭園が広がる。国の名勝指定を受けているこの庭園は心の字池を中心に木々が植わっている。


この庭を進むと、先ほどの禅堂の前の中庭が右手に見えてくる。ここで右手におれて大庫裏の脇の廊下を歩いて入口に出た。入口の窓口で預けていた御朱印帳を受け取り、大庫裏を出た。
大庫裏を出た後は、信玄公宝物館に入る。2階建ての宝物館の1階は武田氏に関連する資料が展示されていて、2階には柳沢家の大名調度品が展示されていた。なかなか見応えがあって飽きさせない。しかも館内は涼しくて気持ちが良かった。

宝物館を出ると、再び強い日射しが降り注いできた。塩山の昼間の最高気温は34℃にまで達し、弱い北風が吹いているもののかなり暑くなった。山梨は盆地なので湿度は低く、カラリとした暑さである。木陰に入り、じっとしていると風が心地よく感じられた。
恵林寺境内を一巡したところで、帰りのバスまでにまだ余裕があることを確認して、恵林寺の北側にある放光寺に足を伸ばすことにした。


放光寺は鎌倉時代の武将源義光(新羅三郎)の孫である安田義定の創立の真言宗智山派の寺である。安田義定は平安時代末期に源氏の側について平家と戦ったが、鎌倉幕府成立後、謀反の疑いをかけられて排斥されている。戦国時代、武田信玄はこの寺を祈願所に定めたとのことである。その後、武田家滅亡の折にことごとく無に帰したものの、徳川家康の保護を受けて、義定の直子孫である保田宗雪が中興開基となり、現在に至るとのことである。
総門をくぐり、境内を進む。やがて、仁王門が見えてきた。この仁王門は現在地から1キロほど南にあったものを江戸時代に入り、今の場所に仁王門を建て、金剛力士像二体を移したものとされている。


左手にある吽形像が配されている。


右手には阿形像が配されている。


左手にある吽形像と右手にある阿形像は共に総高2.7mを有し、腰部のみ着衣し、上体に天衣をまとっている。造立は鎌倉時代前期と考えられているが、阿形像は体内から発見された木札から江戸時代に修復を受けているということがわかっているとのことである。
仁王門をくぐって境内に入る。こじんまりとした境内は静謐で、参道に木陰ができていて涼しげである。境内を進むと、途中で二手に分かれる。正面に進むと本堂正面の三門に到着する。


右手に行くと寺務所のある大庫裏の正面の門に到着する。


本堂と大庫裏は隣接していて、廊下でつながっている。まずは本堂に向かった。


元禄時代に再建されたという本堂の右には玄関を挟んで慶長年間に再建されたという大庫裏がある。


左手には天弓愛染明王を祀った愛染堂がある。このお堂は天正年間に再建されたとのこと。


更に左手正面には宝物殿がある。宝物殿には本尊の大日如来像が安置されている。


まずは大庫裏に向かい、寺務所で御朱印を頂くことにした。御朱印は本尊の大日如来と天弓愛染明王の御朱印を頂く。寺務所に御朱印帳を預けて、その間にお堂の中を拝観することとした。拝観経路は大庫裏から本堂、愛染堂、宝物殿の他に奥に開基堂、庭園を回り、大庫裏に戻る順路となっている。
本堂まではお寺の方に案内してもらい、その後は自由に参拝をする。まずは愛染堂に向かった。愛染堂に祀られている天弓愛染明王は、天弓愛染明王では日本最古の仏像とされている。


愛染堂を参拝した後は順番を間違えて開基堂に向かってしまった。開基堂は毘沙門天を祀っている。


開基堂の裏手に放光寺を創立した安田義定の墓がある。愛染堂を回ったところで宝物殿に行っていなかったことに気づいて、宝物殿に向かった。宝物殿には大日如来像が安置されている。木像大日如来像は先に参拝した天弓愛染明王と同様、放光寺創建時の造立とされている。大日如来像は江戸時代と昭和の時代にそれぞれ修理されている。
宝物殿を出ると、愛染堂を伝って本堂まで戻り、本堂の裏手にある庭園を望んだ。


庭園を後にして、本堂の廊下を通って大庫裏まで帰ってくると、大庫裏と本堂の間の一室にお茶とお菓子が用意されていた。お菓子は煎り小豆で作ったオリジナルのもろこしで、表面には「放光寺」と書かれている。


お茶は冷麦茶で紙コップに自分で注いで、まずは少しお茶を飲む。喉が潤ったところで、お菓子を口に運んだ。もろこしは少し脆い感じのする堅い菓子だが、口の中に入れると甘い粉がさらさらと溶ける。それを再び冷麦茶で飲んだ。


