演芸見ブんログ

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07/11/09 第31回 神田松鯉の会 (お江戸日本橋亭)

2007-11-09 | 日本講談協会
神田蘭…『真田幸村 大坂入城』

神田きらり…『寛永宮本武蔵伝 かめ割試合』

神田山吹…『奴の小万 生い立ち』

神田松鯉…『名月若松城』

《お仲入り》

三遊亭左遊…『竹の水仙』

神田松鯉…『寛政力士伝 阿武松緑之助』


会場の日本橋亭は座椅子を取り払い、最後列に椅子があるだけの座布団敷き。
下手側の壁に寄り掛かれる場所は既に埋まっていたので、上手側のベンチ席に座って開演を待ちました。
昔の寄席や講釈場はこのような畳に座布団だったんでしょうね。煙草盆こそないものの、それぞれが思い思いに座って弁当を食べたり、歓談したり。
最後列にいらした名取亮先生(山翁えくすぷれす発行人)にご挨拶をしているうちに幕が開きました。

蘭さんは45分あるという読み物を、8分の短縮バージョンでした

続いてきらりさん登場
今回は先月の『シモキタ★キラリ』で、ついウトウトしてしまった「宮本武蔵伝」から宮本武蔵が出て来ない『かめ割試合』の一席。
伊藤弥五郎(一刀斎)が徳川家康から徳川家の剣術指南役を要請されたもののそれを断り、ならば他の者を推挙せよという命により、御子神典膳と兄弟子の小野善鬼を対決させ、勝った者に指南書を渡すという内容。
今回は最初から最後までしっかりと聴きました
途中、御子柴典膳が弥五郎に弟子入りを志願する場面では、自らが松鯉先生に弟子入りを申し出た思い出話を始めたきらりさん。
心なしか目が潤んでいたように見え、これ以上話したら“泣き虫”のきらりさんは絶対に泣いていただろうと思える、心温まる逸話を聞かせてくれました

山吹先生は『奴の小万』の序。この読み物は流暢な関西弁だともっと良かったのですが…

松鯉先生の一席目は蒲生飛騨守氏郷と、その家来である西村権四郎の愛憎を含んだ物語。
力比べで主君である氏郷を投げ飛ばしてしまい、それを苦にして諸国を放浪した権四郎。
6年後に落魄れて若松城に戻り、無礼を詫びた上で氏郷に首を刎ねてもらうよう懇願する権四郎。それを咎める事もなく、逆に3000石を与えた氏郷。
松鯉先生の力強くも楽しい読み物を堪能させていただきました。

会場はぎっしり満席で、お仲入りの時は私服に着替えたきらりさんが、今月の末廣亭下席・松鯉先生主任のPR。
また会場の外には、今回は出演しなかった阿久鯉さんの姿があり、初めて見る私服姿が新鮮に映りました

左遊師匠はおなじみの鷺のマクラから、左甚五郎の話へ。
寄席では「黄金の大黒」をかける左遊師匠だけに「三井の大黒」かと思ったら『竹の水仙』でした。
寄席でよく聴く「竹の水仙」と違い、買うのは細川ではなく長州の毛利の殿様。
家来が買いに来ないで、道中で「竹の水仙」を見掛けた毛利様が、宿屋の主人である大黒屋金兵衛を屋敷に呼んで買うという内容でした。
またサゲがなく、甚五郎がこの藤沢宿から江戸に出て「三井の大黒」を彫るとなっていました。

松鯉先生の二席目は「寛政力士伝」から『阿武松緑之助』で、確か9上池袋で聴けなかった読み物です。
甚五郎が日に3升の酒を呑むなら、阿武松の少年時代の長吉は日に3升の飯を食うという大食漢
当初は武隈部屋に入門したもののあまりの大食いぶりに破門になり、失意のまま戸田橋で身投げを考えた長吉。
最後の食事とばかりに入った飯屋で3升5合の飯を平らげ、あまりの大食いぶりに事情を聞いた宿屋の主人が綴山喜平次を紹介し再入門。
「小車」→「小緑」→「小柳」と改名、ついには破門された武隈に勝ち、後の六代目横綱・阿武松緑之助へと出世するおめでたい内容。
松鯉先生の強弱・硬軟のあるテンポの良い渾身の一席に、満員の場内も大満足の様子でした


※末廣亭 11月下席・夜の部
主任・神田松鯉
『赤穂義士伝』

21(水)・・・殿中松の廊下
22(木)・・・梶川与惣兵衛
23(金)・・・神崎侘証文
24(土)・・・大石東下り
25(日)・・・大高源吾
26(月)・・・赤垣源蔵
27(火)・・・小山田庄左衛門
28(水)・・・天野屋利兵衛
29(木)・・・義士勢揃い
30(金)・・・義士討入り
コメント
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