はな家小でん…『他行(出張)』
桂歌市…『つる』
三笑亭可龍…『アンケートの行方』
桂花丸…『ぼくのヒーロー』
桂歌春…『越後屋』
《お仲入り》
はなまるカフェ…「桂歌春・桂花丸」
桂枝太郎…『蚊相撲』
今日は当初、田辺一邑先生の真打披露興行(広小路亭)に行くつもりでしたが、可龍さんが「ハナコレ」に出演するということで急遽予定変更
相変わらず“本末転倒”なアタシ…
横浜は2年前に「横浜-阪神」を見に来て以来。
その前は、全日本女子プロレス(全女)が大好きで、特にこの日曜日に引退した前村さき選手の応援に、横浜文化体育会館(関内)に行ってました。
「横浜にぎわい座」は初めて足を踏み入れましたが、綺麗だし、何と言っても係の方の対応が非常に丁寧なのが印象的でした。
にぎわい座の地下2階にある「のげシャーレ」が今回の会場。
少し早めに着いたので2階の資料展示を見ていたら、昔の寄席のプログラムが多数展示されていてまさに落涙もの
機会があればまたじっくり見てみたいものです。
プログラムによると“開口一番”に『桂歌市』の文字が
たまたま顔を合わせた常連のMさんと、
「歌丸師匠の新弟子かなぁ?」
「イヤ、歌春師匠の新しいお弟子さんかな?」
などと話をしていたのですが・・・。
メクリに「開口一番」とあり、最初に登場したのは着物を着た小さな男の子
たどたどしい言葉ながら、『他行』(与太郎が父親に、借金取りを追い返すために「お父っつぁんは出張です」と言わされる小噺)を熱演。
これがまた上手いし、面白いし、ヘタな二ツ目(誰とはいいませんがね…SとかKとか…)が裸足で逃げ出すんじゃないかと思う一席でした。
この男の子がキチンと高座返しをした上に、メクリも『桂歌市』にして戻った後、登場したのは花丸さん。
そうでした、そうでした。花丸さんの前座名が「歌市」でした
初高座でかけて絶句した思い出の噺を、花丸さんはトラウマを振り払うかのように丁寧に演じていました。
ちなみに開口一番を務めた男の子は“天狗連”で落語をやっているそうで、ゆくゆくは花丸さんの一番弟子になるかも
すでに高座名も「桂花くそ」に決めているそうで、ご丁寧に“メクリ”まで出来ていましたが、当の本人は嫌がっているとか???(あたり前田のクラッカー)
「吉原雀」で登場した可龍さん。
花丸さんの新作落語をリスペクトしている可龍さんらしくアレンジを加えての一席は、花丸さんの真打昇進を祝う餞(はなむけ)の高座となりました
「歌市」の時は「前座の上がり」でしたが、今度は「幼なじみ」で花丸さんが2度目の高座へ。
『ぼくのヒーロー』は現在あたためている最中の噺のようですが、もしかしたら披露興行でも聴けるかもしれません。
弟弟子の会に花を添えた歌春師匠は出囃子「さわぎ」に乗って明るく登場しましたが、風邪をひいたようで声がガラガラ。
それでも爆笑のマクラから『越後屋』という、通常の寄席ではなかなか聴けない噺で場内を沸かせてくださいました!
お仲入りの後は歌春師匠と花丸さんの対談。
「私と同じ歌丸一門で、一番弟子の歌春師匠・・・」と紹介するところを、
『私の一番弟子の歌春師匠・・・』
と紹介してしまった花丸さん
巷で話題の「赤坂裸踊り事件」に始まり、新真打の初仕事が歌丸師匠宅のゴミ出しとか、歌春師匠が語る先代枝太郎師の思い出、さらには歌春師匠が先代に弟子入りした経緯など、とにかく興味深い話が満載でした
その後、「師匠の没後、名前は総領弟子が継ぐ」という話まで飛び、いずれ歌春師匠が“歌丸襲名???”となった所で、花丸さんが
「近所だから(歌丸)師匠がココに来ているかもしれませんよ」
に対し、歌春師匠が、
『本当のことを言って何が悪い!』
と逆ギレ(?)する場面も
普段温厚な歌春師匠が・・・
新真打枝太郎師匠の出囃子は『串本節』
先代の高座は見ているアタシでもさすがに出囃子までは覚えていませんが、とにかく『桂 枝太郎』というメクリに大感激!!!
