学校のない社会 大学のない世界

学校のない社会、大学のない世界に興味・関心のある方、ともに集いましょう。大学教員によるトラックバック等はご遠慮ください。

危ない団体の見分け方

2004年09月24日 17時43分50秒 | 反ファシズム
 さる平和団体を辞めてはや2ヶ月。本当に辞めてよかったと思っています。
 というのも、辞めてから気づく「あれは、とても危なかったんだ」という点が多々あったからです。
 
 リーダー層の行動の理解のできなさ。幼児的万能感と傲慢なさま。なぜか共産党と過激派が多い(仲がよい)こと。
 最近ひさびさに閲覧し、また他の団体のサイトと比較した場合のHPの異様さ。
 暴力を肯定し崇拝するような人、明らかに反政府的な人物を講演会に呼びがちであること。
 法律も常識も科学も無視するオームにも似た無法性。
 統一教会にも似た単純で極端な善悪二元論。
 戦前の軍部とソックリの機能集団の共同体化(目的合理性なき仲間意識の強要)。
 
 
 さて、こういったカルトとかセクトのようなグループを、どこで見分ければよいのでしょうか?
 知り合いのあるアクティヴィストは「見分けるポイントなんてない」と言いました。
 わたしは「ある」と思うんです。それで、危ないグループを見分けるポイントを次に挙げます。

