25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ホルモンのせい?

2019年04月14日 | 日記
 桜が終わると山が膨らみ、モコモコとしてくる。昔は日の光が明るくなってくる二月が好きだったが、この二十年は五月の青葉の壮観さが好きだ。照葉樹林の葉は本当に光に照る。照葉樹林の林に入るとその照りかたも驚きである。
 今年も楯ケ崎を歩こう思っている。ずいぶんくたびれた脚だが、ゆっくりなら歩けるだろう。
 運動が大好き立った頃から50年は経っている。
 幾つか行ってみたい世界の町がある。町歩きをするのも脚力が必要で、すぐに歩くのが面倒になるのではないかと思う。坂の多いリスボンの路地を歩いたり、ブエノスアイレスのタンゴを見るところまでブラブラ歩いていくのが億劫になってきたらもう終わりだ。
 自分んおためにすることは結構怠け、他人のためのことを結構生真面目にやっている。母もその一人である。それで自分は運動後不足であり、太ってきて、脚の筋肉とのバランスが崩れたのだと思う。今でも急に早足で歩く、速く坂道を歩くと突っ張ってくる。
 やれやれ自分の体調のコントロールは難儀なものだ。30才まではいくら食べても太らなかった。多分実際のエネルギー消費よりも食べるカロリーの方が多かったと思う。けど太らなかったみはなぜか。逆に言えば、食べ過ぎは本当に太る原因なのか、と疑問に思う。いっぱいタベテモ太らない女性も知っているし、ぼくの息子はぼくの2倍ほど食っても太らない。
 何か太るホルモンのスイッチがあって、ぼくは35歳くらいn時に押してしまった。息子はまだ運良く押していない。なにかしらのホルモンの作用のような気がしてならない。
 遺伝的な体質ということもあるだろう。そう考えるとホルモンが一番の犯人で見えないからわかりにくい。糖分の90%は脳で使ってしまう。脂質はエネルギーとあるから必要で、最もじゅうようなのがたんぱく質だが、これにはいろいろと種類があり、確か酵素とてたんぱく質だったと思う。このたんぱく質とホルモン、脳とホルモン、なんだか、脳、たんぱく質、ホルモンの三角関係が怪しい。肥満ホルモンというのがあるのではないか。それが放出されればちょっと食っても太り始める。よく言えば、食べたものを体に溜め込む。そして飢饉に備える。飢饉があった頃の記憶が蘇る。そういうことなのかもしれんぞ、などとこれを書きながら思っている。