歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

ーダビデ王の懺悔ー「聖書と典礼」の詩編から

2020-10-13 | 「聖書と典礼」の研究 Bible and Liturgy
 黒死病の終熄を記念してウイーンに建立された像柱に描かれたレオポルド一世の肖像は、彼自身の懺悔と感謝の祈りを現している。
作曲家としてのレオポルド一世の典礼音楽の代表作の一つが、旧約聖書詩編(Miserere mei, Deus : 共同訳第51編)の「ダビデ王の懺悔の祈り」である。この典礼詩編は、深い「懺悔の言葉」に始まり、「感謝」で終わっている。
 第3節「わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります」の懺悔文は、他者の罪を告発するのではなく、まず最初に自己自身の罪と咎を告白するところに正しい懺悔の意味があることを示している。
第15節「主よ、わたしのくちびるを開いてください わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう」は『教会の祈り(聖務日課)」の朝課の冒頭の言葉である。
 レオポルド一世がオーストリア大公であり、神聖ローマ帝国の皇帝であったが、かれもまた現代を生きるわれわれとおなじく、悩みと苦しみに呻吟する一人の人間であった。最初の后妃マルガリータも二番目の后妃クラウディアもともに夭折したため、彼は二人の鎮魂のためのレクイエムを捧げている。(マルガリータに捧げたレクイエムは「細川ガラシャの時代の典礼音楽1-2」で聴きました)
 詩編51のmeserere mei, deus は、様々な作曲家によって取り上げられたが、レオポルド一世のものは、「王の懺悔」を自分自身の事柄として受けとめた彼の心情が良く表れていると思う。
 

音楽付細川ガラシアの時代の典礼音楽1-3

ーダビデ王の懺悔ー「聖書と典礼」の詩編から 黒死病の終熄を記念してウイーンに建立された像柱に描かれたレオポルド一世の肖像は、彼自身の懺...

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