歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

連歌の美学:疎句付け

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
「親句は教、疎句は禅」とは心敬の言葉であるが、この言葉のあとに、教と禅の一致という思想を付け加えるならば、それこそが連歌の付合の根本精神を要約したものとなろう。教とは、仏の教えを誰にでもわかるように説いたものだが、禅は、私達の固定された発想、日常性のなかに埋没した仏の本質を目覚めさせる。

 心敬の時代に流行していた連歌の特徴は、投句するものが前の句のことを考えずにそれぞれ身勝手な自己主張を展開するものであった。各人が派手な素材を好み、技巧を凝らして付け句をするが、前句を投じた人の心を無視している。そのために、連歌の技法のみが発達して、付合の心が無視される結果となった。
 「昔の人の言葉をみるに、前句に心をつくして、五音相通・五音連聲などまで心を通はし侍り。中つ比よりは、ひとへに前句の心をば忘れて、たゞ我が言の葉にのみ花紅葉をこきまずると見えたり。されば、つきなき所にも月花雪をのみ並べおけり。さながら前句に心の通はざれば、たゞむなしき人の、いつくしくさうぞきて、並びゐたるなるべし。」
 前句の人の心に通い合うものがなければならない-この考え方は、後世の人によって「心付け」とよばれるようになったが、心敬の場合には、それは必ずしも「意味が通う」ということだけではなく、内容的にも言葉の上でも「響き合う」ものがなければならないということを意味していた。

 五音相通・五音連聲とは「竹園抄」という歌論書によると、和歌や連歌の音韻的なつなぎ方の親和性を表現する用語である。「響き」の親句のうち、子音が響き合うものを五音相通、母音が響き合うものを五音連声と呼ぶ。たとえば、「やまふかき霞の...」はK音が響き合うので五音相通、「そらになき日陰の山...」はI音が響き合うので五音連声である。

 前句の人の心につけるという場合、心敬が念頭に置いていたのは、新古今集の和歌の上の句と下の句のような一体性であったと思われる。ただし、ただの三句切れの和歌を合作するというのでは、付け句の独立性は失われ、前句の解説をするような従属的な関係になるから、付け句は独自性と独立性を保ちながら、前句と親和しなければならない。

 心敬が理想とする連歌は、疎句付けでありながら、前句と響き合う付句である。新古今集の秀歌は、定家に典型的に見られるように、疎句表現のものが圧倒的に多いという特徴を持っている。それゆえに、疎句付けとは何か、どのような疎句付けが連歌に生命を与えるかということが心敬の議論のなかで重要な意味を持ってくる。

 前句の心を承けることと並んで、前句の何を捨てるか、ということも連歌にとっては大切である。

   「つくるよりは捨つるは大事なりといへり」

 「捨て所」という言葉があるが、付け句は、前句のすべてを承けてはならない。(すべてを承けるのは四手といって、連歌の流れをとめてしまう危険がある)かならず、前句の中のあるものを捨てて、新しい風情を付け加えなければならない。そうすることによって、前句から離れることによって、かえって前句の心を生かすことができる、というのが心敬の議論のポイントである。

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連歌の美学:宗祇

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
宗祇独吟百韻より

発句  限りさへ似たる花なき桜哉     春 花 
脇   静かに暮るる春風の庭       春 居所(庭)
第三  ほの霞む軒端の嶺に月出でて    春 月 聳物(霞) 
四   思ひもわかぬかりふしの空     旅(かりふし)
五   こし方をいづくと夢の帰るらん   旅(こし・帰る)    
六   行く人見えぬ野辺のはるけさ    旅(行く人)
七   霜迷ふ道は幽かに顕れて      冬 降物(霜)
八   枯るるもしるき草むらの陰     冬

発句  限りさへ似たる花なき桜哉

 明応八年(一四三九)三月二〇日の発句、宗祇七九歳の作。挙句は七月二〇日だから完成に四ヶ月を要した独吟です。連歌の興行ならば、連衆とともに巻くので、一日で満尾ということが多かったと思われますが、この連歌がかくも日数を要したということは、ある意味で、作品として完成されたものを後世に残したいという宗祇の個人的な思いがあったものと思われます。

 この発句、「限りさへ」の「さへ」に万感がこめられていると思います。作者は老齢であって、この作品を遺作として後世に残すつもりです。「限り」とは、「花の散り際」という意味で、老いの花を表さんとしている宗祇自身の姿を重ねたものと観ることが出来ましょう。桜の「花」をもって「正花」とし、「花」によって藝道の理想を象徴する美意識は、まさに連歌や能楽を支えていたものです。たんなる植物としての桜ではなく、それが象徴している「花」の本質(世阿弥はそれを「性花」と呼び、我々が目で見る現象としての花々を「用花」と呼んで区別しています)が問題です。そういう意味での「花」を求めることが、宗祇の連歌の根本精神であって、芭蕉もまたその精神を受け継ぎ、俳諧という新しいジャンルでそれを追求したのです。

