桂ち太郎…『饅頭こわい』
神田きらり…『寛永宮本武蔵伝 狼退治』
(春風亭柳太交互出演)
国分健二…「スタンダップコメディー」
(江戸家まねき猫休演)
桂歌若…『???』
三遊亭遊吉…『浮世根問』
宮田陽・昇…「東京都」
三遊亭左圓馬…『掛け取り(喧嘩)』
三笑亭夢丸…『看板のピン』
ボンボンブラザース…「太神楽曲芸」
柳家蝠丸…『死ぬなら今』
(昔昔亭桃太郎休演)
春風亭小柳枝…『干物箱』
《お仲入り》
桂幸丸…『昭和30年代』
東京丸・京平…「漫才」
(新山ひでや・やすこ休演)
三遊亭遊三…『パピプペポ』
古今亭寿輔…『生徒の作文』
檜山うめ吉…「木更津甚句~きんらい節~粋なカラス/京の四季(秋冬の京都)踊り」
神田松鯉…【赤穂義士伝 名作揃】『赤穂義士本伝 義士討入り』
ついにやっちまいました!
10日興行の最終日。9日目までは椅子席の最前列に陣取りましたが、上手側の端が埋まっていたので、上手側桟敷一番前へ。足が痺れないように祈るのみです
・ち太郎さん…この持ち時間では「お茶がこわい」まで行けなくても仕方ありませんね
・きらりさんは宮本武蔵伝から「狼退治」の一席でしたが、8割方埋まった客席を大いに温めて次へつなぎました
・国分健二さんは、松鯉先生目当てのお客さんが多いためか、かなり苦戦していました。
・遊吉師匠は得意の「根問物」でしたが、ちょっと混ぜっ返し部分がクドかった気がします。
・蝠丸師匠は初めて聴く「死ぬなら今」でしたが、暗くて面白くない噺と言いながらも、かなり面白い噺でした。
・小柳枝師匠の「干物箱」は、貸本屋の善さんが幇間のようなヤツで、それを謡い調子で軽く演じるものだから、場内は爆笑に次ぐ爆笑。
爆笑のウェーブという雰囲気でした
・いつの間にか場内は夜の部にもかかわらず立見が出る盛況。二階席こそ開放していませんが、平日夜での立見には驚き 桃の木 山椒の木…死語???
・食いつきの幸丸師匠の話は、熟年世代の多い客席に大ウケでした。私もギリギリ間に合った世代かな???
・京丸京平先生は幸先良かったものの、結局仕舞いはグダグダでした
・遊三師匠がマクラに入ろうとしたら、客の一人が大きなクシャミ
ペースを乱された遊三師匠は結局「服従」を抜きました
・ほぼ満席の場内でも寿輔師匠の声とペースは変わることがありませんでした
・いよいよ大団円を迎える「討入り」ですが、松鯉先生も千秋楽とあって渾身の一席!
