SLファンの人たちにとっては憎き敵のような存在のDD51。
しかしながら、昭和40年後半に小学中学年から鉄道写真に参入した電関人にとって、
全国どこでも会えたまさしくD51的存在でした。
したがって、DD51に対する愛着は相当なものです。
大学1年の秋休みに、東京から鐡友と寝台特急出雲に乗って山陰旅行した際に
米子で出会った1シーン。
当時すでに貴重になりかけていたDD51のファーストロットである41号機と50号機が
揃って米子駅構内で一休みしていました。
ファーストロットは、手すりにも余計なものが無く、スッキリとした感じが好きでした。
1981年秋 米子駅
しかしながら、昭和40年後半に小学中学年から鉄道写真に参入した電関人にとって、
全国どこでも会えたまさしくD51的存在でした。
したがって、DD51に対する愛着は相当なものです。
大学1年の秋休みに、東京から鐡友と寝台特急出雲に乗って山陰旅行した際に
米子で出会った1シーン。
当時すでに貴重になりかけていたDD51のファーストロットである41号機と50号機が
揃って米子駅構内で一休みしていました。
ファーストロットは、手すりにも余計なものが無く、スッキリとした感じが好きでした。
1981年秋 米子駅