   限りさへ似たる花なき桜哉
 脇   静かに暮るる春風の庭

 発句は「花」の理想としての、桜の花を読みました。脇は、その理想を具体的な景物の中においています。ここでは「静かに」と「春風」との組み合わせに注目すべきでしょう。この春風は微風でなければなりません。花が散っているといっても、それは、風によって強制されているのではなく、瞬間の生を充実させそれを潔く全うする「花」の本性の発露。春風はその花に風情を添えるものです。

      静かに暮るる春風の庭
  第三 ほの霞む軒端の嶺に月出でて

「霞む」により春の月となります。初折表では通常は7句目が月の定座ですが、ここでは春の月として引き上げられました。前句の「庭」を「軒端」でうけつつ景を広げ、夕暮れどきに東の空から昇り行く月を出しました。連歌の進め方は「序破急」というのが原則ですが、この第三は、いかにも悠揚とした大きな詠みぶり。俳諧では、第三に於ける「転じ」を重視しますが、連歌では、このように序破急の「序」のゆったりとした調子が好まれ、あまりに急激な変化は、品の悪いものとされます。

    ほの霞む軒端の嶺に月出でて
初表四  思ひもわかぬかりふしの空

 ここは、春の句を転じて雑の「旅体」の句としました。「かりふし」とは「仮に伏す」で、旅寝のことです。月が出れば、どちらが東であるかが分かりますが、それまでは、夕暮れ時の旅先は、方向すらわからず心細いもの。

        思ひもわかぬかりふしの空
  初表五 こし方をいづくと夢の帰るらん

 これも「旅体」の句。旅先で心細いので、夢で故郷に帰っているだろう、との意。あるいは、夢は、何処から来て、何処へ行くのか分からない、という意味もあるかもしれません。

      こし方をいづくと夢の帰るらん
  初表六  行く人見えぬ野辺のはるけさ

 初折のなかで秀逸のつけ句。夢から覚めたときの旅人の気持ちを詠んだ句。夢の中では人に出逢ったのでしょう。醒めてみると、行く人も見えぬ野辺が遙か遠くまで続くのみであるという意味。「のべのはるけさ」こそ圧巻。

       行く人見えぬ野辺のはるけさ
  初表七 霜迷ふ道は幽かに顕れて

 ここで、季節は冬に転じます。前句の「はるけさ」を「幽かに顕れて」で受けました。
軽いつけですが、「幽玄」をもって本質とし、それが言葉に「顕れる」ことをもって奥義とする宗祇の藝道をさりげなく示すものでもあります。

      霜迷ふ道は幽かに顕れて
  初表八  枯るるもしるき草むらの陰

折端の句。 「しるき」はひとつには顕著と言う意味で、霜枯れが甚だしいといういみですが、もうひとつ、枯れることによって、何の草であるかが「知られる」という意味を秘めています。草花の枯れる様を、自らの迫り来る終焉の時にさりげなく重ね、枯れることによって、「知られる」野の草の命を詠みました。
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コンサート「春暁」のこと

2005-02-23 | 日誌 Diary
私の同僚の御子息の追悼コンサート「春暁」が去る20日にありました。「暁」とは昨年急逝された御子息の名前です。私の次男と同い年。それだけになおさら父母のお気持ちが思われ、他人事ではありませんでした。暁君のところは音楽一家、お母様は一昨年に、作曲賞を受賞された音楽家、今晩はそのお母様の作曲された曲も歌われました。

暁君本人も一年前の1月に Snow という曲を作曲されたとのこと、その楽譜を拝見しました。コンサートのプログラムは、最初は、暁君の高校の友人達の奏でるブラスバンド、ジャズー-これはコンクールで優勝したそうですー、父母とその友人達の合唱、締めくくりはフォーレのレクイエムでした。(左の写真は、暁君の描かれた繪で、当日のプログラムに印刷されたものです)         
    
       つてごと       ぶ も
春暁の伝言聴けり父母の歌
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芭蕉俳諧七部集より「冬の日」評釈

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
芭蕉俳諧七部集 冬の日 より 「こがらし」の卷

笠は長途の雨にほころび、帋衣はとまりとまりのあらしにもめたり。侘つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂哥の才士、此國にたどりし事を、不圖おもひ出て申侍る。

狂句こがらしの身は竹齋に似たる哉    芭蕉
発句 冬―人倫(竹齋・身)―旅
「狂句こがらしの身」は、風狂の人芭蕉の自画像であろう。「狂」は「ものぐるひ」であるが、世阿弥によれば、それは「第一の面白尽くの藝能」であり、「狂ふ所を花にあてて、心をいれて狂へば、感も面白き見所もさだめてあるべし」とされる。「こがらし」は、「身を焦がす」の含意があるので、和歌の世界では「消えわびぬうつろふ人の秋の色に身をこがらしの森の下露(定家・新古今集)」のような「恋歌」がある。芭蕉はそれを「狂句」に「身を焦がす」という意味の俳諧に転じている。さらに「木枯らし」で冬の季語となるが、同時に、「無用にも思ひしものを薮医者(くすし)花咲く木々を枯らす竹齋」という仮名草紙「竹齋」の狂歌をふまえつつ、名古屋の連衆への挨拶とした。

