本書は世界最大のコングロマリットを築いたハロルド・ジェニーンという人物の経営持論である。
10年間に買収した企業は、シェラトンホテル、エイビスレンタカー、コンチネンタルベイキングなど、300社を超え、その地域も60か国以上に上る。買収の判断基準は利益という観点だけで、論理的な根拠も一貫性もないが、それだけ多くの、支離滅裂の企業群を経営するのは途方もない仕事で、ジェニーン本人が仕事中毒であった。
ファーストリテイリングの柳井代表取締役会長兼社長が「私の最高の教科書」として、本の帯には、ユニクロ「幻のバイブル」と書かれているので、教会の日曜学校風に、印象深いフレーズを引用しておく。
第四章 二つの組織から
“事実”の中には“表面的な事実(一見事実と見える事柄)”“仮定的事実(事実と見なされていること)”“報告された事実(事実として報告されたこと)”“希望的事実(願わくば事実であってほしい事柄)”、事実のレッテルを貼られ、事実として受け入れられた”受容事実“は、たいていの場合、事実ではない。
プロフェッショナル・マネジメントという最高の芸術は、“本当の事実”をそれ以外のものから“嗅ぎ分ける”能力と、さらには現在自分の手もとにあるものが、“揺るがすことができない事実”であると確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法さをもそなえていることを要求する。
今すぐに、それは事実か?と、そして揺るがすことのできない事実か?と尋ねる習慣を身に着けようではないか。
付言その1:一見してどんな印象を受けようとも、念のため、かならずそれを“”揺すってみること
付言その2:このメッセージをラインの下部まで徹底させられたし。
第六章 リーダーシップ
リーダーシップの質こそ、企業の成功をもたらす処方に含まれるもっとも重要な成分
私に固有のリーダーシップの感覚の傾向として、最前のやり方として選んだのは、他の人々と一緒にボートに飛び乗り、オールをつかんで漕ぎ始めることだった。仮に名づけるなら、参加的リーダーシップと呼んでもよかろう。
私はボートの後尾に座って、自分は何もせず、部下達にすべての仕事をするように説諭する船長になりたくなかった。また両手に大きな鞭を握って、奴隷達を死ぬほどの恐怖に縮みあがらせる奴隷船の船長にもなりたくなかった。
ルックスや家柄の良さをせいぜい利用している、チャーミングで屈託のない人々は敬遠、あまりにも賢すぎて、われわれ凡人とはうまくやっていけない天才も欲しくなかった。
マネージャー自身と、その計画の顕現たる毎日の何百という小さなおこないにかかっている。リーダーシップは人生と同様、歩みながら学ぶほかはない。
第七章 エグゼクティブの机
机の上に何も出ていない、綺麗な机の主はビジネスの現実から隔離されて、それを他の誰かに代わって運営してもらっている。
エグゼクティブとしてすることになっている仕事を本当にやっているなら、彼の机の上は散らかっているのが当然だ。なぜなら、エグゼクティブの職業生活そのものが“散らかった(雑然とした)”ものだからである。
第十章 買収と成長
広範な経済活動をカバーする多業種、多種製品会社は、経済的不況に対する保険をかけているようなものだ。カバーする範囲が十分に広ければ、会社のある製品には、他の製品が不況に見舞われている時も、なお需要があり、よく捌けているだろう。どんな業種にもサイクルはある。それを潮のように上げ下げするが、ただ潮よりもずっと予測しがたい。
第十一章 企業家精神
起業家精神ではなく、企業家であることがポイント
第十二章 取締役会
最高経営者の報酬を取締役会が決めるにあたり、個人としてどのようなことをし、どんな直接的貢献をしたのか?それだけの報酬を得るのに十分なだけ傑出した、どのような真の個人的貢献を、きみはしたのか?
会社のマネジメントの業績達成の基準をどこに置くか、去年または今年、会社がどれだけの収益を挙げたかではなく、挙げるべきであったかということ。会社の発揮されずに終わった能力、取り逃した機会、到達されなかった水準、失われた時間、行われなかった方向転換に、ほとんどの取締役会が注意を向けていない。
取締役あっちはマネジメントの業績を客観的に眺める態度を取り戻さなくてはならない。年来、生産性と並んで、次第に失われてきたのは客観性。
第十三章 気になること―結びとして
良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である。
“ガッツ”、マネジメントは生きている力、納得できる水準、その気があるなら高い水準に達するように、物事をやり遂げる力。
リーダーシップは、物事を遂行するように人々を駆り立て、答えを出さなくてはならないと感じるがゆえにそれをやり続け、満足できる結果を得るまでやめないように駆り立てる情念の力。
物事を行うには会社の機構を通し、近道をせず、ルールにしたがってやらねばならぬ、しかしルールに従って考える必要はない。物事がいつでもなされるやり方に自分の想像力を閉じ込めるのは大きな誤りである。
真のリーダーで、どれほど高価につこうとも自分に課された宿題をやらない人間には、私は会ったことがない。
第十四章 やろう!
実績のみが、きみの自信、能力、そして勇気の裁量の尺度だ。実績のみがきみ自身として成長する自由をきみに与えてくれる。
マネジャーとは“実績をもたらす人間”だと定義する。
再度、読み返して気がついた箇所がある。
営業経験の最大の意義は一対一の折衝を無数に伴う業務であることだ。しばしば指摘されるように、結局、ビジネスは一対一。
良いリーダーはあまねく「やってみて、フィードバックを得る」という、実に明瞭でシンプルな原則を大切にしている。どう消化するか?
