25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

令日

2019年04月02日 | 日記
 1日、2日とやけに冷たい空気で桜も身をすくめているようだ。4月はこんなに冷えただろうか。思い出せない。今年の花粉はどうも強烈のようだ。外へでるのも億劫になる。

 ヒラメ釣りを前に録画しておいたので、それをのんびりと観ることにした。細君は娘たちを津駅まで送っていき、ぼくは母親急な電話に備える。
 房総半島には2月になるとイワシがやってきて、イワシを追って寒ヒラメが大原沖に入って来るらしい。寒ヒラメはキロ5000円はするそうだ。餌はイワシである。親バリと孫バリでひっかける。ヒラメの血抜き、捌きかたも紹介してくれる。3kg級を釣っていた。羨む限りである。

 続いて、石垣島でのリーフ(珊瑚礁)フィッシングを観た。沖縄に行くと魚があんまり美味しいと思ったことがないが、「ミーバイ」という魚メニューはよく見た。ミーバイとは何か知ることができるだろうと、楽しみにして観た。釣り人が釣った魚は全部メモしておくことにした。ルアーで釣るのである。以下釣った魚である。タマン、イソフエフキ、イシガキハタ(イシミーバイ)、シロブチハタ(ハヤーミーバイ)、バラハタ(ナカジューミーバイ)、スジアラ(アカジンミーバイ)、クロハタ(ジャコクェーミーバイ)、オジロバラハタ(ナガジューミーバイ) 要するにミーバイとはハタのことなのではないか。カサゴよりは味が落ちる。南の海の魚だから脂はないだろう。
 アマチュアの釣りもすごいもんだ。最後は沖縄三大高級魚といわれるスジアラという、これもハタ系の魚を釣った。60cmのサイズだった。ミーバイはバーベキューで食べたら美味しいのかも知れない。薄造りもいいのかも知れない。
 沖縄にいくと食べる物に困った。何度も行っているうちにだんだんと美味しいものもみつけ始めた。海ブドウ、島ラッキョウがあり、11月になると美味しい巻き貝が出てくる。この貝は尾鷲にはいないが、引本や矢口にはいる。身の崎に刀のような爪がある。名前を忘れてしまった。4、5年前ブログ出てくるはずだ。
 案の定母親から電話がきて、母の不安を解消し、すでに5時を過ぎたもで、食べる物を持っていった。確か朝、薬をテーブルに置いたはずだったが、それがない。すでに飲んでしまったのか、ぼくが本当は置き忘れたのか、判然としない。こういうとき、自分の記憶力も当てにならないな、と思う。
 まっ、令日ではあった。
 

成長の階段を駆け上る

2019年04月02日 | 日記
テレビは新しい元号「令和」のことばかりである。それを思うとテレビやラジオのない時代にはふつうの人は元号など知らずに生きていたのかもしれない。借用書を書いたりするときには日付が必要だったはずだから、そういうときには顔を見せるのだろう。まあ、とにかく現在ほど騒がなかったことだろう。だいたい何にしてもテレビが騒ぎすぎるのである。何においてもそうであるが、肝腎なことには忖度しているように見える。
 今日は娘と二人の孫たちが東京に帰る日で、ようやく喧噪も終わる。明日からまた静かな夫婦二人の生活に戻る。
 長女の7歳の子は一月のときよりずいぶんと成長しているように見える。三歳下の弟は何事においても姉から習えるので相当得しているように見える。ちょうど自分がそうだった。三歳上の姉がいたから足し算や引き算でも、九九でも、漢字でも、姉が習うときに習っていたのだと思う。おそらくなんにも勉強しなくても小学3年生や4年生まではやっていけたはずだ。

 下の弟のほうはとにかく「車、電車」に詳しい。車に乗せて走っているとほとんどの車の名前とメーカーがわかり、特別な車もわかる。電車も同じだ。もう二つ得意がある。県の形をみるだけで県名がわかるのと、世界の国旗を見て国名が言えることだ。
 子供の頭はどうなっているのか。とにかく記憶の力は凄まじいのだろう。
 上の子は小学2年生になる。早生まれなので、どうなることかと思ったがだんだんと追い付いていくものだ。下の弟は幼稚園に入る。集団の中で鍛えられることが始まる。
 息子の娘はようやく小学一年生である。この子は早くから保育園に通っていたので、「ようやく」という副詞がついてしまう。成長の階段を駆け上っていくわけだ。
困難に直面することはわかっている。その耐え方、突破のしかたをいつか言っておきたい。
 この令日にヒノキ花粉が大量に飛び散って鼻がむず痒い。山林主に腹立たしい思いがする。