25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

脊柱菅狭窄症に挑んでみる

2019年04月29日 | 日記
 ぼくはあるスクロール式のホームページを見ていた。「脊柱管狭窄症。5分でなおすトレーニング」というDVDを売るために延々と読ませて、最後は買わせたいらしい。脊柱管狭窄症について、症状についてはぼくの症状にはまっている。治療法についてはいろいろあるらしく、薬、手術派、秘術派、整体、カイロプラクティックいろいろとある。要するに椎間板ヘルニア同様に欧米ではない「病名」である。ぼくはスマホで最後の買わせる段階まで読んでいたときだった。岡田さんかr電話がかかった。「ブログを見たで」と。岡田さんは自然形体療法という技術を自分でも施術され、経験したことから相当に京都のその先生というか自然形体を信頼している。電話をかけてくれたらしい。「見てみないとわからない」と先生は当然そういう。それに彼の心配はぼくを京都に何度も通わせることになってしまわないかということである。ここにも行ってみようか、と思ってもいたので、その時はよろしく頼むと言って、電話を切った。

 椅子から立ち上がるのでさえ、大腿四頭筋やらふくらはぎ、腰回りの筋肉が硬直していて、痛い。そしてついにスマホ画面はDVDの広告の最後に来た。ほんの一瞬、エクササイズの方法の一部を紹介したのだった。あっ、そうだった。忘れていた。講習を終えてからもう5年が経っている。ぼくはその一瞬の映像ですべてわかってしまった。

 二週間前の最初の発症では坂道、階段を早く歩いたときに起こった。筋肉が固まってしまって前に進むには痛いのである。しばらくうずくまった。うずくまると楽だったからである。
 基本中の基本だった。痛むポイントから楽な方へ、息を吐きながら動かし、最後には息を吐き切る。
 これを自分の場合に当てはめてみるとうずくまるということは腰を丸めるわけで、背を反らすのと反対である。映像でやっていた屈伸は、背を反らす、または立ったままだと脊柱管の神経が圧迫される状態にあり、屈伸をして腰を曲げ、床に手をつけようとすると、脊柱管そのものが拡張するはずである。
 そうだ、その手がある。オレとしたことが・・・・。

 「すまんけど、ここの部分を両手を重ねてリズムよく押してくれ」と細君に頼んだ。
 ぼくは屈伸して手を伸ばすが、手は床には届かない。どう見ても、指先から床までまだ20センチはある。ぼくはリズムをつけて一生懸命に指先が床に届くようにする。たぶんあのDVDはひたすらこれを5分やれと言っているのだ。もっと簡単な方法がある。細君に腰を押してもらうのだ。自力と他力を使えば早い。イチ、二ー、サン、シー と十まで行くと指が付くようなった。
 再度、十回、床への指つけ運動をした。

「もうええよ、ありがとう」
 すると、いままでこわばっていた筋肉が緩み、二週間前の自分に戻っている。


 そうか、毎日のようにこの屈伸をするか、と思い、今日もした。「痛み」は「怒り」からくるものがあるという理論にも気になっている。作家の夏樹静子がこれで苦しんだ。このことをさらに探っていくと、痛みをコントロールする場所は脳の中の「側坐核」という部位の機能低下という脳の問題になるのである。
 ぼくは「いまさらどうにもならない怒り」と「今からならなんとかなる怒り」にメモ書きして、「くそこの野郎」などと思いながら、どちらかに分類する。

 毎日行うことは、
  1.今やっている 飲食を半分にすることで、やせること
  2.必ず屈伸運動をする。
  3. 仰向け、横膝倒し
  4.仰向け かかと伸ばし
  5.仰向け 脚上げ下げ
  6.座位 足首内外ひねり&上げ下げ 
  7.股開き(これは排尿をコントロールするため)

 当面のやることを整理して今日からする。つまり医者には行かない。京都も行きたいがやはり遠い。たぶんこれが一番の自分でできることだ。