よく通った水城駅博多よりのカーブ。
17号機撮影と同じ日で、とうとう雨が降り出してしまいました。
沿線のお宅で親切にも車庫で雨宿りをさせていただきました。
柵が無い線路端に砂利道、割烹着を着たおばさんが夕餉の買い物へ出かける・・・
なんだか正しい昭和の日常。その脇をED72が牽く貨物列車が通過して行きました。
罐は9号機でした。
1976年4月 鹿児島本線 水城~白木原にて
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よく通った水城駅博多よりのカーブ。
17号機撮影と同じ日で、とうとう雨が降り出してしまいました。
沿線のお宅で親切にも車庫で雨宿りをさせていただきました。
柵が無い線路端に砂利道、割烹着を着たおばさんが夕餉の買い物へ出かける・・・
なんだか正しい昭和の日常。その脇をED72が牽く貨物列車が通過して行きました。
罐は9号機でした。
1976年4月 鹿児島本線 水城~白木原にて
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近くにいらした写真家である井上孝治先生の
影響が多少あるのかもしれません。
私の写真の師匠です。
もっとたくさん撮っておけばと思う反省ばかりです。
機材が濡れるし結構億劫になりますしね。
ローカル線ならともかく、大幹線の脇にこんな砂利道が残っていたんですね。
中学生?!にして右を入れた感性は立派です。
砂利道を歩くおばちゃん、シートの冠ったクルマ、木造住宅群…。
見れば見るほど味わい深い写真です。
今思うと、枕木でできた線路脇の柵とか
もっと写真に撮っておけばよかったと思いますが、
当時そんなこと考えられんかったですね。
現在の住まいは、お察しの通り。
でももう少し手前ですね。(笑)
昔見た映画のシーンの様で時代を感じます。
武蔵野線荒川や京浜東北線周辺のブログを多く
拝見しますが、狂電関人さんは浦和エリヤにお住まいのようですね。
間違ったら御免なさい。プライバシーの事もあるので
これに付いてのリコメントはノーでも構いません。