父親がなくなって今日でちょうと1ヶ月です。去年の10月に交通事故に会い、その後ずっと入院生活でした。多少は良くなったりしたようですが、あまり良くない容態で、少し良くなったり、悪くなったりの繰り返しだったようです。
何度も帰省してお見舞いに行きましたが、事故以来一度もちゃんと話すことはありませんでした。
事故にあったときも、亡くなったときも、直後に帰省する予定があったので、なぜもっと早く帰らなかったのかという後悔がないわけではありませんでした。
今回の地震と津波でふるさとの石巻は大変な被害を受けました。震災から一週間たった昨日やっと一人暮らしの母親の無事が確認できました。心配で帰省しようとしていることを話すと、逆に心配になるので、帰ってくるなと言います。
地域の人たちと協力しながら頑張っているようです。当時我が家にはペットボトルの水の買い置きがあったそうです。母はその水を近所の人に配ったそうです。そして今度は、足の悪い母親のために、近所の人が水を汲んできてくれているそうです。でもこれは、何かをやったから何かするではなく、自然に助け合っているそうです。
帰省しなくて良いという母親ですが、「夜が怖い、朝が来るのを夜通し待ち続けている」と話しています。そんなことを聞くと、なんとか帰省したいと考えてしまいます。しかも、今日になると、そのことを後押しするような情報が入ってきました。
何気なく見ていたテレビから石巻の治安が悪くなっていると。そのことをやっとつながった携帯で話していると、母親から、自宅の近くの場所で、買い物袋を持っていた人が、ナイフを持った人に襲われたということを話してくれました。
このことを聞いて、すぐにでも帰省する決心をしました。父親の時と同じ後悔をしたくないと。
愛犬をどうぶつ病院に預け、母親の実家にいるいとこに電話しました。小さいときからお世話になっている年の離れたいとこです。父親の入院中も、葬儀のときも、ほんとにお世話になりました。
電話したときは飲んでいたようでした。帰省の話をすると、今は帰ってくるなと言います。それでも、今の現地の状況を話したりするうちに、やっぱり行きたいと話すと、帰ってくるなと。そして、「おばちゃんは俺が守るから大丈夫だ。心配するな。」と言われました。酔っているようでしたが、しっかりと聞こえました。
この言葉を聞いて、帰省をするのをとどまるのと同時に、自分はこんな風に、自分の家族以外の人を守るなんて言えないよな。と自分との器の大きさの違いを感じました。素直にすごいです。
父親の死や、今回の震災でものすごくたくさんのことを学んでいるような気がします。それでも、それらのことが自分の中でどんどん消化され、今までよりもずっとしっかりした考え方が出来てきているように感じます。
これらの経験を糧に、また一皮向けた人間になれればと思います。
=== 3月22日に追記
帰省を断念し、翌日に「片倉どうぶつ病院」に愛犬を迎えに行きました。先生も看護婦さんも、とっても喜んでくれました。そして宿泊のお金の支払いをしようとすると、いりませんと。こんな時ですからと、暖かい気持ちをいただきました。
震災の支援というと募金をしたり、現地に行って何かお手伝いをしないとと考えがちですが、自身の仕事を通じて出来る、小さな貢献ってこんなところから始まるのだと感じました。自分自身も長い目で見て、ふるさとの復興の役に立てればと強く思いました。
神奈川県横浜発 ”経営者と従業員の幸せ”をお手伝い エマージェント・フィールズ
エマージェント・フィールズ 写真集
何度も帰省してお見舞いに行きましたが、事故以来一度もちゃんと話すことはありませんでした。
事故にあったときも、亡くなったときも、直後に帰省する予定があったので、なぜもっと早く帰らなかったのかという後悔がないわけではありませんでした。
今回の地震と津波でふるさとの石巻は大変な被害を受けました。震災から一週間たった昨日やっと一人暮らしの母親の無事が確認できました。心配で帰省しようとしていることを話すと、逆に心配になるので、帰ってくるなと言います。
地域の人たちと協力しながら頑張っているようです。当時我が家にはペットボトルの水の買い置きがあったそうです。母はその水を近所の人に配ったそうです。そして今度は、足の悪い母親のために、近所の人が水を汲んできてくれているそうです。でもこれは、何かをやったから何かするではなく、自然に助け合っているそうです。
帰省しなくて良いという母親ですが、「夜が怖い、朝が来るのを夜通し待ち続けている」と話しています。そんなことを聞くと、なんとか帰省したいと考えてしまいます。しかも、今日になると、そのことを後押しするような情報が入ってきました。
何気なく見ていたテレビから石巻の治安が悪くなっていると。そのことをやっとつながった携帯で話していると、母親から、自宅の近くの場所で、買い物袋を持っていた人が、ナイフを持った人に襲われたということを話してくれました。
このことを聞いて、すぐにでも帰省する決心をしました。父親の時と同じ後悔をしたくないと。
愛犬をどうぶつ病院に預け、母親の実家にいるいとこに電話しました。小さいときからお世話になっている年の離れたいとこです。父親の入院中も、葬儀のときも、ほんとにお世話になりました。
電話したときは飲んでいたようでした。帰省の話をすると、今は帰ってくるなと言います。それでも、今の現地の状況を話したりするうちに、やっぱり行きたいと話すと、帰ってくるなと。そして、「おばちゃんは俺が守るから大丈夫だ。心配するな。」と言われました。酔っているようでしたが、しっかりと聞こえました。
この言葉を聞いて、帰省をするのをとどまるのと同時に、自分はこんな風に、自分の家族以外の人を守るなんて言えないよな。と自分との器の大きさの違いを感じました。素直にすごいです。
父親の死や、今回の震災でものすごくたくさんのことを学んでいるような気がします。それでも、それらのことが自分の中でどんどん消化され、今までよりもずっとしっかりした考え方が出来てきているように感じます。
これらの経験を糧に、また一皮向けた人間になれればと思います。
=== 3月22日に追記
帰省を断念し、翌日に「片倉どうぶつ病院」に愛犬を迎えに行きました。先生も看護婦さんも、とっても喜んでくれました。そして宿泊のお金の支払いをしようとすると、いりませんと。こんな時ですからと、暖かい気持ちをいただきました。
震災の支援というと募金をしたり、現地に行って何かお手伝いをしないとと考えがちですが、自身の仕事を通じて出来る、小さな貢献ってこんなところから始まるのだと感じました。自分自身も長い目で見て、ふるさとの復興の役に立てればと強く思いました。
神奈川県横浜発 ”経営者と従業員の幸せ”をお手伝い エマージェント・フィールズ
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