1986年「多磨」4月ー7月 に4回に分けて連載された「いのちの重み」という論説を紹介しよう。この時期、松本馨さんは、薬害(サリドマイドの後遺症)で病床にあり、おそらくは遺書のつもりで、この文を(口述筆記で)纏められたと思う。「ラザロ・恩田原」というペンネームは、「この病は死に至らず」という松本さんの著書を暗示しているようだ。
この文書は、「自治会会長」としての肩書きをはずして、戦中・戦後を生き抜いてきた匿名の「一療養者」の立場から、未来の「21世紀の日本の読者」へむけて書かれた松本馨さんのメッセージである。
この文書を発表したときの全生園は、まだ光田健輔の縁者が園長を務めていた時代であったが、松本さんは、實に明快率直に、「光田イズム」の批判を書いている。
「いのちの重み」ラザロ恩田原(松本馨)「多磨」誌1986年4-7月号から抜粋
この文書は、「自治会会長」としての肩書きをはずして、戦中・戦後を生き抜いてきた匿名の「一療養者」の立場から、未来の「21世紀の日本の読者」へむけて書かれた松本馨さんのメッセージである。
この文書を発表したときの全生園は、まだ光田健輔の縁者が園長を務めていた時代であったが、松本さんは、實に明快率直に、「光田イズム」の批判を書いている。
「いのちの重み」ラザロ恩田原(松本馨)「多磨」誌1986年4-7月号から抜粋
戦後四十年を経過して、国際的にも悪名高いらい予防法が今もなお存在していることに、今さらながら驚きをおぼえるとともに、改正できない原因がどこにあるのか、改めて考えさせられた。全患協は、らい予防法改正の是非を会員に問おうとしているが、そのような方法は問題の本質をついているとは思えない。隔離とワゼクトミーによって、患者とその子孫の撲滅をはかった行為は、ある人種は有害であるからと、ヒットラーは、六〇〇万人のユダヤ人を殺戮したが、その思想とどこかでつながっているようである。という文によって、松本さんの「いのちの重み」は始まる。そして、日本の過去の癩医療政策を回顧し、所謂三園長証言や、国際らい学会での宮崎発言などを引用した後で、次のように問題点を整理している。
私がこれから問題にしょうとしているのは、このような思想の生まれた背景と、改正の障害となっているのは、厚生省なのか、現場の所長なのか? 全患協なのか? それとも他に決定的な要因となるものがあるのか、ということである。」
宮崎発言からさらに二十年近くが経過しているが、光田が敷いた隔離撲滅政策のレールをライ学会は基本的には忠実に守っている。これに対して、学会からの反論があろう。我国では既に解放政策をとり社会復帰や外出の自由を認めているではないか。政府も同じような考えをもっていると思うが、我国は法治国家であり、らい予防法の骨旨となっている医療差別も今日なお生きている。WHOが非難するのはこの点なのである。一度らいの宣告を受けた者は、永久にらいの刻印を押れ、公けには健康保険は使用できない。患者はらい療養所以外では医療を受けることはできないからである。社会復帰者が健康保険を使用できるのは、もとらい者であることを隠しているからであり、公けに利用している訳ではない。現行予防法の改正ができない原因はどこにあるか。厚生省の体質によるか、らい学会の保守性にあるか、国民の合意が得られないところにあるのか。私はこの問題の原因とらい行政の責任を追求しているうちに、日本人の国民性に目を開かれ、思いがけない結論に達し愕然とした。私が、「いのちの重み」で問題にしたのはこの一点である。(中略)松本さんがこの論文を書いていた頃、中曽根総理の靖国神社参拝に対して中国の学生達が猛烈な抗議デモをした。現在とよく似た状況にあったわけだが、この問題に関して松本さんは次のようにコメントしている。
独占企業化したらい学会の隔離撲滅政策を医学上の立場から批判できる機関を大学はになうべきものと思うが、それがないということほど患者にとって不幸なことはない。京都大学皮膚特研があるが、規模が小さく、らい学会を批判できる力はないように思える。国際的に批難を浴びながら戦後四十年経ってもらい予防法の改正ができないのはこれがためである。せめてマスコミが国際感覚をもって正しい報道をしてくれればと希うが、患者弾圧をした所長達に種々の功労賞を送り結果的に隔離撲滅政策を奨励している。市民の一人は<私たちが健康で暮らすことができるのは皆さんのおかげです>といった。国民を代表する声であろうが、なんのことはない。犠牲になった患者に感謝しているようで、実は隔離撲滅政策を推進した所長達に感謝しているのである。これは日本的発想なのであろう。私は、所長達が医学上の名の下に患者を弾圧した数々の事例を上げて機会あるごとに訴えてきたが、すべては徒労に終った。日本人は「人・全世界をもうけるとも、己が命を損すれば、なんの益かあらん」という聖書のことば、「人の命は地球よりも重い」ということがわからないのではなかろうか。日本人の思想の土壌となっているものは汎神論で八百万の神々とみ仏につかえることからきている。多数の神々とみ仏につかえることから自己否定的な生き方が生まれ、己が欠落してしまうのである。日本人と対照的に欧米人が個人の基本的人権を重視するのは、キリスト教の唯一神教からきている。唯一の神とひとりの人間が義をめぐって対決し、それによって神は神となり、人は人となって自己を確立するのである。
