「復生の文学」を英語でどう訳したら良いのか、と南山大学のP・スワンソン氏から聞かれた。「復生」という言葉は、100年以上前に御殿場にフランス人テストウィード神父によって創設されたハンセン病療養所の名前からとったものである。この療養所は、英語ではthe Resurrection Hispital と言うが、日本語名は神山「復生」病院。つまり、「復生」とは「復活」で、「死者が再び生命を取り戻すこと」を意味する。だから、英語で言うならば、 the narrative of retrieved life もしくは、the narrative of resurrected life となるであろうか。
「復活(resurrection)」ないし、「復生(retrieval)」とはいかなる事態か。キリスト教的な意味としては、それは、「死者の蘇り」という終末論的な希望を意味するが、私は、それを、文藝作品の創作に関連させて、過去と未来にかかわる人間的実存のありかたを現すものとして理解する。「過去」は「現在」において記憶というポテンシャルとして存在するが、それに形を与え、アクチャルにするものは、現在において「物語る」という言語行為である。
作者は、その物語によって、またその物語りに於て、自らを「語る主体」として自覺する。過去の生は、それに形をあたえ完了させたときに初めて、語り手と聴き手が共に与る相互主体的な現在の場に於て「蘇る」-このような含意を込めて、私は、「復生の文学」という言葉を使った。
「復生」は単なる「反復」ではなく、常に「新しさ」によって活かされた「取り戻し」である。
過去の生を取り戻すためには、過去に決着を与え、過去から自由にならねばならない。過去を忘却することによって、過去から解放されるのではなく、過去を自覚的に引き受け、過去に決着を付けることによって得られる自由こそが「復生の文学」を可能にするのである。
「復活(resurrection)」ないし、「復生(retrieval)」とはいかなる事態か。キリスト教的な意味としては、それは、「死者の蘇り」という終末論的な希望を意味するが、私は、それを、文藝作品の創作に関連させて、過去と未来にかかわる人間的実存のありかたを現すものとして理解する。「過去」は「現在」において記憶というポテンシャルとして存在するが、それに形を与え、アクチャルにするものは、現在において「物語る」という言語行為である。
作者は、その物語によって、またその物語りに於て、自らを「語る主体」として自覺する。過去の生は、それに形をあたえ完了させたときに初めて、語り手と聴き手が共に与る相互主体的な現在の場に於て「蘇る」-このような含意を込めて、私は、「復生の文学」という言葉を使った。
「復生」は単なる「反復」ではなく、常に「新しさ」によって活かされた「取り戻し」である。
過去の生を取り戻すためには、過去に決着を与え、過去から自由にならねばならない。過去を忘却することによって、過去から解放されるのではなく、過去を自覚的に引き受け、過去に決着を付けることによって得られる自由こそが「復生の文学」を可能にするのである。