読書
2013-08-18 | 読書
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「三嶋神社」という文字を見て、何故か急に 樋口一葉の「たけくらべ」を思い出しました。「たけくらべ」で何となく浮かぶのが水仙の花でしたが、その本は多分中学生になってから関心を持ち、分からない所は適当に飛ばしてよく理解出来ないまま読んでしまったのだと思います。 映画にもなり観に行ったので、(その時の映画は五所平之助監督で美空ひばりと北原隆が主演でした。) もしかすると本の内容より映画の印象で、強く心に残っているのかも知れません。 その頃、「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く…」と始まる文章の、お歯ぐろ溝に燈火うつるなんてゆう言葉にも興味を持って読み始めたような気もします。 この小説は、吉原遊郭の近くの下町に住む大黒屋の美登利と龍華寺の信如や、そのまわりの正太郎、長吉たち思春期の少年 少女を描いた作品で、知らないことへの興味や美登利の気持ちに自分なりに共感するところもあって読み耽りました。 「或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懷かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに傳へ聞く其明けの日は信如が何がしの學林に袖の色かへぬべき當日なりしとぞ。」 と終わってしまい、妙に気の抜けたような、それでいて切ない気持ちを覚えていて、水仙が浮かんだのでしょう。 改めて、青空文庫で「たけくらべ」を読み直してみる事にしました。 「 たけくらべ」 製作=新芸術プロダクション 配給=新東宝 |
アメリカの代表的作家といわれる、マーク・トウェンの作品です。 1876年41歳の時に出版し、後にオックスフォード大学から文学博士の称号を贈られました。 両親を亡くし叔母のポリーに育てられたやんちゃなトムと、みなしごで町の人達から嫌がられているハックの物語。 この本を最初に読んだのは、小学生のころの夏休みだったような気がします。 冒険心をふくらませるような物語で、怖くてドキドキするけれど早く先を知りたくて、時々本を閉じて部屋の隅や窓の外を眺め、変わりの無いことを確かめてから、急いで続きを読み始めました。そんな張り詰めた気分になったところは、トムが、イボをとるためにハックと猫の死体を持って、墓地へやってきた時に見た恐ろしい光景。3人の大人が墓を掘り返しているのを息をひそめて見ていると、宝の地図を巡って争いになり、ジョーが人を殺してしまって、マフに濡れ衣をきせてしまう。 自分達が黙っていると、マフは殺人罪で死刑になってしまうし、本当のことを申し出ると人殺しのジョーの仕返しが怖いので、迷っていたトムがどうしたか……。 それから、夏休みにみんなと舟で小さな島に遊びに連れて行ってもらった時、トムが好きになった女の子ベッキーと二人きりで真っ暗な洞窟内で迷ってしまい、疲れたベッキーを待たせて一人出口を探している時に、突然人殺しのジョーと鉢合わせしそうになってどうなったか……。 明るく腕白なトムの、毎日の生活の中に海賊ごっこや宝探しなどがあって、ハラハラドキドキさせられながらも面白くていっ気に読んでしまうと思います。 |
「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 著者リリー・フランキー この本 ← リンク(内容)をブログのお友だち Amiさんにお借りした時に、読みながらとても泣けてしまった様子だったので、明日は日曜日であまり人に会う事も無いと思い夕べ読み始めましたが、ついつい引き込まれて夜が明けるのも気付かぬほどで最後まで読んでしまいました。とはいっても眼が悪いうえに涙で文字が霞んでしまい眼鏡があるのが邪魔なくらいで、とても読み終わるのに時間がかかってしまったのです。後で見るとティッシュペーパーが屑篭に溢れるほどでした。 煙の出なくなった長い煙突の立ち並ぶ筑豊の町を後にし、広い都の真ん中にすっくりと立ち凛と輝き続ける孤独な東京タワーに憧れ、何かを見つけようとしてそれを眺めながらコマのようにめまぐるしく生きてゆく若者が語るオカンとオトン、そして係わった様々な人々とのお話です。 どんな親も、子供に対する愛情は表し方がそれぞれ違っていても心の中は同じ想いと思います。この本を読んでいて同感する所が多く、その状況や気持ちも今迄にとおってきたその事と重なり、今自分自身が其処にいるような錯覚に陥ってしまった処もあって、うん、うんとうなずきながら読んでいました。 その中で個人的な思いで、 わずかな結婚生活で母親以外に無い暮らしをどう感じたのだろうか… 人にとって当たり前のことが自分にとって当たり前でなくなる、その平凡につまずいた時に何を祈るのだろう… ありきたりのことが真面目に行なわれるからこそ命のエネルギーは作り出されるのだろう… そして、オカンの遺言のなかにあった 健康には充分気をつけて 決しておごることなく 人の痛みのわかる人間になっておくれ… などの言葉が心に残りました。 そしてロバのパンが懐かしく、 前野君のお父さんを夫もそんな人だったと…、 好きなジョン・レノンが凶弾に倒れたのが1980年12月8日!! 改めて想い起こしました。 誰でもお互いが元気でいる時には何も感じることなく、まして若い時には自分のことを考えるだけでも精一杯で親の事は後回しになってしまいますね。何時の時代でも親は子を思い、その子も又子を思うのでしょう。けれど子はある時ふと親の年老いた事に気付かされ、はっとするのだと思います。この本を読むと、親子の間柄や誰にでもいつかは訪れる死ということを、深く考えさせられると思いました。 |