歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

武士道という「旧き契約」ー「代表的日本人」から

2006-10-23 |  宗教 Religion

トムクルーズ主演のアメリカ映画に「ラストサムライ」と題するものがあったが、武士道は、封建時代の日本のサムライの倫理であるにもかかわらず、現代アメリカの映画監督の琴線にさえも訴えるところがあったようだ。何故だろうか。

ところで、この「ラスト・サムライ」という言葉についてであるが、實は、内村鑑三の「代表的日本人」の西郷隆盛の章に、次のようなくだりがある。   

西郷を討った側の者もみなその死を悼んだ。涙ながらに彼の遺体は埋葬され、  今日に至るまで涙にくれて墓参する人はあとを絶たない。  かくして最も偉大なる人物、おそらくは「最後のサムライ」(the last of the samurai) ともいうべき人物が  この世から姿を消したのである。

映画の「ラストサムライ」の話は別にして、何故、基督者の内村鑑三が「最も偉大で、おそらくは最後のサムライ」として西郷隆盛を論じたのか、それは説明を要する。西郷の言葉と行動のうちには、内村の心に深く訴えかけるものが有ったに違いない。 「代表的日本人」は英語で書かれたが、西郷の人生観を要約する言葉-「敬天愛人」-と西郷の詩文を内村はいくつか翻訳して引用している。  

 「天は人も我も同一に愛し給ふが故に、我を愛する心を以て人を愛するなり」 (Heaven loveth all men alike;so we must love others with the love with which we love ourselves.) という西郷の言葉には、律法と預言者の思想が込められており、  西郷がそのような壮大な教えをどこから得たのか興味深いところである。

内村は、西洋の宣教師によってキリスト教が明治の日本に伝えられる遙か以前から、万物の創造主である神が、日本人にそのこころをつたえなかった訳ではないと考える。言うなれば、神は、ユダヤ人に対してのみ「旧き契約」を結ばれただけでなく、世界の諸民族に対しても、その伝統と文化に応じた形で、その天意を伝え、キリストの教えにたいする準備をされていたはずである。 内村は、福音書のイエスの言葉に呼応する言葉が、西郷の遺文にあるのを見出す。それは、「天にいます主」によって直接に、「代表的日本人」の一人である西郷に伝えられたに違いないーつまり内村は、言うなれば匿名のキリスト者として、西郷を描いているのである。

封建道徳という時代の制約の下にありながらも、その道徳(旧き契約)を突きぬけるような死生観が西郷の言葉と実践の中にある。それは「最も偉大なる、おそらくは最後のサムライ」の死として過去のものになったとはいえ、完全に姿を消したわけではない。それは、基督者である内村自身の中に、明治という新しい時代の日本の基督者としての内村自身の中にも、その「最後のサムライ」の精神が、かたちを新たにして生きているーそういう印象を受けた。

内村が引用している西郷の詩文に次のようなものがある。(内村の英訳を付する)  

一貫唯唯諾す         Only one way, "Yea and Nay";  
従来鉄石の肝         Heart ever of steel and iron.  
貧居傑士を生じ        Poverty makes great men;  
勲業多難に顕わる              Deeds are born in distress,  
雪に耐えて梅花麗しく     Through snow, plums are white,  
霜を経て楓葉丹し       Through frosts, maples are red;  
もしよく天意を識らば      If but Heaven's will be known,  
あに敢えて自ら安きを謀らん Who shall seek slothful ease!  

地古く、山高く         Land high, reccesses deep  
夜よりも静かなり       Quietness is that of night  
人語を聞かず         I hear not human voice,  
ただ天を看るのみ       But look only at the skies

この詩文の最後の二節は、その前の詩文の、「もしよく天意を識らば、あに敢えて自ら安きを謀らん」と呼応している。それは、単に山に籠もって自然に親しむと云うだけでなく、世俗の人の声を離れて、唯天を仰いで、神の声を聞くという意味に、内村は解釈していたと思う。それは、この著作を書いた当時の内村自身の心境でもあったろう。

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