・ぼくが岡潔とウディ・アレンに学んだこと──独立研究者・森田真生が歩く「情緒ある数学の世界」<--リンク
なかなか面白い考察でありますなあ。
特に
自然科学は、よくも悪くも進み続けることで自己維持しています。それによって凄まじい勢いで「事実」が積み重ねられ、その積み重ねが経済や技術と繋がって思いもしない「行動」を生み出していく。
・・・・・
AIの凄まじい発展を見ていると、「ひたすら事実と行動との尊重から平和を案じ出そうとする現代の焦燥」というこの言葉をつい思い起こしてしまいます。・・・
というのは興味深いものがあります。
2012年、数学界に激震が走った。
30年近くだれも解けなかった「ABC予想」を京都大学教授の望月新一が証明したというのだ。
ただ、その証拠である論文は「異世界からきた」と思われるほど難解で、誰にも理解できなかった…。
それから、3年の時を経て、数学界最大の謎に立ち向かうべくイギリスでカンファレンスが昨年開かれた。
そこで一体何が起きたのか。
2016年7月下旬から、再度京都で開かれるカンファレンスに備え、レポートを緊急掲載。
[15年12月21日のQuanta Magazine掲載の記事を翻訳・転載]<--リンク
さて、奇妙な事ですね。
数学というのは三段論法、ロジックの積み重ね。
基本的にはそうなっているはずです。
したがって、論文に書かれた内容が正確であれば即座に数学者には理解されるはずなのですが、、、。
事実はそうではない様です。
これが物理学の場合ですと、物理的存在、、、というもののイメージがありますから、そういうふうにはいかない、物理学はどちらかというと「自然は実はこうなっている」という「発見」という側面が強いのです。
しかしながら、数学は人の創造物、論理的な創造物だとすれば、それは、正しく書かれたろんぶんであれば即座にその理解は共有されるはず、、、なのですが。
ちょうど正しく書かれたプログラムはすべてのコンピュータの上で正しく動くように。
でも、そうではなさそうです。
論文の情報量が足りないのか、(つまりはソフトの行数が不足していて製作者の頭の中でしか正しく動かないのか)、それとも、論文はそれでOKなのだが、なぜかほかの数学者の頭の中では正しく動かないのか、白黒つけないといけませんね。