25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

善意の交換

2019年04月20日 | 日記
 ぽっかりと穴があいたような土曜日で、潮見表を見たら、なんと満月の大潮。これは海に行かないかん、と10時半にはぼくは行野浦の磯にいた。その磯ではいつも行野のおばさんがひじきを採っていたのに、よると年波で諦めたのか、業者らしき男性が鎌をもってヒジキを刈っている。二艘の船と五人の男たち。

 ぼくの目当ては「カメノテ」で、しかもドライバーをもって来たので、今日の夕食分だけ採ればいいわけで、サクサクとカメノテを採った。磯で海を見るという一年の中での習慣のひとつを実行したのだった。これを「保守」というのか、などと思い、内心で苦笑いした。
 ぼくは革新の革新、また革新というやつであるが、革新と普通いわれる革新をあんまり好きではない。
 すると、人生の大先輩美也さんより電話がかかり、コンピュータを買い換えると言う。すぐに貝とりをやめ、美也さんの家に駆けつけ、パソコンの買い物に付き合ったのだった。昼からGet started としようと、「なつぞら」を見て、また再び美也さん邸へ。春の花々が前の庭でなんだか幼稚園児のように咲いている。可愛らしいという比喩だ。
 美也さんもこのブログを見ているだろうから言っておくけど、ヨシヤで文字変換したって、美也は出てこないのである。名前は美しいのに難しい、困り者の名前なのである。

 二人で、パソコンセットアップ、使いなれていたソフト、プリンターをインストール。そうこうしていたら4時半になったので、あわてて、母親の食べ物を買いに行ったのだった。人の役に立てるというのは気分のよいものだと思ったのだった。美也さんには一昨年、草刈り機の刃替え、まったくわからず、お世話になったのだった。まあ、善意の交換ということだろう。ぼくはビールを持っていこうと思っていたのだが。