吉良の屋敷へ入る“表23人・裏24人”の面々を、色々なエピソードを交えながら時には笑い、時にはシンミリさせながらも、赤穂浪士が見事に主君・浅野内匠頭の仇を討ちました。
この時、私の頭の中のイメージには、1975(昭和50)年にNHKの大河ドラマで放映された『元禄太平記』の江守徹(大石内蔵助)と小沢栄太郎(吉良上野介)が鮮明に浮かび上がって来ました。
講釈には『義士伝』が「本伝」「銘々伝」「外伝」併せて300以上あると言われており、私はまだ30分の一以下しか聴いていませんが、今まで漠然と「忠臣蔵」とか「赤穂浪士」として思い描いていたものを、少しずつ鮮明に記憶していきたいと感じています。
今年は是非、泉岳寺にお参りに行くつもりです。
連日の末廣亭通いで疲れましたが、充実の10日間でした
神田松鯉先生に心から拍手を贈ると共に、神田きらりさんが松鯉先生のお弟子さんであることを、改めて嬉しく思いました
12月は少しだけ休ませて下さい・・・
神田きらり…『寛永宮本武蔵伝 狼退治』
(春風亭柳太交互出演)
国分健二…「スタンダップコメディー」
(江戸家まねき猫休演)
桂歌若…『???』
三遊亭遊吉…『浮世根問』
宮田陽・昇…「東京都」
三遊亭左圓馬…『掛け取り(喧嘩)』
三笑亭夢丸…『看板のピン』
ボンボンブラザース…「太神楽曲芸」
柳家蝠丸…『死ぬなら今』
(昔昔亭桃太郎休演)
春風亭小柳枝…『干物箱』
《お仲入り》
桂幸丸…『昭和30年代』
東京丸・京平…「漫才」
(新山ひでや・やすこ休演)
三遊亭遊三…『パピプペポ』
古今亭寿輔…『生徒の作文』
檜山うめ吉…「木更津甚句~きんらい節~粋なカラス/京の四季(秋冬の京都)踊り」
神田松鯉…【赤穂義士伝 名作揃】『赤穂義士本伝 義士討入り』
ついにやっちまいました!
10日興行の最終日。9日目までは椅子席の最前列に陣取りましたが、上手側の端が埋まっていたので、上手側桟敷一番前へ。足が痺れないように祈るのみです
・ち太郎さん…この持ち時間では「お茶がこわい」まで行けなくても仕方ありませんね
・きらりさんは宮本武蔵伝から「狼退治」の一席でしたが、8割方埋まった客席を大いに温めて次へつなぎました
・国分健二さんは、松鯉先生目当てのお客さんが多いためか、かなり苦戦していました。
・遊吉師匠は得意の「根問物」でしたが、ちょっと混ぜっ返し部分がクドかった気がします。
・蝠丸師匠は初めて聴く「死ぬなら今」でしたが、暗くて面白くない噺と言いながらも、かなり面白い噺でした。
・小柳枝師匠の「干物箱」は、貸本屋の善さんが幇間のようなヤツで、それを謡い調子で軽く演じるものだから、場内は爆笑に次ぐ爆笑。
爆笑のウェーブという雰囲気でした
・いつの間にか場内は夜の部にもかかわらず立見が出る盛況。二階席こそ開放していませんが、平日夜での立見には驚き 桃の木 山椒の木…死語???
・食いつきの幸丸師匠の話は、熟年世代の多い客席に大ウケでした。私もギリギリ間に合った世代かな???
・京丸京平先生は幸先良かったものの、結局仕舞いはグダグダでした
・遊三師匠がマクラに入ろうとしたら、客の一人が大きなクシャミ
ペースを乱された遊三師匠は結局「服従」を抜きました
・ほぼ満席の場内でも寿輔師匠の声とペースは変わることがありませんでした
・いよいよ大団円を迎える「討入り」ですが、松鯉先生も千秋楽とあって渾身の一席!
吉良の屋敷へ入る“表23人・裏24人”の面々を、色々なエピソードを交えながら時には笑い、時にはシンミリさせながらも、赤穂浪士が見事に主君・浅野内匠頭の仇を討ちました。
この時、私の頭の中のイメージには、1975(昭和50)年にNHKの大河ドラマで放映された『元禄太平記』の江守徹(大石内蔵助)と小沢栄太郎(吉良上野介)が鮮明に浮かび上がって来ました。
講釈には『義士伝』が「本伝」「銘々伝」「外伝」併せて300以上あると言われており、私はまだ30分の一以下しか聴いていませんが、今まで漠然と「忠臣蔵」とか「赤穂浪士」として思い描いていたものを、少しずつ鮮明に記憶していきたいと感じています。
今年は是非、泉岳寺にお参りに行くつもりです。
連日の末廣亭通いで疲れましたが、充実の10日間でした
神田松鯉先生に心から拍手を贈ると共に、神田きらりさんが松鯉先生のお弟子さんであることを、改めて嬉しく思いました
12月は少しだけ休ませて下さい・・・