演芸見ブんログ

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07/11/07 語り、語る ~ 講談 浪曲ニューウェーブ ~(蕨市民会館 コンクレレホール)

2007-11-07 | その他演芸・芸能
神田きらり…『寛永三馬術 曲垣平九郎 誉れの梅花 愛宕山』

国本武春…『宮本武蔵 佐々木小次郎との対決』(『紺屋高尾』から変更)

《お仲入り》

「お楽しみ対談」…国本武春・神田山陽・児玉信(伝統芸能評論家・蕨市在住)

神田山陽…『鼠小僧外伝 サンタとの出会い 義賊の由来』


浪曲界から国本武春先生、講談界から神田山陽先生という、今を時めくニューウェーブの2人の会に、きらりさんが出演するというので蕨まで行って来ました。
京浜東北線・蕨駅西口から歩くこと約10分
駅前商店街からちょっと入った所にある会場。
入口からロビー・客席までの雰囲気は「成田市体育館」に似ています!
・・・元“女子プロレスおたく”ですから、こんな描写しかできなくて・・・
ロビーでは山陽先生のクリスマス独演会(12/23~25)きらりさんのクリスマス・イブ キラキラ★BOX(12月24日)のチケットを販売していました

定刻に幕が開き、まずはきらりさんの登場!
後に出て来る山陽先生が会場のお客さんに問いかけたら、初めて講談を聴く人が8割でした
そんな中、きらりさんはいつものように張り扇で調子を取り、リズムに乗った快調なテンポで噺を進めて行きました。
爆笑系の先生2人が後に控えている訳ですから、爆笑を取ろうというよりも“正攻法”な読み口で会場を魅了しているようでした。
つい先日まで隣の川口市にいたというきらりさんに対し、会場からも温かい雰囲気で応援しているように感じたのは言うまでもありません。

一旦幕が下り、再び上がると高座上は“国本武春の世界”
嘘か真か、曲師の沢村豊子師匠が骨折をしたそうで、今回は武春先生の三味線弾き語り。
会場を盛り上げるために、掛け声(“待ってました!”“たっぷり!”“名調子!”“日本一!”)や拍手を何度も練習させ、そのたびに登場する武春先生。
当初は落語でもおなじみの「紺屋高尾」がネタ出しでしたが、豊子師匠がいらっしゃらないので、色んな国の音楽や歌を三味線で聴かせてました。
本題の『宮本武蔵』は小次郎との巌流島の決闘場面だけで、総体的に見てちょっと物足りなさが残る気がしたのが惜しまれます。
とは言うものの、陽気なAmericanと違い、shyな日本人をここまで一体化させるエネルギー・パワー・マジックを目の当たりにして、「浪花節」を“ライブ”にした武春先生には脱帽です

お仲入りの後は対談でしたが、お2人がアメリカ(武春先生)やイタリア(山陽先生)で活躍された話や、今までのお互いの見方などの話で終わってしまい、肝心の“伝統芸能”についてもう少し深く掘り下げて欲しかったと感じました。

山陽先生は「地声でいけるのでマイクを切って下さい」という要望。
釈台についての解説から抱腹絶倒で、丸いちゃぶ台やアイロン台を用意された話は涙が出るほど笑わせていただきました。
これからの季節は赤穂義士伝なんですが…と言いながら、来年の干支にちなんで「鼠小僧外伝」の創作物。
それにしても次郎吉が上った屋根にサンタクロースがいるとか、トナカイが牽くソリに乗った次郎吉が上空から吉良上野介を発見するとか・・・、もういくら講談とはいえ、よくぞここまで考え付くものです。
だってそうでしょ!討ち入りは西暦で1703年って言われているんですよ。
次郎吉の生涯は1797~1832年ですから、史実としても有り得ないワケです。
まっ、そこが講談の面白さで、腰痛でプレゼントを配れなくなったサンタに代わり、次郎吉が12月24日に江戸の町の子供達に贈り物をするのです。
木彫りの人形を貰った子供は、のちに大工となる落語・講談でおなじみの名工だったり、小噺集を貰った子供は、のちに「落語の中興の祖」と言われる名人だったり・・・。
笑いの中にホロリとさせる場面も随所に見え、最後は張り付け獄門にされた次郎吉をトナカイに乗ったサンタが救出するという、ハッピーエンドな一席でした

私は上手側の最前列で拝見させていただきましたので、下手側の舞台袖で武春先生、山陽先生の高座を勉強しているきらりさんの姿が見えました。
このお2人の高座をきらりさんはどう捉えたでしょうか?
きらりさんが何を掴んで、何をモノにしたか?
今後のきらりさんに大きな影響を与えたことを願わずにはいられない会でした
コメント
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