今日は穂積の7回目の誕生日です!
その穂積は、2015年6月25日18時25分に息を引き取りました。
悪性末梢神経鞘腫瘍という病気でした。
穂積は、最後までとっても男らしい男の子でした!
穂積は一人暮らしの自分が初めて飼ったペットで、育て方も分からずにネットの情報などで厳しくした方が良い子に育つなどと思って、厳しずぎる育て方をしたのかもしれません。そんなこともあってか、ちょっと臆病で優しい子でした。
その後、穂積が寂しいだろうと思って迎え入れた日和は、とっても気が強くて元気な女の子で、穂積にとっては、迎え入れない方が良かったかもと何度も思いました。
それでも、人と会えば喜んで、ドッグランに連れて行くと他の子ともすっ飛んで遊んでいて楽しそうでした。
会社を辞めて独立して、もう少ししたら、ユックリとドッグランや旅行に連れて行ってあげると思いながら、なかなか時間が取れず、まだ6歳だから、最低でも10歳は生きてくれて、それまではまだ時間があると思っていたところにガンの宣告を受けました。
もっといろんなことを後回しにしないでやってあげていればと後悔しました。
6歳の誕生日の2日前にガンの宣告を受けて、12月末には腫瘍が大きくなって痛みで眠れない日々が続き、1月の初めに手術をして、一旦は落ち着きました。
2月の定期検診ではガンも見えなくなって、もしかしたら手術前に目標にしていた、もう一回一緒に誕生日を迎えられるかもと期待したのですが、やはり、再発率がほぼ100%の病気ということで、3月の末に再発。
余命1か月から2か月という宣告を受けて、後はガンの治療法もなく、苦しまないで最期を迎えるのを待つしかなくなりました。
しばらく安定していた穂積ですが、5月1日から急に苦しみ出しました。神経の腫瘍が徐々に広がって、腫瘍が脊髄に入り込み、全身を痛みが襲っていたのが原因でした。そこからは麻薬指定の痛み止めのお世話になり、少しずつ体の自由が奪われて行くことになります。
それから約2か月、それでも、穂積は痛いとも言わずに、苦しそうではありましたが、近くにすり寄って来て、それは本当に幸せな時間でもありました。
日和が甘えん坊なので、控えめな性格の穂積は、実はあまり私に甘えることがありませんでした。6年間ずっと、穂積はそういう性格の犬なんだと思ってました。
それが、病気になって、苦しくて、すり寄ってくるようになって、そこに無理やり日和が割り込んで来ようとしても、それまでだったら間違いなく日和に譲っていた場所を、明け渡そうとはしませんでした。
6年間ずっと、自分のそばに寄り添いたいと思っていたのに、日和や周りに気遣って。一歩引いていたのだと思います。
穂積はそういう子でした。
穂積のことをかわいがっていなかったわけではないのですが、もっともっと自分からかまってあげれば良かったと思っています。亡くなってしばらくは、後悔で胸がつぶれそうでした。
それでも痛みに耐えながらも、それまでの6年間以上の密度の濃い時間を一緒に過ごしたことが罪滅ぼしのように思えて、そんな風に出来たこと自体も、穂積が穂積自身が亡くなった後の私の事を考えてくれてのことだと思います。
本当にやさしい、誰からも愛される子でした。
そんなことを言っても仕方がないことは分かってはいるのですが、なんで穂積が病気になって、こんなつらい思いをしなければならなかったんだろうと考えてしまいます。
6月には食事が出来なくなって、のどに穴をあけて胃に直接チューブを通してごはんをあげるようになりました。
6月の中旬には腫瘍が片方の肺をつぶして、酸素を一日中供給する装置を設置して、ごはんとおしっこ、ウンチの時以外は、その中に一日中入っていないといけなくて。
その後には、血液中のナトリウムなどの異常値を少しでも正常に戻るよう、毎日8時間もの点滴を受けました。
亡くなる一週間前くらいからは、このまま頑張らせることは、彼の苦しみを長引かせるだけなんじゃないかと、安楽死を選ぶべきではないかと悩みました。
何度も安楽死を考えましたが、最後まで自分の脚で立ち続け、おしっこも自分でして、それが出来なくなったら安楽死と思っていたのですが、最後まであきらめない子でした。
長い距離を歩くことは出来ないのですが、それでもおしっこはしっかり立って、亡くなる数日前には抱っこしていつもより遠くまでお散歩。そこでは信じられないくらいしっかりと長い距離を走り出したり。
もう最期が近いことを穂積は知ってたのかな。
亡くなる前日に点滴中の動物病院から連絡があって、容態が急変したのですぐに来てくださいと連絡を受けました。
