ヴィデオ・ニュースの丸劇トーク・オン・デマンドで、ペットボトルの話をやっていた。http://videonews.jp/
なんでも、ペットボトルは紙容器・ガラス瓶・アルミ缶・スチール缶などと比して、環境負荷が大きいという。
ゲストの安井さんによれば、リサイクルのイメージのあるペットボトル。だが実際には、電化製品のパッケージや一部の卵のパックに使われるだけだという。
さらに、コンビニなどで売っているペットボトル飲料は、水なら0円、お茶なら1円。あとは流通、容器、リサイクルコストなどの集合だ、と神保さんは語る。
これは説得力があった。なんだか高いなあと漠然と思っていたがたった0円や1円のものにいちいち百数十円も払っていたなんて、ビックリした。
キャップに雑菌が繁殖するというのもビックリした。(よく日常的に、真夏でも飲んでいたなあ。
)
最近ではガラスではなくステンレス製の魔法瓶が各メーカーから出されていると神保さんのコメントを聞き、希望が出る構成だった。
さっそく、近所の西友でステンレス製魔法瓶を手にいれた。少し手間がかかるけれど、ペット容器よりも水筒のほうがエコロジーかつエコノミーだ。中身もさめにくい。外出先はもちろんのこと、家の中でも一度入れたお茶を水筒に保存しておくと、冷めにくいため便利だと気づいた。
中には「これだけペット飲料が増えれば、お茶を水筒に入れると選択の幅が小さくなる」と嘆く人もいる。
しかしそれは間違いだ。むしろ無限に選択の幅が広がる。
というのは、自分でお茶を入れるとき、お茶っ葉の銘柄、種類、お茶の濃度、温度などを自在に調整できるからだ。多品種少量生産も手作りにはかなわない。自分でお茶を入れれば、世界にたったひとつしかない自分のお茶ができるのだ!
水筒を持ち歩いて友人や同僚と「今日は静岡産の緑茶」「わたしのは今日はラベンンダーと紅茶を半々にミックスしたやつ」「ウチはハトムギ茶」といった風に中身を教えあえば、会話もはずむ。互いにおすそ分けをすれば、一日に何種類ものお茶が味わえる。そして、お茶から相手の体質や趣味や人柄を知ることができる。コンビニでできあいのお茶を買うのでは、こうはいかない。
文明批評家のイバン・イリイチ風に言えば、ペットボトルは他律的。水筒は自律共生的(コンヴィヴィアル)な道具だと言える。
水筒でお茶を持ち歩くことは、環境にやさしいとか、安上がりだというだけではない。宮台さんが主張していた「デイズニーランド・デニーズ的なアメニティ」と「地域商店街的アメニティ」の
バランスをとる行為でもあるのだ。自分(たち)で自分(たち)の運命を左右する力があると、日常生活を通じて確認できることは、絶望ゆえのテロや犯罪・ファシズムを防ぐ防波堤にもなる。ひとりひとりの存在価値を信じる土壌は、自ら作るしかない。
番組の最後のほうで、三人で「水筒をオシャレなものとして流行らせよう。テレビドラマで有名なタレントにやってもらったらいい。そうだ、韓国に頼もう!」といった話になって盛り上がった。本当に、そうしてもらいたい。
(10/1、記事の趣旨を変えない程度に修正しました。)
なんでも、ペットボトルは紙容器・ガラス瓶・アルミ缶・スチール缶などと比して、環境負荷が大きいという。
ゲストの安井さんによれば、リサイクルのイメージのあるペットボトル。だが実際には、電化製品のパッケージや一部の卵のパックに使われるだけだという。
さらに、コンビニなどで売っているペットボトル飲料は、水なら0円、お茶なら1円。あとは流通、容器、リサイクルコストなどの集合だ、と神保さんは語る。
これは説得力があった。なんだか高いなあと漠然と思っていたがたった0円や1円のものにいちいち百数十円も払っていたなんて、ビックリした。
キャップに雑菌が繁殖するというのもビックリした。(よく日常的に、真夏でも飲んでいたなあ。
)
最近ではガラスではなくステンレス製の魔法瓶が各メーカーから出されていると神保さんのコメントを聞き、希望が出る構成だった。
さっそく、近所の西友でステンレス製魔法瓶を手にいれた。少し手間がかかるけれど、ペット容器よりも水筒のほうがエコロジーかつエコノミーだ。中身もさめにくい。外出先はもちろんのこと、家の中でも一度入れたお茶を水筒に保存しておくと、冷めにくいため便利だと気づいた。
中には「これだけペット飲料が増えれば、お茶を水筒に入れると選択の幅が小さくなる」と嘆く人もいる。
しかしそれは間違いだ。むしろ無限に選択の幅が広がる。
というのは、自分でお茶を入れるとき、お茶っ葉の銘柄、種類、お茶の濃度、温度などを自在に調整できるからだ。多品種少量生産も手作りにはかなわない。自分でお茶を入れれば、世界にたったひとつしかない自分のお茶ができるのだ!
水筒を持ち歩いて友人や同僚と「今日は静岡産の緑茶」「わたしのは今日はラベンンダーと紅茶を半々にミックスしたやつ」「ウチはハトムギ茶」といった風に中身を教えあえば、会話もはずむ。互いにおすそ分けをすれば、一日に何種類ものお茶が味わえる。そして、お茶から相手の体質や趣味や人柄を知ることができる。コンビニでできあいのお茶を買うのでは、こうはいかない。
文明批評家のイバン・イリイチ風に言えば、ペットボトルは他律的。水筒は自律共生的(コンヴィヴィアル)な道具だと言える。
水筒でお茶を持ち歩くことは、環境にやさしいとか、安上がりだというだけではない。宮台さんが主張していた「デイズニーランド・デニーズ的なアメニティ」と「地域商店街的アメニティ」の
バランスをとる行為でもあるのだ。自分(たち)で自分(たち)の運命を左右する力があると、日常生活を通じて確認できることは、絶望ゆえのテロや犯罪・ファシズムを防ぐ防波堤にもなる。ひとりひとりの存在価値を信じる土壌は、自ら作るしかない。
番組の最後のほうで、三人で「水筒をオシャレなものとして流行らせよう。テレビドラマで有名なタレントにやってもらったらいい。そうだ、韓国に頼もう!」といった話になって盛り上がった。本当に、そうしてもらいたい。
(10/1、記事の趣旨を変えない程度に修正しました。)
分別して捨てるだけで、なんとなく環境に協力していた気がしていた自分に赤面です。
トラックバックさせていただきました。
よろしくお願いします。