たそやとばしるかさの山茶花(さんざか)    野水
脇 冬―人倫(誰)―植物(うゑもの)―旅
「とばしる」は元来、水が「迸(ほとばし)る」の意味で、威勢の良い言葉。芭蕉を迎え新しい俳諧の實驗を行おうとしていた名古屋の若い連衆の心意気を感じる。「旅笠」に山茶花の吹き散る様を客人の芭蕉の「風流」な姿に擬して詠み、「風狂」の人である芭蕉に花を添えたと見たい。
有明の主水(もんど)に酒屋つくらせて  荷兮
第三 秋―月(光物)―夜分―居所
第三は、冬から秋へと転じ、有明の月を詠んだ。前句の「とばしる」は水に縁があることばであり、「たそや(誰か)」という問に「主水(元々は宮中の水を司る役人、のちに人名として使われる)」で応じた。俳諧式目では、人倫の句は普通は二句までであるが、役職名は人倫から除外される。なお、この歌仙の詠まれた貞享元年は新しい暦が採用された年であるが、その暦を作った安井算哲の天文書によると、「主水星」とは水星のことである。秋、新酒をつくるために、有明の月の残る黎明、主水星のみえるころに、酒の仕込みをはじめる圖。客人である芭蕉に、まず「一献」というニュアンスもあるかも知れない。