息が出来なくなっていて、このまま安楽死させるのか、家に帰って看取るのかの選択を迫られたのですが、10分ほど様子を見た後、穂積はまだ生きてくれると感じて、治療の継続をお願いしました。
その結果、信じられないことですが、持ち直して一命をとりとめました。
動物病院ではシャンプーもしてもらっていて、その日は大好きなトリマーさんがお休みだったんです。
そしてついに翌日、動物病院の点滴からの迎えに行って、清算をしている時に急に苦しみだしました。酸素を肺に直接送り込むなど処置をしてもらいましたが、最後は首を絞殺されたような苦しそうに息を引き取りました。
シャンプーをしてもらったり、宿泊させてもらったりしていた動物病院だったので、大好きな看護士さんやトリマーさん、先生や私自身と、大好きな人たちに囲まれて息を引き取れるタイミングは、迎えに行ったあのタイミングしかなかったのかなと思います。
大好きな人たちみんなに見守られての最期でした。
その時にも、「穂積、頑張れ」って声をかけていたら、穂積はもう一回頑張ってくれたのかもしれません。それでも、あんなに頑張ってた穂積にそれ以上頑張れなんて声をかけることは出来ませんでした。
10分ほど苦しんだでしょうか。心の中で「もう頑張らなくていいんだよ。」ってつぶやいて、なんて声をかけたら良いか分からない中で、「穂積、かわいいよ」と声をかけた瞬間に最期の苦しみを持って亡くなりました。
あの瞬間のことを忘れることはないと思います。
そんな穂積が私の残してくれたものが大きすぎて、おおげさかもしれませんが、自分のこの後の人生に大きな影響を与えるのは間違いないです。
亡くなって半年たった今でも、穂積にもう会えないんだ。抱っこしてあげることが出来ないんだと現実に引き戻されます。
それでも毎日ごはんをあげて、日和との散歩に一緒に連れて行って、お線香をあげて、毎日穂積と連れ添って生きて行きたいです!
そして穂積は、いつまでも自分たちのことを見守ってくれていると思います。
そして今日は、ただただ穂積の誕生日を一緒にお祝いしたいと思います!
写真は去年の穂積の誕生日のものです。

神奈川県横浜発 ”経営者と従業員の幸せ”をお手伝い エマージェント・フィールズ
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その穂積は、2015年6月25日18時25分に息を引き取りました。
悪性末梢神経鞘腫瘍という病気でした。
穂積は、最後までとっても男らしい男の子でした!
穂積は一人暮らしの自分が初めて飼ったペットで、育て方も分からずにネットの情報などで厳しくした方が良い子に育つなどと思って、厳しずぎる育て方をしたのかもしれません。そんなこともあってか、ちょっと臆病で優しい子でした。
その後、穂積が寂しいだろうと思って迎え入れた日和は、とっても気が強くて元気な女の子で、穂積にとっては、迎え入れない方が良かったかもと何度も思いました。
それでも、人と会えば喜んで、ドッグランに連れて行くと他の子ともすっ飛んで遊んでいて楽しそうでした。
会社を辞めて独立して、もう少ししたら、ユックリとドッグランや旅行に連れて行ってあげると思いながら、なかなか時間が取れず、まだ6歳だから、最低でも10歳は生きてくれて、それまではまだ時間があると思っていたところにガンの宣告を受けました。
もっといろんなことを後回しにしないでやってあげていればと後悔しました。
6歳の誕生日の2日前にガンの宣告を受けて、12月末には腫瘍が大きくなって痛みで眠れない日々が続き、1月の初めに手術をして、一旦は落ち着きました。
2月の定期検診ではガンも見えなくなって、もしかしたら手術前に目標にしていた、もう一回一緒に誕生日を迎えられるかもと期待したのですが、やはり、再発率がほぼ100%の病気ということで、3月の末に再発。
余命1か月から2か月という宣告を受けて、後はガンの治療法もなく、苦しまないで最期を迎えるのを待つしかなくなりました。
しばらく安定していた穂積ですが、5月1日から急に苦しみ出しました。神経の腫瘍が徐々に広がって、腫瘍が脊髄に入り込み、全身を痛みが襲っていたのが原因でした。そこからは麻薬指定の痛み止めのお世話になり、少しずつ体の自由が奪われて行くことになります。
それから約2か月、それでも、穂積は痛いとも言わずに、苦しそうではありましたが、近くにすり寄って来て、それは本当に幸せな時間でもありました。
日和が甘えん坊なので、控えめな性格の穂積は、実はあまり私に甘えることがありませんでした。6年間ずっと、穂積はそういう性格の犬なんだと思ってました。