冷麦茶を飲み干すと、寺務所の窓口に戻る。ここで御朱印を頂いた御朱印帳を受け取り、寺を後にした。
時計を見ると既に午後3時を回っている。帰りのバスは恵林寺を15時29分に発車するバスで、しかもこれが終バスである。時間があれば、恵林寺付近でほうとうを食べるつもりでいたが、それもできなさそうである。

バスに乗り、恵林寺から塩山駅に出る。塩山駅に着いたところで、少々お腹が空いた。塩山駅南口のロータリーの周囲にはいくつかの飲食店が並んでいる。そこで、ここで遅いお昼を食べることにした。

( 今日のランチ(おざら@ほうとうの塩山 夢之家) に続く )

お昼を食べた後、塩山駅の改札を抜けてホームに降りた。ちょうどホームには高尾行きの普通電車が滑り込んでくるところだった。この電車に乗って高尾駅に向かう。塩山駅から高尾駅までは1時間20分程度かかった。
高尾駅から東京行き快速電車に乗って帰宅の途についた。途中、豊田駅で途中下車して、イオンモール多摩平の森で買い物をして帰宅する。

今回は行き当たりばったりの日帰り旅になってしまったが、なかなか面白かった。山梨は武田信玄ゆかりの寺が多く、なかなか見所もある。また、休みを取って来たいところである。
それにしても、今日は暑くて疲れた。

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小笠原諸島父島出張(竹芝着)

2018年05月30日 | おでかけ


今日は曇りのち雨。朝起きたのは4時である。今日の日の出は4時35分ということで、デッキに出てみたのだが、今朝は上空にどんよりとした雲が広がっていて、日の出をみることはできなかった。ただ、水平線近くの雲が明るくなって、日の出を迎えたことを知った。
一旦、船室に帰り、再び布団の中に潜り込んだ。特にすることも無いので、寝るか、テレビを見るか、海を眺めるしかない。テレビは見ない主義なので、再び目が覚めると、7時を過ぎていたので、朝食を食べに行くことにした。

( 今日のカレー(ほうれん草のグリーンカレー@展望ラウンジ Hahajima) に続く )

朝食を食べた後は自室で読み物を読んで過ごす。ケトルで湯を沸かし、持参してきたスティックコーヒーでコーヒーを飲む。外は曇り空だが、海は比較的凪いでいて、あまり揺れないのが嬉しい。
やがて、4階デッキのレストラン「Chicijima」でランチの営業が始まったことを告げる船内アナウンスが流れてきた。何もしなくても、お腹は減る。揺れる船に乗っているだけで、少しは体力を使用しているのだろうか。

( 今日のランチ(天丼@レストラン Chichijima) に続く )

お昼を食べるとデッキに上がる。昼間の最高気温は22℃と小笠原諸島にいたときの気温に比べると、だいぶ涼しい。船の上なので、湿度は100%に近く、船の進行方向から吹く風がヒンヤリと感じられる。


左舷には大島の島影がうっすらと見えているが、右舷には房総半島が間近に迫っていた。再び左舷デッキに目を転じると、いくつもの船が航行しているのがわかる。その中には海上自衛隊の護衛艦「いずも」の姿がある。


その先に三浦半島が見えてきた。12時半頃に久里浜沖を通過し、東京湾に入った。


浦賀水道に船が入るとぐっとスピードを落とす。スマホのアンテナが立つようになったので、スマホでメールやフェイスブックのページを確認しながら船室の窓の外を眺めた。スマホで地図を確認しながら、風景を見ていると、なかなかそれはそれで楽しいが、船のスピードが遅々としているのがもどかしい。
船が竹芝客船ターミナルに接岸したのは15時過ぎである。

下船が開始されたのは定刻よりも10分ほど前である。竹芝客船ターミナルからはタクシーで新宿に移動した。午後4時前に新宿に着くと、外は弱い雨が降っている。
職場に戻り、出張後の手続きを済ませると、そのまま業務に就いた。

仕事は夜までかかり、ようやく帰宅の途につく。外は弱い雨が降っていて、地下道を通って新宿駅に出た。新宿駅から少しでも座って帰りたい気分だったので、中央総武各駅停車線に乗って三鷹まで座って行き、三鷹駅で乗り換えて中央線快速電車に乗った。
中央線快速電車はそれほど混んでいなかったが、結局、立川まで座れなかった。日野駅で下車し、傘を差して帰宅する。家に着くと、急に緊張感が抜けて、疲れがどっと襲ってきた。

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