このブログでも何度か書いていますが、アタシは先代に本当に可愛がっていただいただけに、31年ぶりにこの名跡には感慨深いものがあります
歌春師匠は先代のことを「ふわふわした感じの師匠」と表現されてましたが、私のイメージは「飄々としたおじいちゃん」
先代が75歳の時に入門した歌春師匠は、稽古も兄弟子(圓枝師匠・枝助師など)に教わることが多かったそうで、それでも先代のおかみさん(このおかみさんがまた良い方でした)に「噺を聴いてもらいなさい」と言われ、
『師匠、噺を聴いていただきたいのですが…』
とお願いしたら、
『うん?何の話だ?』
と、身の上相談に間違えられたという微笑ましいエピソードもありました
花丸さんは襲名にあたり、かなりのプレッシャーを感じているようですが、歌春師匠もおっしゃっていたように先代は「噺が上手い」とか「人気がある」という方ではありません。
圓枝師匠は今回の襲名を聞いて、涙を流して喜んだそうです。
枝助師も草葉の陰で喜んでいるはずです。
歌春師匠も「嬉しい」とおっしゃってます。
先代と比較する人も、そういるとは思いません。
確かに由緒ある名跡ですが、肩肘張らずに当代(5月からですが)の『桂枝太郎』を創り上げて行って欲しいと思います
桂歌市…『つる』
三笑亭可龍…『アンケートの行方』
桂花丸…『ぼくのヒーロー』
桂歌春…『越後屋』
《お仲入り》
はなまるカフェ…「桂歌春・桂花丸」
桂枝太郎…『蚊相撲』
今日は当初、田辺一邑先生の真打披露興行(広小路亭)に行くつもりでしたが、可龍さんが「ハナコレ」に出演するということで急遽予定変更
相変わらず“本末転倒”なアタシ…
横浜は2年前に「横浜-阪神」を見に来て以来。
その前は、全日本女子プロレス(全女)が大好きで、特にこの日曜日に引退した前村さき選手の応援に、横浜文化体育会館(関内)に行ってました。
「横浜にぎわい座」は初めて足を踏み入れましたが、綺麗だし、何と言っても係の方の対応が非常に丁寧なのが印象的でした。
にぎわい座の地下2階にある「のげシャーレ」が今回の会場。
少し早めに着いたので2階の資料展示を見ていたら、昔の寄席のプログラムが多数展示されていてまさに落涙もの
機会があればまたじっくり見てみたいものです。
プログラムによると“開口一番”に『桂歌市』の文字が
たまたま顔を合わせた常連のMさんと、
「歌丸師匠の新弟子かなぁ?」
「イヤ、歌春師匠の新しいお弟子さんかな?」
などと話をしていたのですが・・・。
メクリに「開口一番」とあり、最初に登場したのは着物を着た小さな男の子
たどたどしい言葉ながら、『他行』(与太郎が父親に、借金取りを追い返すために「お父っつぁんは出張です」と言わされる小噺)を熱演。
これがまた上手いし、面白いし、ヘタな二ツ目(誰とはいいませんがね…SとかKとか…)が裸足で逃げ出すんじゃないかと思う一席でした。
この男の子がキチンと高座返しをした上に、メクリも『桂歌市』にして戻った後、登場したのは花丸さん。
そうでした、そうでした。花丸さんの前座名が「歌市」でした
初高座でかけて絶句した思い出の噺を、花丸さんはトラウマを振り払うかのように丁寧に演じていました。
ちなみに開口一番を務めた男の子は“天狗連”で落語をやっているそうで、ゆくゆくは花丸さんの一番弟子になるかも
すでに高座名も「桂花くそ」に決めているそうで、ご丁寧に“メクリ”まで出来ていましたが、当の本人は嫌がっているとか???(あたり前田のクラッカー)
「吉原雀」で登場した可龍さん。
花丸さんの新作落語をリスペクトしている可龍さんらしくアレンジを加えての一席は、花丸さんの真打昇進を祝う餞(はなむけ)の高座となりました
「歌市」の時は「前座の上がり」でしたが、今度は「幼なじみ」で花丸さんが2度目の高座へ。
『ぼくのヒーロー』は現在あたためている最中の噺のようですが、もしかしたら披露興行でも聴けるかもしれません。
弟弟子の会に花を添えた歌春師匠は出囃子「さわぎ」に乗って明るく登場しましたが、風邪をひいたようで声がガラガラ。
それでも爆笑のマクラから『越後屋』という、通常の寄席ではなかなか聴けない噺で場内を沸かせてくださいました!
お仲入りの後は歌春師匠と花丸さんの対談。
「私と同じ歌丸一門で、一番弟子の歌春師匠・・・」と紹介するところを、
『私の一番弟子の歌春師匠・・・』
と紹介してしまった花丸さん
巷で話題の「赤坂裸踊り事件」に始まり、新真打の初仕事が歌丸師匠宅のゴミ出しとか、歌春師匠が語る先代枝太郎師の思い出、さらには歌春師匠が先代に弟子入りした経緯など、とにかく興味深い話が満載でした
その後、「師匠の没後、名前は総領弟子が継ぐ」という話まで飛び、いずれ歌春師匠が“歌丸襲名???”となった所で、花丸さんが
「近所だから(歌丸)師匠がココに来ているかもしれませんよ」
に対し、歌春師匠が、
『本当のことを言って何が悪い!』
と逆ギレ(?)する場面も
普段温厚な歌春師匠が・・・
新真打枝太郎師匠の出囃子は『串本節』
先代の高座は見ているアタシでもさすがに出囃子までは覚えていませんが、とにかく『桂 枝太郎』というメクリに大感激!!!
このブログでも何度か書いていますが、アタシは先代に本当に可愛がっていただいただけに、31年ぶりにこの名跡には感慨深いものがあります
歌春師匠は先代のことを「ふわふわした感じの師匠」と表現されてましたが、私のイメージは「飄々としたおじいちゃん」
先代が75歳の時に入門した歌春師匠は、稽古も兄弟子(圓枝師匠・枝助師など)に教わることが多かったそうで、それでも先代のおかみさん(このおかみさんがまた良い方でした)に「噺を聴いてもらいなさい」と言われ、
『師匠、噺を聴いていただきたいのですが…』
とお願いしたら、
『うん?何の話だ?』
と、身の上相談に間違えられたという微笑ましいエピソードもありました
花丸さんは襲名にあたり、かなりのプレッシャーを感じているようですが、歌春師匠もおっしゃっていたように先代は「噺が上手い」とか「人気がある」という方ではありません。
圓枝師匠は今回の襲名を聞いて、涙を流して喜んだそうです。
枝助師も草葉の陰で喜んでいるはずです。
歌春師匠も「嬉しい」とおっしゃってます。
先代と比較する人も、そういるとは思いません。
確かに由緒ある名跡ですが、肩肘張らずに当代(5月からですが)の『桂枝太郎』を創り上げて行って欲しいと思います