彩色ファッションプレート
『マリー・アントワネット時代の流行と慣習』全2巻揃
1885年初版/マリー・アントワネット紋章入り装幀三方金
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レゼ伯爵
『マリー・アントワネット時代の流行と慣習 王妃と宮廷貴婦人たち御用の服飾品商、及び婦人服裁縫師エロフ夫人の日誌』 全2巻揃
パリ;フィルマン=ディドー 1885年初版
ヴェルサイユ宮出入り商人エロフ夫人の1787年から1793年までの克明な日誌を中心とし この時期の服飾や慣習の細部について記述したもの。
第1巻は1787年から1790年まで483頁,第2巻は1790年から1793年までの540頁にわたる大著で合計200点の図版は,当時のファッション・プレート,王妃の遺品,流行した装飾の写真,肖像画などから成っており,うち68枚は色刷りである。
前文によれば,編者レゼ伯爵は,本書発刊の約100年前のロココ時代の王妃マリー・アントワネットに深く傾到し,様々なつてを求めてその遺品,肖像画,ゆかりある人々に接するうちにこのエロフ夫人の日誌に遭遇した。その細密な記録に触れる過程で,従来享楽的で浪費癖があると言われた王妃とは食い違った,当時の貴族社会としてはごく普通の一女性の姿を見出したと語っている。
エロフ夫人の素姓については編者もつまびらかにはしていないが,日誌の中では王妃,王女,侯妃,公妃,大富豪夫人向けの一流のクチュリエールで,その伯母と思われるポンペ夫人の後継者と自称している。2人の名はパリの年鑑の商人名簿には見当らないが,恐らく王妃のランジェリー類専門の商人として宮廷に出入りし始めたのだろうと編者は推測している。
そして,王妃の幸福な時期に始めた取り引きを,革命勃発から1793年10月の処刑までの悲惨な数年間にも継続し,忠誠を尽くしたが,この点王妃のドレスデザイナーとされるローズ・ベルタン嬢とは大きく異なるところといえよう。日誌は1793年8月19日で止まっている。王党派であることを隠そうとしなかった夫人のその後の生死,運命については,不明とのことである。
日誌は一日ごとの納入に関して,客名,品名,数量,形,価格などを記しているのみで,商売用の覚え書風である。しかし,当時流行の細々とした婦人服の装飾,ことにレースやリボン,また生地など種類,色,形などを知るにはかっこうの資料である。また,編者は日誌に登場する人物の素姓,経歴,その日の社会的・個人的事件の解説を詳細に付記しており,さらに脚注に,服飾専門用語の簡単な説明も加えている。
巻末には1793年パリ刊の「マリー・アントワネットの死」と題する歌の楽譜,王妃に対してのみの納品の年代順リストがある。(能沢慧子「エロフ夫人 「マリー・アントワネット時代の流行と慣習」王妃と宮廷貴婦人たち御用の服飾品商, 及び婦人服裁縫師エロフ夫人の日誌 全2巻」『文化女子大学図書館蔵西洋服飾ブック・コレクション』(1985-10) pp.46-47 http://hdl.handle.net/10457/1624)
刊行当時の背革装、三方金。平の中央にはマリー・アントワネットの紋章。外装の状態は突起部にスレ。下巻の溝の革に亀裂、表表紙のジョイント部の緩みに補修。本文は全体に薄い変色がありますが、総じて良好です。完本。
この革装本は、内外の図書館で採用されている処方(Brecknel Turner Saddle Soap、Klucel G、Talas Leather Dressing、SC6000等)でメンテナンスされており特別なお手入れなしでもしばらくご入手時の状態をお楽しみいただけます。
書名:MODES ET USAGES AU TEMPS DE MARIE-ANTOINETTE
著者:Le comte de REISET
出版社:Paris, Firmin-Didot
出版年:1885
言語:フランス語
ページ数:483, 540p.
サイズ:29x19cm, 80サイズ
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