卓越したリーダーは、居心地の悪い場所から飛び出すことをいとわない。同時に、極めて地に足のついているようにも見える。
自分の原点を意識する。取り巻く状況の変遷にただ流されない。おかれた状況に適応していく。自分らしさを見失わずに行っていくのだ。
10年間に買収した企業は、シェラトンホテル、エイビスレンタカー、コンチネンタルベイキングなど、300社を超え、その地域も60か国以上に上る。買収の判断基準は利益という観点だけで、論理的な根拠も一貫性もないが、それだけ多くの、支離滅裂の企業群を経営するのは途方もない仕事で、ジェニーン本人が仕事中毒であった。
ファーストリテイリングの柳井代表取締役会長兼社長が「私の最高の教科書」として、本の帯には、ユニクロ「幻のバイブル」と書かれているので、教会の日曜学校風に、印象深いフレーズを引用しておく。
第四章 二つの組織から
“事実”の中には“表面的な事実(一見事実と見える事柄)”“仮定的事実(事実と見なされていること)”“報告された事実(事実として報告されたこと)”“希望的事実(願わくば事実であってほしい事柄)”、事実のレッテルを貼られ、事実として受け入れられた”受容事実“は、たいていの場合、事実ではない。
プロフェッショナル・マネジメントという最高の芸術は、“本当の事実”をそれ以外のものから“嗅ぎ分ける”能力と、さらには現在自分の手もとにあるものが、“揺るがすことができない事実”であると確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法さをもそなえていることを要求する。
今すぐに、それは事実か?と、そして揺るがすことのできない事実か?と尋ねる習慣を身に着けようではないか。
付言その1:一見してどんな印象を受けようとも、念のため、かならずそれを“”揺すってみること
付言その2:このメッセージをラインの下部まで徹底させられたし。
第六章 リーダーシップ
リーダーシップの質こそ、企業の成功をもたらす処方に含まれるもっとも重要な成分
私に固有のリーダーシップの感覚の傾向として、最前のやり方として選んだのは、他の人々と一緒にボートに飛び乗り、オールをつかんで漕ぎ始めることだった。仮に名づけるなら、参加的リーダーシップと呼んでもよかろう。
私はボートの後尾に座って、自分は何もせず、部下達にすべての仕事をするように説諭する船長になりたくなかった。また両手に大きな鞭を握って、奴隷達を死ぬほどの恐怖に縮みあがらせる奴隷船の船長にもなりたくなかった。
ルックスや家柄の良さをせいぜい利用している、チャーミングで屈託のない人々は敬遠、あまりにも賢すぎて、われわれ凡人とはうまくやっていけない天才も欲しくなかった。
マネージャー自身と、その計画の顕現たる毎日の何百という小さなおこないにかかっている。リーダーシップは人生と同様、歩みながら学ぶほかはない。
第七章 エグゼクティブの机
机の上に何も出ていない、綺麗な机の主はビジネスの現実から隔離されて、それを他の誰かに代わって運営してもらっている。
エグゼクティブとしてすることになっている仕事を本当にやっているなら、彼の机の上は散らかっているのが当然だ。なぜなら、エグゼクティブの職業生活そのものが“散らかった(雑然とした)”ものだからである。
第十章 買収と成長
広範な経済活動をカバーする多業種、多種製品会社は、経済的不況に対する保険をかけているようなものだ。カバーする範囲が十分に広ければ、会社のある製品には、他の製品が不況に見舞われている時も、なお需要があり、よく捌けているだろう。どんな業種にもサイクルはある。それを潮のように上げ下げするが、ただ潮よりもずっと予測しがたい。
第十一章 企業家精神
起業家精神ではなく、企業家であることがポイント
第十二章 取締役会
最高経営者の報酬を取締役会が決めるにあたり、個人としてどのようなことをし、どんな直接的貢献をしたのか?それだけの報酬を得るのに十分なだけ傑出した、どのような真の個人的貢献を、きみはしたのか?
会社のマネジメントの業績達成の基準をどこに置くか、去年または今年、会社がどれだけの収益を挙げたかではなく、挙げるべきであったかということ。会社の発揮されずに終わった能力、取り逃した機会、到達されなかった水準、失われた時間、行われなかった方向転換に、ほとんどの取締役会が注意を向けていない。
取締役あっちはマネジメントの業績を客観的に眺める態度を取り戻さなくてはならない。年来、生産性と並んで、次第に失われてきたのは客観性。
第十三章 気になること―結びとして
良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である。
“ガッツ”、マネジメントは生きている力、納得できる水準、その気があるなら高い水準に達するように、物事をやり遂げる力。
リーダーシップは、物事を遂行するように人々を駆り立て、答えを出さなくてはならないと感じるがゆえにそれをやり続け、満足できる結果を得るまでやめないように駆り立てる情念の力。
物事を行うには会社の機構を通し、近道をせず、ルールにしたがってやらねばならぬ、しかしルールに従って考える必要はない。物事がいつでもなされるやり方に自分の想像力を閉じ込めるのは大きな誤りである。
真のリーダーで、どれほど高価につこうとも自分に課された宿題をやらない人間には、私は会ったことがない。
第十四章 やろう!
実績のみが、きみの自信、能力、そして勇気の裁量の尺度だ。実績のみがきみ自身として成長する自由をきみに与えてくれる。
マネジャーとは“実績をもたらす人間”だと定義する。
再度、読み返して気がついた箇所がある。
営業経験の最大の意義は一対一の折衝を無数に伴う業務であることだ。しばしば指摘されるように、結局、ビジネスは一対一。
良いリーダーはあまねく「やってみて、フィードバックを得る」という、実に明瞭でシンプルな原則を大切にしている。どう消化するか?
卓越したリーダーは、居心地の悪い場所から飛び出すことをいとわない。同時に、極めて地に足のついているようにも見える。
自分の原点を意識する。取り巻く状況の変遷にただ流されない。おかれた状況に適応していく。自分らしさを見失わずに行っていくのだ。