それは電関人自身の記憶ではなく、親友であるVCBトリップ君の写真を通してのもの。
最晩年、火災に遭う前の追分機関区扇形庫に居並ぶD51や9600型機関車の写真。
彼がどうしても真冬の北海道に写真を撮りに行きたいという信念から遥々福岡から10代前半に渡道し、
そこで出会った懐浪漫人さんとの3人の長い鉄友歴は今日に至る。
その追分の地に今回の旅で初めて立った。
そこにはD51320号機が手厚く保存されており、その庫外展示が見れる日。
美しく磨き上げられた同機の輝きは、現役復活している498号機のそれを凌駕しているようにも見えた。
ロッドも数年前のペンキ塗りから磨き上げに戻され傾いた秋の陽光に渋く輝いている。
その追分も、今は町名を安平に改められたがここに追分機関区が存在した確たる証を39年経て記録した。
2014年9月 安平町鉄道資料館
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諸問題で大揺れに揺れていなければ是非JR北海道さんかせめてJR貨物北海道支社さん辺りに一肌脱いで貰って現役復帰させたいカマです。
(しかしカマは復活できても…牽かせるべき客車はどうしましょうね?スハ45・スハフ44は最早動かせそうなものが残っていないでしょうしオハ62なども同様でそれ以前に板張り背もたれじゃ今時の一般客は嫌がりそうです…12・14・50系あたりも既に改造タネ車が先ず残っていませんし、キハ車改造したり或いは新規に張りぼて作ったら今度は「ドテツ」が文句垂れますし…)(^^);
現地で国鉄OBの方々の熱のこもった当時の談話を
伺いながら嘗め回すように320号機を撮影させていただきました。
願わくば有火状態で見てみたいものですね。
320号機は残念ながら出会っていません。
追分機関区の火災焼失では241号機や形式入りの39679も亡くなってしまい、本当に残念でした。
鉄博に保存されているD51241と39679(形式無し)のプレートは火災の痕跡が残っていて、痛々しい限りです。
320号機、復活して常紋を走る姿を見てみたいですね。
遅レスで失礼します。
本文にも書いた通り、ある意味現在の電関人があるのも、
大昔の北海道での親友の出会いから端を発しており、
そういう意味において、ここ追分は記念の地なのです。
そこに保存されている320号機がいつの日か本線を走ることを
夢見たいものですね。。。
構内入換は翌年3/3でしたか。
39679と79602号機が向かい合わせでささやかなセレモニーが有りました。
D51320号機は見るたびに現役チックになっています。
しかし、国鉄OBの方々も高齢化で保存整備の技術継承問題を抱えています。
こんな平成の世に蒸機が撮れるとは思いませんでしたが、
現役を北の大地で撮れなかった電関人としてはうれしいです。
が、C62も見たかった。。。