
トルーマン・カポーティです。
カポーティの作品はどちらかというと幻想的過ぎて、続けて読むには辛いかな
なんて思ってますが、この作品は少々趣が変っている気がします。
そもそも大人に近い女性をヒロインにしたのは確かこれが初めてです。
それと舞台がニューヨーク、というのも珍しい。。
この題名を見ると、どうしてもオードリー・ヘップバーンを思い起こしますが
映画と原作は別物、と思ったほうが良いです。
カポーティがホリーをイメージしてたのは実はマリリン・モンローだったと
どこかに書いてありましたが、なるほど・・・となんとなく納得でした。
映画は映画でヘップバーンの魅力満載でお洒落ですけどネ。
原作のホリーは本当の風来坊です。名刺の住所は「旅行中」。
この題名はあくまでも比喩です。
映画では冒頭に、ティファニーの前でパンを齧るホリーの様子を映してますが
小説では「たとえティファニーで朝食をとるような身分になっても、
自我だけは捨てたくないわ。」というセリフのみ。
ホリーが自宅であるマンションの部屋に入るのに、
必ず住民の誰かに迷惑をかけるのですがこの小説の語り手は
なんとなくそれを歓迎するのですね。
「わたしは映画スターになんか絶対なれっこないってこと、
知りすぎるほど知ってたわ。―――
あたしにはそれにがまんできるだけの劣等感がない―――」
数々の名セリフを吐き出す彼女の独特の魅力。。
そう。。ホリーに魅了されてしまうのです。
捨て猫と一緒に住んでますが、彼女いわく
「私達はある日、河のほとりで偶然出くわしたの。」
ラスト近くで、この猫を置き去りにして一度去ろうとし、
感極まってもう一度拾いに戻りますが、既にその姿は
どこにも無かったシーンは、なんとも薄ら寒い気持ちでした。
まるで一陣の風が吹き抜けていったかのような・・・。
この猫が何気に象徴的な意味を持っていた気がします。
映画ではとてもロマンティックな結末でしたけど、小説は結構シビア。。
映画では味わえないホリーの魅力・・・是非原作で味わって頂きたいです。
そうそう。。表題作だけでなく、短編もいくつか掲載されてますが
カポーティの繊細な優しさ満載なのでちょっとお勧めです
素材提供:ゆんフリー写真素材集
いましたね。住人の一人に。。
私も今すぐは出てきませんです~。。スミマセン^^;
当時のニューヨークの様子、確かにイメージつかめる作品ですね。
そうなんだァって^^
映画しか見てないと原作通りって錯覚を持ってしまう。
一般的には原作とは違う方が多いかしら?
プラムさん、今日は連休前のリラックスタイム?
ちょっと壊れてます~
聞いてましたが
なんか、読まなくなっちゃうかもです。
ネコの心配をしてしまう…
私の知らない小説を山のように読まれてらっしゃるのですから。。
私はどうしても翻訳物に気持ちが傾いてしまうのです。
こればっかりは好み・・・としか言いようがありませんね^^
カポーティはモンローとお友達だったのですよね。
映画を観てそのイメージが焼きついていると、
小説を読んでも、モンローのイメージは沸かないかも知れません。。
そのくらいあの映画はヘップバーンのカラーに染まってましたね。
小説の中で語り手がさり気なく・・・想像で、ですが
猫のその後について非常に楽観的な意見を述べてますが
おそらくその通りだろうな~と思われるくらい
ふてぶてしい猫ちゃんでしたから
でも原作では、再会できないということでしょうか?
トルーマン・カポーティが原作だったんですか!
すごくロマンチックな映画だし、音楽も素敵だったんですね。
この映画のオードリーのファンは多いです。
もしマリリン・モンローが演じたとしたら、
もっと切ないけど、痛々しいほど強いホリーが出現したかもですね・・。
この映画は本当にロマンチックに仕上がってますね。
まさにヘップバーンの世界です。
カポーティの世界は全く違いますから、原作を読んでしまってると
複雑な気持ちは否めなかったりしてます。
マリリン・モンローが演じたら・・・
もっときっと泥臭い(?)雰囲気だったんじゃないかな~なんて
勝手に思ってます
原作はホリーも猫も風来坊でした~