かしらの露をふるふあかむま    重五
表四 秋―降物(露)―動物(うごきもの 赤馬)
和歌の世界では、月と露の取り合わせはあるが、そこでは「秋の露や袂にいたく結ぶらむ長き夜飽かず宿る月かな(後鳥羽院)」のように「涙の露」という意味になることが多い。ここでは、そういうしめやかな情念ではなく、おそらく、荷駄に新酒を積んだ赤馬を出したのであろう。露は、おそらく「甘露」の意味をこめて、新酒の香にむせている圖としたほうが俳諧的である。
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき  杜國
表五 秋―植物
前句の露は赤馬(朝鮮馬)にかかるが、ここではそれを「朝鮮のほそりすすき」に転換し、(酒の)匂いを消すと同時に、時刻を早朝から昼へ転じている。
日のちりちりに野に米を苅    正平
表六 秋―光物(日)―植物
作者の正平は執筆(書記係)で、この句のみ詠んでいる。
日の「ちりちり」は夕刻を表す。前句の侘びしい感じを受けているので、豊かな収穫を連想させる「稲を苅る」ではなく、僅かに残った作物を求めて「米を苅る」としたか。
わがいほは鷺にやどかすあたりにて    野水
初裏一 雑―居所(庵)―人倫(我)―動物
「わが庵は」はおそらく、「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人は云ふなり」のパロディーであろう。「しかぞ(然ぞ)」→「鹿ぞ」の誤読をもういちど転じて、「鷺」という異生類をだしたか。辺鄙なところにある仮庵を表す。発句で亭主役を脇を勤めた野水が初裏の初句を詠み、それに客人の芭蕉が続けるという趣向になっている。
髮はやすまをしのぶ身のほど    芭蕉
初裏二 雑―恋(しのぶ)―人倫(身)
鷺(尼鷺)から、恋に転じた付句。
なにか恋愛事件が原因で還俗した人の世を忍ぶ仮庵住まいを思わせる。 それと同時に、野ざらし紀行の旅を終えて、尾張の野水の家に逗留している芭蕉が、自分を還俗の修行者になぞらえて詠んだともとれる。
いつはりのつらしと乳をしぼりすて    重五
初裏三 雑―恋
前句の「人」を、不実な相手に捨てられ、子供も奪われた女性と見定めて付けた句。「いつはり」や「つらし」は、連歌の恋の句に頻出する常套句であるが、「乳をしぼりすて」は俳諧でないとあり得ない即物的表現。
きえぬそとばにすごすごとなく    荷兮
初裏四 雑―釈教(卒塔婆)
前句の「いつはり」を恋人の不実ではなく、この世の儚さ、虚仮の世間の意味にとりなして、子供の死を悼んで嘆く母親として付けた句。「きえぬ卒塔婆」とは、卒塔婆の文字も墨跡がきえていないこと。
影法のあかつきさむく火を燒(たき)て    芭蕉
初裏五 冬―夜分(暁)
卒塔婆を死者の影法師ととりなして付けた。
あるじはひんにたえし虚家(からいへ)    杜國
初裏六 雑―居所―人倫(あるじ)
前句の場を、貧しさ故に断絶し、一家離散したあき家と定めた。
田中なるこまんが柳落るころ    荷兮
初裏七 秋(柳落つ)―植物―人倫
「小万が柳」は、はっきりとした典拠があると言うよりは、「小万」という名前の遊女にちなんだ物語を漠然と詠みこんだものらしい。月をそろそろ出さねばならぬので、「散る柳」で秋としつつ、「散る」を「落る」に替えて、落魄の気分を出した。
霧にふね引人はちんばか    野水
初裏八 秋―降物―水辺―人倫
八句は月の定座であるが、ここは杜国に遠慮して杜国に月を譲り、月前の
月前の句とした。初めの月が、「引き上げられた下弦の月(有明の月)」であるので、次の月の句を、「引き下げられた上弦の月(夕月)」として詠んで欲しいという要請。舟をひくのは、「上り」へとむかう運動である。この辺のやりとりには、どんな種類の月を詠むか、誰に月を詠ませるかという遊びの要素がある。
たそがれを横にながむる月ほそし    杜國
初裏九 秋―月(光物)―夜分
黄昏時の細い三日月(上弦の月)で前句に応じたもの。川の流れに逆らって舟を曳く人の身体の屈伸を表しながら、その眼に三日月が映じたとしたもの。
となりさかしき町に下り居る    重五
初裏十 雑―居所
「隣りさかしき」は近所の口がうるさいの意であるから、この町は下町。前句の人を、宿下がりして実家に戻っている御殿女中などとみさだめたもの。夕暮れになってもすることもなく無聊をかこつ人のようである。
二の尼に近衞の花のさかりきく    野水
初裏十一(花の定座)春―花―人倫―釈教
平清盛の妻は剃髪して「二位の尼」とよばれたことから、おそらく「二の尼」とは身分の高い人が剃髪して尼となったのであろう。そのひとに、近衛公の邸宅の枝垂れ桜の様子を聴くという趣向。
蝶はむぐらにとばかり鼻かむ    芭蕉
初裏十二(綴目) 春―植物―動物
むぐらは八重むぐらで雑草。「鼻かむ」は涙を流すこと。宮中はすっかり荒れ果てて雑草が生い茂っていると云いつつさめざめと泣いたという意味。
のり物に簾透顏おぼろなる    重五
名残一(折立) 春(おぼろ)
前句の「八重むぐら」に花の面影を見て、簾越しにみる貴人の顔として付けた。、「朧月夜の君」との密会が露見して別離を余儀なくされた光源氏の面影付けか。
いまぞ恨の矢をはなつ声    荷兮
名残二 雑
前句まで女房文学的な情感が続いているので、戦記物のような男性的な調子に転換した付句。簾越しにおぼろに顔の見える人を仇敵とみて矢を放つとの意。
ぬす人の記念(かたみ)の松の吹おれて    芭蕉
名残表三 雑―植物―人倫
大盗賊にゆかりの松の木(美濃の国青野村の熊坂長範「物見の松」)の吹きおれている様を以て前句の戦闘が行われている場の書き割りとした。
しばし宗祇の名を付し水    杜國
名残裏四 雑―水辺―人倫
前句と同じく美濃の国郡上八幡にある「宗祇の忘れ水」という名の泉。名所旧跡を尋ねる旅人の心で付けた。「しばし」、は西行の「道の辺に清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ」も思わせる。露伴は「しばし、の一語はなはだ巧みなり。一切は仮現なり、大盗の松も山風に吹き折られ、詩僧の泉も田夫には打忘らる、此は世間の常態なり。ここに水に対し、かしこなる松を憶ふ、山深き美濃路の風情は言外に聞こゆ」と云っている。
笠ぬぎて無理にもぬるゝ北時雨    荷兮
名残裏五 冬―降物―旅
宗祇の「世にふるはさらに時雨のやどりかな」という発句をふまえたもの。宗祇の後を慕い、風狂を演じて時雨に濡れていく人物の心意気を詠む。芭蕉の前書「笠は長途の雨にほころび」も承ける。
冬がれわけてひとり唐苣(たうちさ)    野水
名残裏六 冬―植物
前句の時雨に濡れることを厭わぬ風流人は、実は冬枯れの野に青菜を捜していたというパロディーに転換した句。目に見えるものはただ「たうちさ」ばかり。
しらじらと碎けしは人の骨か何    杜國
名残裏七 雑―人倫
この句自体は雑であるが、前句との繋がりでは、夏の間は生い茂る草によって隠されていた野ざらしの人骨のような白い物が、冬枯れの野に見えるという意味になる。「骨か何」はあえて断定せずに、次の人にそれが何であるかを決めて貰うという含みがある。
烏賊はゑびすの國のうらかた    重五
名残表八 雑―動物
前句の人骨のような白い物を「烏賊の甲」だといかにもありそうな話を捏造して、謎解き問答のように続けた。ここも、虚実とりまぜて、烏賊の甲は、ゑびすの国(未開の国)では占いに使う物だと詠んだ。
あはれさの謎にもとけし郭公    野水
名残表九 夏―動物
前句の謎を、当時読まれていた王昭君の物語を本説として解いた句。彼女は漢の光武帝の後宮で、戎(ゑびす)にもらわれる。その昭君を取り返すために,史実に名高い人物が、時代を超えて協力し活躍する,なかでも清貧の道者子良が,占星術や祈祷の呪術、知略によって,戎を屈服させるために中心的な役割を果たしている。和漢朗詠集に「王昭君」の題詠がありそこに、「あしびきの山がくれなるほととぎす聴く人もなき音のみぞ啼く(実方中将)」というように、郭公(ほととぎす)の歌があることをふまえる。郭公は、望郷の念を象徴している。
秋水一斗もりつくす夜ぞ    芭蕉
名残表十 秋―夜分―水辺
ここの「水」は水時計(漏刻)の意味。水時計の水が一斗も漏り尽くすほど長い秋の夜を、謎解きで過ごしてしまった、という意味。野水の付けを賞賛しつつ、王昭君の涙を、水時計から漏れる水になぞらえた。
日東の李白が坊に月を見て    重五
名残表十一(月の定座) 秋―月(光物)―夜分―人倫
日東は日本。日本の李白とも云うべき詩才を持った僧侶(石川丈山)を念頭においている。京都の詩仙堂には丈山が工夫を凝らした添水があったので、前句の秋水を承ける。また「一斗」からは当然、杜甫の飲中八仙歌「李白一斗詩百篇」を承ける。中国の李白は春夜桃李宴で酒盛りをし、日本の李白は秋の夜に月見をしながら酒を飲むという趣向。
巾(きん)に木槿をはさむ琵琶打    荷兮
名残裏十二 秋―植物―人倫
中国の故事に、飲中八仙の一人で鞨鼓の名手李爐が、紅い木槿を帽子に挟んで、鞨鼓を打っても、その花が下に落ちなかったとある。その鞨鼓を琵琶にかえおそらく平家物語を奏する琵琶法師のイメージをだしたのであろう。
うしの跡とぶらふ草の夕ぐれに    芭蕉
名残裏一 雑―動物―植物
前句の琵琶法師が、その背にいつものっていた牛の菩提をとむらうために草を手向けたとの意。連歌師の肖柏のような風流人がまた牛に乗っていたという繪が多く記されている。
箕(み)に鮗(このしろ)の魚をいたゞき    杜國
名残裏二 雑―動物
「とぶらふ人」を琵琶法師から、漁村の女性に読み替えた句。この女性は、竹籠に、安産祈願の神撰魚である鮗を入れて頭上に載せている女性。
わがいのりあけがたの星孕むべく    荷兮
名残裏三 雑―光物―夜分―人倫―恋(孕む)―神祇
西日本では、箕は不思議な重力を持つとされた農具で、嫁入りの当日に箕を嫁の頭上に置いたり、まだ子宝に恵まれぬ嫁に箕を送るという風習があった。また、越人が著した「俳諧冬日集木槿翁解」という古注では、当時流行していた説教節のなかの弘法大師の母の面影があるという。
けふはいもとのまゆかきにゆき    野水
名残裏四 雑―恋―人倫
嫁いだ妹がめでたく妊娠したので、眉掻き(眉を剃り落とす)の祝いにでかける姉を詠む。(結婚するとお歯黒をつけ、子供が授かると眉掻きをするのが当時の風習)
綾ひとへ居湯に志賀の花漉して    杜國
名残裏五(花の定座=匂いの花)春―花―衣類
居湯は、他の場所で沸かした湯を風呂桶に入れてはいるもの。志賀は山桜で名高い近江の歌枕。その桜の花が散り込まれた湯を綾絹で漉すという華やかなイメージ。前句の「いもと」がそのように大事にされているという心。
廊下は藤のかげつたふ也    重五
挙句  春―植物―居所
廊下に藤の花の影が伸びている晩春の気分をだして締めくくった。
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愛宕百韻について 1

