iPadを元の会社に返却しなければいけないので、内容を確認していたら、恩師のお別れの会の閉会の言葉が出てきました。
大学のゼミの恩師が亡くなって6年になります。いつまでも忘れないよう、アップします。
本日は、ゼミ生が先生とお別れが出来るよう、このような会を開いて頂きましたこと、奥様、本当にありがとうございます。また、お忙しいところ、ご予定を調整頂いたり、残念ながら本日は欠席で申し訳ないというご連絡を頂いた方もいらっしゃいますが、本当に沢山の方にお集まりいただき、お別れの会が出来ましたこと、事務局として心より御礼申し上げます。
会の準備段階から、鵜瀞恵子さんから色々アドバイスを頂きました。ありがとうございました。
奥様から、先生のご遺志ということで、ご相談頂きまして、本日を迎えたわけですが、先生のご希望通りの会になったでしょうか?
まず事務局からのお知らせを一つ、経友の10月号にて岡野先生の追悼号が企画されています。44年卒の奥野先生、47年卒の金本先生、52年卒の鵜瀞先生、56年卒の常木先生と本日の司会をしている平成3年の赤松先生にお願いしておりますが、私から本日のお別れの会を報告させていただきます。
皆様から送っていただいている追悼メッセージ、文集の原稿と本日の会のご報告を取りまとめ、「文の集い特別号」として、奥様にお渡しすると共に皆様へも郵送致します。受付の時に名簿をご確認頂いておりますが、まだの方はお帰りの際に、ご確認をお願いします。また後日、ご住所が変わられた方は私宛に連絡お願いいたします。原稿は7月13日まで募集しておりますので、どしどしお寄せ頂ければと思います。
岡野先生の小学校、中学の作文、青年期に闘病を綴られた手紙形式の記録、そして茨木のり子さんの詩集など、先生の心情に触れられる作品も、奥様から提供頂いておりますので、特別号に掲載させていただきます。
編集の特権で、皆様からの原稿を一番に読ませて頂いておりますが、私の知らない時代の先生の思い出や素晴らしいところに、いちいち全てにうなづいて、そして、もう先生から何も言ってもらえない淋しさを感じております。
岡野先生との思い出は、一番下っ端の割には沢山あると思いますが、私だけのエピソードと言えば、学生の時になにげなく「結婚するまで、バレンタインにチョコレートを送ります」と言って、なかなか結婚しなかったので、 卒業後も10年お送りしていて、披露宴の時にも祝辞でそのように話されていたので、一旦やめたのですが、何かのタイミングで復活させて、ここで昨年まで続けていましたと言えば、格好がつくのですが、ホワイトデーのお返しを強要しているようで、数年前にやめてしまったことが、私だけのエピソードだと思います。
本日のカメラマンをやっている野口が主人ですが、私と知り合う前に、偶然にも電気通信市場の自由化の調査で二度ほど先生と海外出張をさせていただいており、学問の世界では、私以上に先生の教えを受けておりまして、先生が亡くなった時は、両親が亡くなったことに続くショックを受けておりました。
岡野先生にはもっともっと長生きしていただいて、先生のお話を聞きたかったと思っておりますが、今となってはそれがかないません。ただ、岡野ゼミ門下生は、この先もずっと、先生だったらどうされるかなと常に考え、エリートは社会のために働く義務があると先生も仰っていましたとおり、社会のために働き続けていくことをお約束したいと思います。
この先のOB・OG会ですが、岡野先生が私に最後に送ってくださったメールに、今年の会には参加する自信はありませんが、と書かれておりました。
今までのように毎年とはいかないかと思いますが、三回忌などの節目に、奥様を特別会員としてお招きし、皆様のご賛同が頂けましたら、会としては続けていければと願っております。
最後になりましたが、岡野先生への感謝の気持ちと岡野ゼミの皆様のご健康をお祈りしまして、本日は閉会とさせていただきます。
奥様、皆様、本当にありがとうございました。
大学のゼミの恩師が亡くなって6年になります。いつまでも忘れないよう、アップします。
本日は、ゼミ生が先生とお別れが出来るよう、このような会を開いて頂きましたこと、奥様、本当にありがとうございます。また、お忙しいところ、ご予定を調整頂いたり、残念ながら本日は欠席で申し訳ないというご連絡を頂いた方もいらっしゃいますが、本当に沢山の方にお集まりいただき、お別れの会が出来ましたこと、事務局として心より御礼申し上げます。
会の準備段階から、鵜瀞恵子さんから色々アドバイスを頂きました。ありがとうございました。
奥様から、先生のご遺志ということで、ご相談頂きまして、本日を迎えたわけですが、先生のご希望通りの会になったでしょうか?