1.「仲間意識」または「団結」を無目的/過度に強調する。
2.身分意識の強調。リーダーはフォロアーが行えば罰せられることでも許される。時に「栄  転」する。
3.リーダーが人間不信・被害者意識にとらわれ、必要以上に攻撃的になっている。
4.誰かを「スパイ」だと根拠もなく決めつける。それが非常識・失礼との認識がない。
5.「責任がないことこそ自由」などという二重言語がひんぱんに飛び交う。
6.リーダーたちはみな一字一句同じことをしゃべる。またはチラシ等にも一字一句同じ文章が並んでいる。
7.会議やデモ等への出席を強制する。たった数度欠席したメンバーを激しく責めたてる。
8.公私混同。リーダーが自宅を事務所にしたうえ、会議や親睦会などを名目に人を呼び込むなど。たまたま自宅が事務所だった、だけではすまない。公私混同が自己目的と化す。公私混同に疑問を呈したり、抵抗をすれば悪者扱いとなる。公会堂、市民交流センターなど公の会議場を使うと、特定のメンバーだけを仲間はずしにしたり、大声を張り上げるなどの外のルールでは許されないことをしにくくなるので、大変嫌っているのだ。
9.会議の出席者、主催者などに元赤軍派、中核派など過激派セクトの人間がいる。あるいは、オウム・統一教会・山岸会などのカルト、自殺者を出したことで有名なライフ・ダイナミクスなどの自己改造セミナーに関わった(と思しき)人間がいる。
10.興奮しやすい、暴力愛好的など何らかの麻薬を愛好している(た)とみられるメンバーが
リーダーとして権限を持っていること。
11.リーダー層が細部拘泥主義になっている。ささいなことで神経質になっておおげさに騒ぎ 立てる。
12.いじめ・いやがらせなどが起こった場合、加害者を免責し被害者を責める傾向がある。
13.ウチとソトでしていいことと悪いことがまったく違う。共同体のウチとソトで共通のルールの存在を認めない。いわゆるバイデ・ノルム(二重基準)。ダブル・スタンダード(二重道  徳)。
14.内部批判者を暴力的な態度や脅しによってつぶそうとする。
15.タテの関係が強くヨコまたはナナメの関係が弱い。とりわけヨコの連絡を断とうとする。 16.批判ではなく悪口のチラシやメールが日常的に流れる。人を簡単に侮辱・罵倒する。
17.リーダーが子どもっぽい。幼児的万能感とナルシシズムに満ちている。「ここでリーダーであるかぎり何をしても許される」といった勘違いが強い。また、純粋主義・潔癖主義が推奨される。例えば、「面従腹背」とメールに書いただけで憎悪される。
18.グループ外の人間や組織(家族・友人・恋人・会社・他のNPOなど)を無視または敵視する。
19.内心の自由、良心の自由を認めない。例えば正しい歴史観を強制しようとする。イデオロ ギー注入、洗脳、またはそれに準ずるコミュニケーションへの誘導がひんぱんになされる。言  い換えれば、グループの中での自由主義と民主主義がない。
20.グループの中に退屈でだれたムードが蔓延している。共通の目的や価値観を見失い、なぜ 会議に出席したのか、あるいは休むのか自分でも分からなくなっている。ただ惰性やピア・プレッ シャーや「異心を抱いていない」言い訳のために参加するにすぎない。
21.ザミャーチンの言う「われら支配」。「組織がお前を愛さなければ誰もお前を愛さない」 というのが暗黙の脅し文句になっている。
22.気に入らないメンバーを企業のリストラと似たやり方でやめさせる。そのあと、「リストラされ たあなたは間違っている」旨のメール等を送りつける。リストラではなく相手を怖がらせること、不愉快な思いをさせること、つまりいやがらせが目的になっている。
23.特定の党派・組織の上からやってくる情報以外を遮断しようとする。党やセクト推奨以外 のサイト・本・映画・音楽・新聞・雑誌などすべてが悪か認知不可能である。
24.時代錯誤な/非現実的なイデオロギーや人づきあいの作法を抱いている。そのため急性アノミーを起こしやすい。つまり教義(ドグマ)が通じない場面になると、冷静で合理的な判断ができなくなる。身近な人に八つ当たりをしたり、その場で強者なのに弱者ぶったり、落ち着いた雰囲気の喫茶店で大声をあげるなど奇妙な言動が目立つ。
25.全員に共通するルールがない。慣習だけがある。そのため新入りはいびられやすい。何が ルールや慣習か、説明がないからだ。また、それが合理的かどうか、他の組織で通じるかどうか といった比較・検討はタブーとなっている。
26.リーダーをはじめ中心グループは自意識過剰で傲慢。時に親子ほども歳の離れたフォロアーを幼児扱いする。相手が年少者であれば家畜扱いさえする。
27.自分はよいことをしているので周囲から崇拝され親切にされた当然だと思っている。デモには人が来て当然だと思い、会社の残業や体調や家族とのつきあいなどを軽視または蔑視する。また、理解者・協力者に対して「ありがとう」「お疲れ様」などの感謝やねぎらいの言葉がない。
28.理解者・協力者を奴隷のように扱う。自分の嫌がることをフォロアーに片っ端から強制する。自分が相手に悪いことをしても「すみません」「失礼しました」などの言葉やバツの悪そうな身振りはない。
29.質問・反論・異論を否定する。ブレーン・ストーミング的な会話や議論を禁止する。そのため、状況の変化に応じた新しいアイデアをつぶしてしまう。また、組織の末端のものが気づいた情報や知恵が、ボトムアップされない。そのため、例えばデモや集会における動員戦略が洗練されない。
30.28、29により、フォロアーは受身で依存的にさせられている。また、自分の仕事が少ないので会議では手持ちぶさたになる。フォロアー側にはマンネリや士気低下が見られる。議論や報告の責任がないため自由もないのだ。
31.30により、フォロアー側は、誰かを侮辱したりいたぶったりすることによって退屈さと無力感をまぎらわせようとする。そうすると理由なきいじめや迫害がおこりやすい。半組織的ないやがらせ、脅迫、侮辱が日常化する。また、退屈さ払拭のために暴力を肯定する作家を講演会に呼んだりもする。

ランダムにあげるとざっとこんなものだろうか。

反システム運動

 結局、こういう団体は反システム運動だから、世の中の片隅に小さく存在できるにすぎない。
 当然、孤立しやすく、理解者や協力者を得られにくい。教義を生真面目に信じていればいるほど、またグループの外の人や団体との接触が少なければ少ないほど、教義のウソを知ったときの混乱も大きい。
 