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
愛宕百韻について

宗祇以後の連歌の考察の一環として、戦国の武将、特に細川幽齋と明智光秀をとりあげよう。光秀の場合、特に、天正十年五月二十八日、連歌師紹巴を宗匠として巻いた「愛宕百韻」の発句が最もよく知られている。同年六月二日が本能寺の変であるから、まさに主君信長に代わって天下人たらんとした光秀その人の心中を伺うことが出来る。発句

    ときは今天が下しる五月哉   光秀

は、「土岐一族の流れを汲む光秀が天下を治める五月になった」 という意味にとれるから、謀反を起こす直前の光秀の心境を詠んだものと解されている。後世の注釈書によると、連歌師紹巴は、本能寺の変の前に光秀の決意を知らされていたのではないかという嫌疑で取り調べを承けたときに、この発句の原型は

   ときは今天が下なる五月哉  光秀

と五月雨の情景を詠んだものであったものを、あとで光秀が書き換えたと弁明したとのこと。脇は

    水上まさる庭の夏山 行祐

であるから、実際の連歌の席では、五月雨の句であったものと思われる。
 おそらく、毛利征伐の戦勝祈願の為の百韻連歌の興行を、ひそかに本能寺の信長を謀殺するための決意表明の場に変えることは、光秀その人の意図であったのだろう。 初折裏では光秀は実に緊張感溢れる月の句を詠んでいる。

    しばし只嵐の音もしづまりて    兼如
      ただよふ雲はいづちなるらん  行祐
    月は秋秋はもなかの夜はの月    光秀


「もなか」は最中で十五夜の月。拾遺集、源順の

「水の面にてる月なみを数ふれば今宵ぞ秋のも中なりける」

を踏まえた句。 これは、大事を前にした光秀の漲る気迫が感じられる。
 愛宕百韻から伺える光秀像は、細川幽齋と同じく、王朝の雅を受け継ぎ、古き伝統の守護者たらんとした教養人である。
 細川幽斎は光秀とは昵懇の間柄であったので、多くの武将は、本能寺の変に対して幽斎がどのように対応するかを見守っていた。幽斎は髪を下ろして僧形となり、信長公の追善供養をする意志を表明し、旗幟鮮明に、反逆には一切荷担しないと宣言した。この幽斎の対応を知らされて光秀は非常に動揺したらしく、卑屈とも言える協力要請の書状を再度幽斎に送り、それが今も細川家に残っている。
 信長の追善供養の為に、細川幽斎は本能寺の焼け跡に仮屋を作り、百韻連歌の興行をした。幽斎の発句に、聖護院門跡の道澄が脇を付け、連歌師の里村紹巴が第三を付けた。

