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抵抗勢力になっちゃおう

2004年08月12日 01時24分20秒 | ネオリベ・ネオコン
 今は亡き社会学者・ブルデューは、こう言った。
 「1、2年前までは当然だった権利が、今日は削られている」

 日々の生活実感として本当にその通りだと思う。労働組合関係者と話しても同じ感想が返ってくる。読者は?

 例えば、街を行き交う人々の服装は、だんだんとみずほらしくなってゆく。安いセルフサーヴィスの店を利用している。スーパーのお惣菜を見たら、弁当のご飯の量が以前の半分になっていた。正社員かバイトかを問わず、給与も手当ても減らされてゆく。気がついたら奨学金が縮小されている。累進課税が形骸化されつつある。
 そこそこ賑わっているように見えた商店がいつの間にか姿を消し、ゴーストタウンになっていた。近所の工場が閉鎖された。友人がリストラされた。中小企業の社長の息子が過労死した。リストラをまぬがれた銀行員は年収1000万から380万になり、ローンの支払いと労働密度の強化を前に、途方にくれている。貯金も保険も頼りにならない。今年はおせち料理を一品も食べられなかった……。

 要するに、一部の富裕層を除く大方の人々が第三世界化し、労働者階級化しているようだ。
 就業者の場合は残業、失業者の場合は仕事探しや資格取りが労働となって、生活のゆとりは加速度的に奪われつつある。

 この事態にどうすればよいのか? これまでの「既得権益」を守る「抵抗勢力」が今こそ求められている。
 何でも新しければよいと思考停止している「ネオ・コン(フランス語で「新しいバカ」)」に忠誠を誓う義理も義務もない。

 4名の死亡者を出した福井の原発事故も、効率化のために安全性を犠牲にしてきた結果との指摘もある。

 経済効率・経済成長と人の命や生活と、いったいどちらが大切なのか? 
 
 福井県の日本海沿いにある小浜というやはり原発近くの港町に行ったことがある。日本海側にある町なので、古来より朝鮮との交流も盛んだ。京都文化の影響も濃く、数奇屋づくりの町並みがある。
 海岸には海藻が生えている。白い砂浜はあたり一面カルシウムが豊富であることを物語っていた。
 昔、遊郭だった三丁町で、日本舞踊のお稽古を見学させてもらった。そのとき、京都からお師匠さんが来て教えていた。昔遊女が使っていたという4弦の胡弓(中国のニ胡ではなく日本式の胡弓)を見せてもらった。

 自然や伝統文化と科学の進歩や「豊かな生活」のどちらが優先課題なのだろうか? 高度成長期の“ボタンのかけまちがい”は、次の世代に過酷な暴力を突きつける。プロジェクトXを見てノスタルジーにひたっている場合ではない。

 廃墟のような豊かさの中で生活するわたしたち。かりそめの豊かさは、決して多くの人々の幸福に寄与しない。

 経済成長よりも、自由や民主主義のほうが大事だという選択があってこそ、アメリカ依存の外交も、イラクへの日本軍の派兵も
辞められるのだろう。スペインは民主主義を優先した。それでは日本はどうなのか? どうするのか?

 それは、わたしたちがどう行動するかによってくる。
 意気喪失を乗り越え、希望を捨てずに、自分たちの権利を欲求していこう。もちろん、異なる他者への圧制とならないように注意を払いながら。自分たちの中での民主主義も個人も大切にしながら。
 無理にがんばらなくてもいい。がんばらなくてもできることからやっていけばいい。
 失業や減給で自分の価値が下がったかのように思い込まされているかもしれない。けれど、ギリギリの所であきらめてはダメだ。絶望と奴隷根性に襲われたとき、自由から逃走せずに、自分の権利のためになることをすること。どれほど小さくてもいいから、やってみること。

 そこから人権も民主主義も始まる。ネオコンへの抵抗も。
 
 さあ、はじめよう。削られた権利をひとつでも取り戻そう。
 自分のためにも、世界のためにもなることだから。
 面従腹背もOK、パレーシアもOK。

 わたしは今日も明日も反対モード。あなたは?

(画像は大阪第4ビルでうずくまる人。携帯電話について雑談をすると撮影を許してくれた。)