それが、病気になって、苦しくて、すり寄ってくるようになって、そこに無理やり日和が割り込んで来ようとしても、それまでだったら間違いなく日和に譲っていた場所を、明け渡そうとはしませんでした。
6年間ずっと、自分のそばに寄り添いたいと思っていたのに、日和や周りに気遣って。一歩引いていたのだと思います。
穂積はそういう子でした。
穂積のことをかわいがっていなかったわけではないのですが、もっともっと自分からかまってあげれば良かったと思っています。亡くなってしばらくは、後悔で胸がつぶれそうでした。
それでも痛みに耐えながらも、それまでの6年間以上の密度の濃い時間を一緒に過ごしたことが罪滅ぼしのように思えて、そんな風に出来たこと自体も、穂積が穂積自身が亡くなった後の私の事を考えてくれてのことだと思います。
本当にやさしい、誰からも愛される子でした。
そんなことを言っても仕方がないことは分かってはいるのですが、なんで穂積が病気になって、こんなつらい思いをしなければならなかったんだろうと考えてしまいます。
6月には食事が出来なくなって、のどに穴をあけて胃に直接チューブを通してごはんをあげるようになりました。
6月の中旬には腫瘍が片方の肺をつぶして、酸素を一日中供給する装置を設置して、ごはんとおしっこ、ウンチの時以外は、その中に一日中入っていないといけなくて。
その後には、血液中のナトリウムなどの異常値を少しでも正常に戻るよう、毎日8時間もの点滴を受けました。
亡くなる一週間前くらいからは、このまま頑張らせることは、彼の苦しみを長引かせるだけなんじゃないかと、安楽死を選ぶべきではないかと悩みました。
何度も安楽死を考えましたが、最後まで自分の脚で立ち続け、おしっこも自分でして、それが出来なくなったら安楽死と思っていたのですが、最後まであきらめない子でした。
長い距離を歩くことは出来ないのですが、それでもおしっこはしっかり立って、亡くなる数日前には抱っこしていつもより遠くまでお散歩。そこでは信じられないくらいしっかりと長い距離を走り出したり。
もう最期が近いことを穂積は知ってたのかな。
亡くなる前日に点滴中の動物病院から連絡があって、容態が急変したのですぐに来てくださいと連絡を受けました。
息が出来なくなっていて、このまま安楽死させるのか、家に帰って看取るのかの選択を迫られたのですが、10分ほど様子を見た後、穂積はまだ生きてくれると感じて、治療の継続をお願いしました。
その結果、信じられないことですが、持ち直して一命をとりとめました。
動物病院ではシャンプーもしてもらっていて、その日は大好きなトリマーさんがお休みだったんです。
そしてついに翌日、動物病院の点滴からの迎えに行って、清算をしている時に急に苦しみだしました。酸素を肺に直接送り込むなど処置をしてもらいましたが、最後は首を絞殺されたような苦しそうに息を引き取りました。
シャンプーをしてもらったり、宿泊させてもらったりしていた動物病院だったので、大好きな看護士さんやトリマーさん、先生や私自身と、大好きな人たちに囲まれて息を引き取れるタイミングは、迎えに行ったあのタイミングしかなかったのかなと思います。
大好きな人たちみんなに見守られての最期でした。
その時にも、「穂積、頑張れ」って声をかけていたら、穂積はもう一回頑張ってくれたのかもしれません。それでも、あんなに頑張ってた穂積にそれ以上頑張れなんて声をかけることは出来ませんでした。
10分ほど苦しんだでしょうか。心の中で「もう頑張らなくていいんだよ。」ってつぶやいて、なんて声をかけたら良いか分からない中で、「穂積、かわいいよ」と声をかけた瞬間に最期の苦しみを持って亡くなりました。
あの瞬間のことを忘れることはないと思います。
そんな穂積が私の残してくれたものが大きすぎて、おおげさかもしれませんが、自分のこの後の人生に大きな影響を与えるのは間違いないです。
亡くなって半年たった今でも、穂積にもう会えないんだ。抱っこしてあげることが出来ないんだと現実に引き戻されます。
それでも毎日ごはんをあげて、日和との散歩に一緒に連れて行って、お線香をあげて、毎日穂積と連れ添って生きて行きたいです!
そして穂積は、いつまでも自分たちのことを見守ってくれていると思います。
そして今日は、ただただ穂積の誕生日を一緒にお祝いしたいと思います!
写真は去年の穂積の誕生日のものです。

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