  墨染めの夕べや名残り袖の露  幽斎
    玉まつる野の月の秋風   道澄
  分け帰る道の松虫音になきて  紹巴


 細川幽斎は武将には珍しく、古今伝授の秘伝をうけた歌人で、王朝の歌の伝統を後世に伝え

  冬枯れの野島が崎に雪ふれば尾花吹きこす浦の夕かぜ

のような雅やかな歌と共に

  西にうつり東の国にさすらふもひまゆく駒の足柄の山

と武人として東奔西走した生活も詠んでいる。

資料一 信長公記 「明智日向西国出陣の事」
五月廿五日、惟任日向守、中国へ出陣のため、坂本を打ち立ち、丹波亀山の居城に至り参着。次の日、廿七日に、亀山より愛宕山へ仏詣、一宿参籠致し、惟任日向守心持御座侯や、神前へ参り、太郎坊の御前にて、二度三度まで鬮を取りたる由、申侯。廿八日、西坊にて連歌興行、
発句惟任日向守。

ときは今天が下知る五月哉    光秀
水上まさる庭のまつ山      西坊
花落つる流れの末をせきとめて  紹巴


か様に、百韻仕り、神前に籠おき、五月廿八日、丹波国亀山へ帰城。

資料二 常山紀談 「光秀愛宕山にて連歌のこと」

ときは今あめが下しる五月哉   光秀
水上まさる庭のなつ山      西坊
花落つるながれの末をせきとめて 紹巴


天正十年五月廿八日、光秀愛宕山の西坊にて百韻の連歌しける。明智本姓土岐氏なれば、時と土岐とよみを通はして、天下を取の意を含めり。秀吉既に光秀を討て後、連歌を聞き大に怒て紹巴は呼、天が下しるといふ時は天下を奪ふの心あらはれたり。汝しらざるや、と責らる。紹巴、其發句は天が下なると候、と申。しからば懐紙を見よ、とて、愛宕山より取來て見るに、天か下しると書たり。紹巴涙を流して、是を見給へ。懐紙を削て天が下しると書換たる迹分明なり、と申す。みなげにも書きかねへぬ、とて秀吉罪をゆるされけり。江村鶴松筆把にてあめが下しると書きたれども、光秀討れて後紹巴密に西坊に心を合せて、削て又始のごとくあめが下しると書きたりけり。

年表  天正十年(一五八二)光秀五五歳

三月五日   信長の甲斐出陣に従い筒井・細川らと出発。
三月十一日  武田勝頼自刃  
四月二十一日 信長、甲斐より安土に凱旋
五月七日   信長、信孝に四国征伐を命ず。秀吉、備中高松城を囲む
五月十四日  信長より家康の饗応役を命じられる。
五月十七日  中国出陣を命じられ坂本に帰城。 
五月二十六日 坂本を発し丹波亀山に向かう。
五月二十八日 愛宕山に参詣し連歌会を催す。
六月二日   早暁、信長を本能寺に襲い、信忠を二条御所に囲む。夕刻、坂本に帰城。
六月四日   秀吉、毛利輝元と和議を結ぶ。
六月五日   光秀、安土城に入り、財宝を奪う。
六月九日   光秀、上京し銀子を禁中・諸寺に献上。鳥羽出陣
六月十三日  秀吉の軍勢と山崎で闘い惨敗。坂本に向かう途中、小栗栖で襲撃され討死。
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愛宕百韻について 2

2005-02-23 | 美学 Aesthetics
愛宕百韻 賦何人連歌

 天正十年五月廿八日  於愛宕山威徳院
                         
(初表) 
                     
ときは今天が下しる五月哉    光秀  夏 「五月」 
  水上まさる庭の夏山     行祐  夏 「水辺」「居所」  
花落つる池の流れをせきとめて  紹巴  春 「花」 「水辺」
  風に霞を吹き送る暮れ    宥源  春 「聳物(霞)」
春も猶鐘のひびきや冴えぬらん  昌叱  春 「鐘」
  かたしく袖は有明の霜    心前  冬 「有明」「降物」「夜分」  
うらがれになりぬる草の枕して  兼如  秋 「うら枯れ」「旅」
  聞きなれにたる野辺の松虫  行澄  秋 「松虫」「旅」

(初裏)

