25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

話し合う

2019年04月17日 | 
 「よもやま会」で「海も暮れきる」をなぜ選んだのかその理由を会員の一人から質問された。ぼくは息子に紹介されて放哉の句を知り、あまりにも見事に爆笑したことと、ふんわりとした寂しい光景の句もあって、尾崎放哉とは何者かと思ったときに吉村昭が彼についての小説を書いていることを知ったので読んだら、あまりにもなさけなく悲惨な死に方をしたので、句と本人の落差が面白かったから、と答えた。早坂暁と渥美清も放哉に興味をもっていたことも紹介した。
 すると、「アルコールはこの人の人生を悲惨なものした」とういう人もおれば、「わしらにはできんことをやっとる。東大出て、一流会社の課長になって、酒癖の悪さでやめさせられ、また転職してやめさせられる。肺の病気になって、妻とも別れ、大連から戻り、寺男を転々として井泉水の紹介で、小豆島の南郷庵に落ち着いた。死ぬまでの八ヶ月、お金の無心で手紙を書き、時にやけくそになって酒を飲んでは醜態をさらし、いやごとばかりをいう。普通のときは思っていることを口に出せなかった人だったのではないか。わしはまだ強いからこんな風に生きられん。42才で死ぬが、正直に生きてきた人だと思う」「みんなどこそこ強く生きとるよな」と相槌もでる。
 喉に結核菌が伝染してからの苦しみようはなかった。最後は肛門までも破れた。
 吉村昭はなぜ尾崎放哉を選び、小説にしたのだろう。このあたりのことをいろいろと話し合った。
 吉村昭も最後は舌癌となり、チューブもとってしまって死んだ、と細君から聞いた。

 人生とのケリのつけかたもいろいろだ。たまたまコロリと逝ってしまう人。静かに老衰死する人。今の医学では苦しんで死ぬということはなさそうだ。
 尾崎放哉も辛かっただろう。医学的にも光明というものがなかった。
 会合はしばらく現代の葬式のことに移り、こどもたちが尾鷲を離れているので、義理もできぬと、家族葬にしたり、香典等のお断りをしたりと、ずいぶんと仏教葬式も様子が違ってきている。いずれ小さな寺から順番に消えていくことになるのだろう。わかのわからない、意味不明な経文を唱えられても、ありがたみもなく、ただ慣習でやっているだけである。