中国に対して侵略戦争を起こした指導者たちが一般兵士とともに祭られている靖国神社に中曽根首相が参拝することは、侵略者たちの行為を肯定することになるが、抗議を行った中国学生の感情が日本人には理解できないのである。侵略戦争を起こした個人的責任が日本人にはほとんど理解できないからである。それは養蜂的滅私奉公の構造からきている。第二次世界大戦に敗れたとき、一億総懺悔ということがいわれた。これは一億総国民一人一人が罪を悔い改め懺悔しているということの意味であるが、実際はそれとはまったく逆に一億総懺悔のことばによって個人の懺悔は問題にされず、結局は誰も懺悔していないということなのである。 これが日本的思考であり、養蜂的なのである。松本さんは、当時の社会状況、教育の荒廃や、弱者への容赦のないイジメの構造などについても言及している。
GNPが戦後世界第二位となった現代に生きる日本人は、養蜂化社会でますます自己を喪失しつつあるように思える。自殺者までだしている子供たちのイジメの問題もこの養蜂的社会において起こっている現象なのである。子供の働きバチ集団のなかで、なにかの原因で行動を共にすることのできない子供がイジメの対象となっているのである。このようなイジメは欧米の子供たちの間にはないという。日本独特の現象なのである。このイジメの問題は養蜂社会がわからないと理解しにくい。子供たちのイジメの問題が社会問題となるまえに横浜で中学生による浮浪者のイジメがあった。中学生たちがなにかおもしろい遊びはないかと捜していたところ、浮浪者が目についた。おもしろいから殴って遊ぼうと中学生たちは棒切れで浮浪者を襲った。浮浪者は悲鳴をあげながら悶え、苦しむ様をおもしろがり、公園に寝ている浮浪者を捜しだして次から次へと襲い、それによって死に至る者もあった。この衝撃的な事件は社会に深刻な波もんを投げかけた。学校・父兄・文化人・マスコミ等様々な立場からこうした暴力を生みだす背景と環境が問題となり、隣人愛や道徳を教えることの是非が論じられた。しかし、浮浪者を放っておくことの大人の責任については全々ふれられなかった。働く気力のないこの浮浪者は、やがては飢えと冬の到来によって死んでゆき、野犬や野良猫の死体と同じように市の係りによって片づけられてゆく身なのである。この人達を救済することは、大人の責任ではないのか。放っておくことは子供のイジメよりも残酷なイジメに思える。松本さんは、次に、再び、光田イズムの問題点に立ち返り、次のようなメッセージを書いている。松本さんの現在の我々対する遺言として、傾聴したい。
光田・林などの隔離撲滅政策はこうした歴史的背景を考えるとき、一概に非難できない面もあるが、私が光田等を糾弾するのは個人の基本的人権を保障した民主憲法下にあっても、彼等は以前として隔離撲滅の姿勢を崩さなかっただけでなく、世界は我国の隔離撲滅政策を見習うべきであると公言していることである。また、光田の撲滅政策を支持している医師の多いのも養蜂的構造からくるものであろう。我々の組織である全国ハンセン病患者協議会は、予防法の是非を会員に問うているが、七五〇〇人のうちその大半はすでに七十歳を超えて予防法改正には批判的である。その理由は、予防法が改正されれば養療所にはいられないと思いつめているのである。横浜の中学生達によって石ころや棒切れで打ち殺された浮浪者と自分を重ねてみているのである。老人たちは、戦前の浮浪時代を実際に経験し、あるいは見聞きし、我国の養蜂的構造の何であるかを体で知っているのである。
また、全医労傘下の職組は、危険手当改正の動きを察知して反対の署名運動をすすめている。自己の利益の為には患者として永久に予防法によって拘束しておけということなのである。私は「いのちの重み」が現代人に理解されるとは思っていない。らい患者の書いたものとして問題にされないだけでなく、気違いか被害妄想患者の書いたものとして無視されるであろう。それを承知の上で書いた。現代人に向かってではなく、二十一世紀以後の人間に向かって書いたのである。おそらく、この養蜂的構造は二十一世紀には崩壊し、各自が自己意識に目ざめるであろう。そのことが起こらなければ養蜂民族は国際社会の一員として二十一世紀には生き残ることはできないからである。自己意識とは、人の命は地球よりも重いという個としての自己を確立することである。(中略)私はこの小論文を二十一世紀の遺言として送ることにした。おそらく想像に絶した最後をとげていった収容所の先輩たちは、私のこの考えに同感してくれるものと信ずる。