共同体主義者の害毒 
 例えば、共同体を無条件に善だとみなす。これは日本共産党系の共同体主義者が典型だ。
 しかし共同体は近代市民社会とは違って、男尊女卑・年功序列といった身分差別は当たり前だ。
また、人権や自由恋愛もない。選択や自己決定や実存もない。個人とか自立とか自律といった概念もないのだ。
 時に残酷で理不尽な慣習が法を超え人権を超えて行われるのも共同体の特徴である。
 それらの面を検討せずに「共同体はすばらしい!」と思い込み、その教義を信じない他人をサタンのように扱う。あるいは無知ゆえと見下し同情し、洗脳しようとする。単線的な進歩主義と「自分はステージが高い」という自意識過剰が思考停止と押しつけがましさに拍車をかける。異様に観念的で具象性がなく思いやりもない人たちなので、時にイデオロギー注入は暴力や脅し、侮辱と」罵倒を伴う。上品で繊細な人物は、暴力をふるうぞという言葉や雰囲気による脅し、初対面で面と向かって罵倒するといった方法だけで自信を失い、相手のいいなりになってしまう。(これはソルジェニーテインが「収容所群島」で報告している収容所の看守の新入り囚人への行いとその結果と酷似している。)
 そもそもデモ団体はボランテイアのための機能集団であって、共同体ではない。仕事仲間と同時にプライベートでも友達である必要はない。また、イヤだと思う人とは事務的な連絡、必要最小限の共通の行動をするだけでよい。自宅を事務所にして相性の悪い人を家に招いたり、自分がそれを選択したにも関わらず無責任にも被害者ぶるなどは愚の骨頂である。

第二の波と第三の波の錯誤 
 
 トフラーも「第三の波」で言うように、今は少品種大量生産の時代ではない。多品種少量生産の時代だ。
 第三の波(情報革命。ネットワーク革命。)の時代に、みなが同じときに同じ事を同じようにおこない、同じように考えることはありえない。にもかかわらず、18歳以上の社会人の組織であるにもかかわらず、それを欲求する。はじめからムリだと分かっているスケジュールを押し付けてこなせと事前に何の相談も調整もなく押し付けてもダメである。現場は上の机上の計画の唐突さや無謀さにあきれるほかない。しかも「異心(謀反を思う心)」があると分かればリストラかリンチである。そこで従ううちにヤル気が失せないほうがおかしいではないか! にもかかわらずメンバーの「自己責任」を声高に叫び、「ヤル気がないのはロクでもない!」と人を罵る。影で悪口を流す。
 
仲間意識というムリ

ここまで書けば読者の大半は意味が分かったかもしれない。
今時の平和デモには職業・年齢・国籍など多彩な人たちが個人的に集まる。そこで「一体感」や「仲間意識」を訴えても逆効果なのだ。「まったく仲間意識もない。一体感もない人たちが、なぜかいっしょに歩いている」というのがアピール・ポイントなのだ。それなのにリーダーは、さかしまな動員戦略をしかけている。これではデモ動員数が減るものムリはない。
 そもそも個人主義的な人間ほど強制される仲間意識、ピア・プレッシャーを嫌うものだ。世の中には集団や仲間意識を好く人もいれば嫌う人もいる。そんな当たり前のこともリーダーには理解できないらしい。鈍感で視野狭窄なのだ。
 高遠さんたちが捕まったときに動員数がピークに達したのは、活動家の努力だけではない。日本政府・外務省のデタラメな対応に、普段はデモなどどうでもいい人たちもデモにかけつけた。つまり、敵失なのだ。
 それを見誤り、「市民の力で何でもできる」とハイになった。いや、一時そう思うのはムリもない。しかし、2、3ヶ月もすれば冷静さを取り戻して「自分たちの力だけではなかった」と反省すべきだった。「何でもアメリカ流」がイヤならなおさら、謙遜の美徳を示すべきだった。
(2004/11/2趣旨を変えない程度に訂正しました。)