秋は只涼しき方に行きかへり   行祐  秋 
  尾上の朝け夕ぐれの空    光秀  雑     
立ちつづく松の梢やふかからん  宥源  雑         
  波のまがひの入海の里    紹巴  雑 「水辺」
漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み   心前  雑 「水辺」
  隔たりぬるも友千鳥啼く   昌叱  冬 「友千鳥」跡→千鳥
しばし只嵐の音もしづまりて   兼如  雑 「嵐」「鳴く」→「しづまる」 
  ただよふ雲はいづちなるらん 行祐  雑 「雲」
月は秋秋はもなかの夜はの月   光秀  秋 「月」
  それとばかりの声ほのかなり 宥源  秋 「雁」
たたく戸の答へ程ふる袖の露   紹巴  秋 「降物」(恋呼出)
  我よりさきに誰ちぎるらん  心前  雑 「恋」
いとけなきけはひならぬは妬まれて 昌叱 雑 「恋」
  といひかくいひそむくくるしさ 兼如 雑 「恋」
  
(二表)

度々の化の情はなにかせん     行祐  雑 「恋」       
  たのみがたきは猶後の親    紹巴  雑  「人倫」(恋離)
泊瀬路やおもはぬ方にいざなわれ  心前  雑 「名所」「旅」    
  深く尋ぬる山ほととぎす    光秀  夏 「時鳥」
谷の戸に草の庵をしめ置きて    宥源  雑 「居所」
  薪も水も絶えやらぬ陰     昌叱  雑
松が枝の朽ちそひにたる岩伝い   兼如  雑
  あらためかこふ奥の古寺    心前  雑 「釈教」
春日野やあたりも広き道にして   紹巴  雑 「名所」春日野
  うらめづらしき衣手の月    行祐  秋 「月」「夜分」「衣装」
葛の葉のみだるる露や玉ならん   光秀  秋 「降物」「草」
  たわわになびく糸萩の色    紹巴  秋 「いと萩」
秋風もしらぬ夕や寝る胡蝶     昌叱  秋 「胡蝶」の夢
  砌も深く霧をこめたる     兼如  秋 「聳物」

(二裏)

呉竹の泡雪ながら片よりて     紹巴  冬 「泡雪」
  岩ねをひたす波の薄氷     昌叱  冬 「薄氷」
鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん   心前  冬 「鴛・鴨」
  みだれふしたる菖蒲菅原    光秀  夏 「菖蒲」冬→夏 季移
山風の吹きそふ音はたえやらで   紹巴  雑 「みだれふす」→「山風」
  閉ぢはてにたる住ゐ寂しも   宥源  雑
訪ふ人もくれぬるままに立ちかへり 兼如  雑 「住ゐ」→「訪ふ」
  心のうちに合ふや占らなひ   紹巴  雑 「とふ」→「うらなひ」
はかなきも頼みかけたる夢語り   昌叱  雑 「恋」「うらなひ」→「夢」
  おもひに永き夜は明石がた   光秀  秋 「永き夜」「恋」  
舟は只月にぞ浮かぶ波の上     宥源  秋 「月」
  所々に散る柳陰        心前  秋 「散る柳」(初秋)
秋の色を花の春迄移しきて     光秀  春 「花」 秋→春 季移 
  山は水無瀬の霞たつくれ    昌叱  春 「聳物」

(三表)

下解くる雪の雫の音すなり     心前  春 「解くる雪」
  猶も折りたく柴の屋の内    兼如  雑
しほれしを重ね侘びたる小夜衣   紹巴  雑 「恋」「衣装」  
  おもひなれたる妻もへだつる  光秀  雑 「恋」「人倫」
浅からぬ文の数々よみぬらし    行祐  雑 「恋」
  とけるも法は聞きうるにこそ  昌叱  雑 「釈教」恋文→経文
賢きは時を待ちつつ出づる世に   兼如  雑
  心ありけり釣のいとなみ    光秀  雑 
行く行くも浜辺づたひの霧晴れて  宥源  秋 「聳物」釣→浜辺
  一筋白し月の川水       紹巴  秋 「月」
紅葉ばを分くる龍田の峰颪     昌叱  秋 「紅葉」「名所」
  夕さびしき小雄鹿の声     心前  秋 「小牡鹿」
里遠き庵も哀に住み馴れて     紹巴  雑
  捨てしうき身もほだしこそあれ 行祐  雑 「述懐」
 
(三裏)

みどり子の生い立つ末を思ひやり  心前  雑 「述懐」
  猶永かれの命ならずや     昌叱  雑 「述懐」
契り只かけつつ酌める盃に     宥源  雑 
  わかれてこそはあふ坂の関   紹巴  雑
旅なるをけふはあすはの神もしれ  光秀  雑 「神祇」「旅」
  ひとりながむる浅茅生の月   兼如  秋 「月」  
爰かしこ流るる水の冷やかに    行祐  秋 「冷やか」(初秋)
  秋の螢やくれいそぐらん    心前  秋  流水→蛍
急雨の跡よりも猶霧降りて     紹巴  秋 「降物(霧)」
  露はらひつつ人のかへるさ   宥源  秋 「降物(露)」 
宿とする木陰も花の散り尽くし   昌叱  春 「花」秋→春の季移
  山より山にうつる鶯      紹巴  春 「鶯」
朝霞薄きがうへに重なりて     光秀  春 「聳物」
  引きすてられし横雲の空    心前  雑