まず事務局からのお知らせを一つ、経友の10月号にて岡野先生の追悼号が企画されています。44年卒の奥野先生、47年卒の金本先生、52年卒の鵜瀞先生、56年卒の常木先生と本日の司会をしている平成3年の赤松先生にお願いしておりますが、私から本日のお別れの会を報告させていただきます。
皆様から送っていただいている追悼メッセージ、文集の原稿と本日の会のご報告を取りまとめ、「文の集い特別号」として、奥様にお渡しすると共に皆様へも郵送致します。受付の時に名簿をご確認頂いておりますが、まだの方はお帰りの際に、ご確認をお願いします。また後日、ご住所が変わられた方は私宛に連絡お願いいたします。原稿は7月13日まで募集しておりますので、どしどしお寄せ頂ければと思います。
岡野先生の小学校、中学の作文、青年期に闘病を綴られた手紙形式の記録、そして茨木のり子さんの詩集など、先生の心情に触れられる作品も、奥様から提供頂いておりますので、特別号に掲載させていただきます。
編集の特権で、皆様からの原稿を一番に読ませて頂いておりますが、私の知らない時代の先生の思い出や素晴らしいところに、いちいち全てにうなづいて、そして、もう先生から何も言ってもらえない淋しさを感じております。
岡野先生との思い出は、一番下っ端の割には沢山あると思いますが、私だけのエピソードと言えば、学生の時になにげなく「結婚するまで、バレンタインにチョコレートを送ります」と言って、なかなか結婚しなかったので、 卒業後も10年お送りしていて、披露宴の時にも祝辞でそのように話されていたので、一旦やめたのですが、何かのタイミングで復活させて、ここで昨年まで続けていましたと言えば、格好がつくのですが、ホワイトデーのお返しを強要しているようで、数年前にやめてしまったことが、私だけのエピソードだと思います。
本日のカメラマンをやっている野口が主人ですが、私と知り合う前に、偶然にも電気通信市場の自由化の調査で二度ほど先生と海外出張をさせていただいており、学問の世界では、私以上に先生の教えを受けておりまして、先生が亡くなった時は、両親が亡くなったことに続くショックを受けておりました。
岡野先生にはもっともっと長生きしていただいて、先生のお話を聞きたかったと思っておりますが、今となってはそれがかないません。ただ、岡野ゼミ門下生は、この先もずっと、先生だったらどうされるかなと常に考え、エリートは社会のために働く義務があると先生も仰っていましたとおり、社会のために働き続けていくことをお約束したいと思います。
この先のOB・OG会ですが、岡野先生が私に最後に送ってくださったメールに、今年の会には参加する自信はありませんが、と書かれておりました。
今までのように毎年とはいかないかと思いますが、三回忌などの節目に、奥様を特別会員としてお招きし、皆様のご賛同が頂けましたら、会としては続けていければと願っております。
最後になりましたが、岡野先生への感謝の気持ちと岡野ゼミの皆様のご健康をお祈りしまして、本日は閉会とさせていただきます。
奥様、皆様、本当にありがとうございました。
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