いのちあれ我が足下の春の雪
(photo by ガラクタ箱さん)
今朝の東京は、珍しく雪。昨日はそんな気配もなかったので驚かされた。直ぐに消える儚さとともに、新しいいのちの鼓動が大地より伝わる。三島由起夫の小説では、226事件の事が念頭にあるのか、行動すべき時期を逸した心情と重なる-このように、「春の雪」には様々な想いが込められているようだ。
昨日、駿河療養所のあるかたから「共生と創造」というイベントの案内状を戴いたので、幾つかの掲示板に転載させて頂いた。
「共生と創造」この二つの言葉は、私自身がもっとも惹かれる言葉だ。人によっては、なんでいまさら「ハンセン病を知ってください」なのか、と思うかも知れない。あまりにも時期が遅すぎる。遅くとも昭和30年代に、すでにこのような運動が療養所の内部からの声に呼応して、起こるべきであったのだ。寧ろ、「私はハンセン病について、もっとはやく知るべきであった」と思う。それと同時に、自分なりに一個人の視点から、昭和10年代、20年代に療養所で書かれた文藝作品、療養所で書き続けられた様々な記録を蒐集・編集し、それから学びたいと思う。
(photo by ガラクタ箱さん)

昨日、駿河療養所のあるかたから「共生と創造」というイベントの案内状を戴いたので、幾つかの掲示板に転載させて頂いた。
「共生と創造」この二つの言葉は、私自身がもっとも惹かれる言葉だ。人によっては、なんでいまさら「ハンセン病を知ってください」なのか、と思うかも知れない。あまりにも時期が遅すぎる。遅くとも昭和30年代に、すでにこのような運動が療養所の内部からの声に呼応して、起こるべきであったのだ。寧ろ、「私はハンセン病について、もっとはやく知るべきであった」と思う。それと同時に、自分なりに一個人の視点から、昭和10年代、20年代に療養所で書かれた文藝作品、療養所で書き続けられた様々な記録を蒐集・編集し、それから学びたいと思う。