(名残表)

出でぬれど波風かはるとまり船   兼如  雑 「旅」「水辺」
  めぐる時雨の遠き浦々     昌叱  冬 「時雨」「水辺」
むら蘆の葉隠れ寒き入日影     心前  冬 「寒き」
  たちさわぎては鴫の羽がき   光秀  秋 「鴫」
行く人もあらぬ田の面の秋過ぎて  紹巴  秋 
  かたぶくままの笘茨の露    宥源  秋 「降物」
月みつつうちもやあかす麻衣    昌叱  秋 「月」
  寝もせぬ袖の夜半の休らい   行祐  雑 「恋」
しづまらば更けてこんとの契りにて 光秀  雑 「恋」
  あまたの門を中の通ひ路    兼如  雑 「恋」
埋みつる竹はかけ樋の水の音    紹巴  雑 「水辺」(恋離)
  石間の苔はいづくなるらん   心前  雑  
みず垣は千代も経ぬべきとばかりに 行祐  雑 「神祇」
  翁さびたる袖の白木綿     昌叱  雑 「神祇」

(名残裏)

明くる迄霜よの神楽さやかにて   兼如  冬 「神祇」
  とりどりにしもうたふ声添ふ  紹巴  雑 神楽→うたふ声   
はるばると里の前田の植ゑわたし  宥源  夏 うたふ→田植え
  縄手の行衛ただちとは知れ   光秀  雑 縄手(あぜ道) 
諌むればいさむるままの馬の上   昌叱  雑 
  うちみえつつも連るる伴ひ   行祐  雑 「人倫」 
色も香も酔をすすむる花の本    心前  春 「花」
  国々は猶のどかなるころ    光慶  春 「のどか」


連衆

光秀 十五句 明智光秀
行祐 十一句 愛宕西之坊威徳院住職
紹巴 十八句 里村紹巴、連歌師
宥源 十一句 愛宕上之坊大善院住
昌叱 十六句 里村紹巴門の連歌師
心前 十五句 里村紹巴門の連歌師
兼如 十二句 猪名代家の連歌師
行澄 一句 東六郎兵衛行澄、光秀の家臣
光慶 一句 明智十兵衛光慶、光秀の長子


補注

「新潮日本古典集成」(島津忠夫篇)では、愛宕百韻の日付を五月二十四日とする写本を底本としているが、諸資料の多くは二十八日であるので、こちらに従った。


水上まさる庭の夏山     行祐
脇は、客人である光秀の発句に亭主である威徳院住職行祐が付けた。この脇は、五月雨が降りしきるその場の情景をもって付けた。五月↓夏山と付ける。眼前にある庭の築山であったろう。

花落つる池の流れをせきとめて  紹巴
第三は、夏→春の「季移り」によって、発句の夏のイメージを春の「花」の光景に転換する。「花」は前句との関係では夏花であるが付句との関係では桜の花である。「花」は一座四句物。

風に霞を吹き送る暮れ    宥源
 四句は、「花落つる」→「風」と付ける。「吹き送る」霞が花の薫りを伝えるという意があるのであろう。「吹きおくる嵐を花のにほひにて霞にかほる山桜かな(續拾遺集 如円)」

春も猶鐘のひびきや冴えぬらん  昌叱
  五句は、暮れ→鐘 晩鐘として付ける。「冴え」は、鐘の音の澄みわたること。


かたしく袖は有明の霜    心前
 六句は、鐘の「響きが冴える」というのを、「寒える」ととり冬に転じる。「かたしく」とは、一人寝をあらわす。有明の月の出る頃。


うらがれになりぬる草の枕して  兼如
  「うら」は「末」。末の秋で晩秋。袖→枕と付ける。草枕で旅の句

聞きなれにたる野辺の松虫  行澄
  「旅寝」の句で続ける。

秋は只涼しき方に行きかへり   行祐
「夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへすずしき風や吹くらむ」(古今集 夏 凡河内躬恒)の本歌あり。

尾上の朝け夕ぐれの空    光秀
 「朝け」は「夜明け」前句の場を「尾上(山頂)」として付ける。

立ちつづく松の梢やふかからん  宥源
  「尾上」→「松」で付ける。

波のまがひの入海の里    紹巴 
  「まがひ」は「見分けがつかぬ事」

おもひに永き夜は明石がた   光秀
「夢語り」→「明石」は、故桐壺帝のお告げによって須磨から明石へ源氏がおもむいたという、源氏物語の本説をふまえる。「明石」を「夜明かし」にかけているが、光秀の謀反という大事を決行する前の夜の心境ともとれる。

山は水無瀬の霞たつくれ    昌叱  
  本歌「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」(新古今、後鳥羽院)

下解くる雪の雫の音すなり     心前
  本歌「事にいでていはぬばかりぞ水瀬川したにかよひて恋しきものを」(古今集、紀友則)

心ありけり釣のいとなみ    光秀  
 本説 前句の賢人を、周の文王に仕えた太公望とする。

石間の苔はいづくなるらん   心前
 本歌 「岩まとぢし氷もけさはとけそめて苔の下道道もとむらむ」(新古今集 春上 西行)

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