もとなりくんの「今週の政治 ‘とんでも’」

日本の経済、安保危機を打開する力は、国民の結束と強い政治しかない

自民党 原子力政策「今後十年で結論」のとんでも! 遅くとも今年9月の総裁選には結論を!!

2012-02-18 08:13:01 | 政治
16日の読売の電子版は次のように報じている(他社も概ね同じ)。
【自民、原子力政策先送り「向こう10年で結論」】
 自民党総合エネルギー政策特命委員会は15日、新たなエネルギー政策の中間報告を決定した。
 原子力政策のあり方について「向こう10年で結論を出す」とし、意見集約を先送りした。特命委は福島第一原子力発電所の事故を受け、昨年7月から「脱原発」の是非を議論してきたが、原発推進派と脱原発派の対立を解消できなかった。
 委員長の山本一太参院議員は記者会見で「再生可能エネルギーや、原発開発技術の動向などを見極める必要がある。先送りではない」と語ったが、エネルギー政策への姿勢が定まらない党の現状を露呈した格好だ。
特命委は、政府が新たなエネルギー基本計画をまとめる今夏をめどに最終報告をまとめる。
自民党内では、政府が1月に提出した原子力規制関連法案を巡っても足並みの乱れが生じている。新設する原子力規制庁を国家行政組織法上の「3条委員会」にするなど、政府案以上の独立性を求める声と、原発への過度の規制を懸念する声が混在しており、意見集約は難航が予想される。」

なぜ、こんな腰の引けた、わけのわからない話になるのだろうか。これでは、「ここ十年は様子見を決め込み、何もしません」と言っているに等しい。多くの人は、これがこれまで原発を推進してきた政党の言葉であることが、にわかには信じられないのではなかろうか。この報告の中には国民への謝罪も盛り込まれているらしいが、今回の重大事故を受けての方針表明ガこれでは、国民と世界を愚弄するものと言わざるを得ないだろう。これまで、原発を推進してきたのだから、そのノウハウの蓄積もあるはずなのに、なんらの突っ込みも感じられない。長く原子力を推進してきた党としての自負、意地はどうなっているのか!言葉だけの謝罪をしてもらっても、これからどうするのかを、明確にしてもらわないとなんにもならない。
この内容に関しては、少なくとも次のような疑問がわくが、自民党はこれらにどう答えるのか。
_ 原発の休転で逼迫する電力需要をどう乗り切るのか
_ 原子力がふらついては、日本のエネルギー政策が定まらない。そうすると、石炭、石油、ガスの確保、再生エネルギー開発、推進など、すべての政策、戦略が宙ぶらりんになってしまうが、それをどうするのか。
_ こんなふらついたことでは原子力の技術開発、輸出で、競合国に完全に遅れをとることになるがそれは数少なくなった日本の競争力のある分野の一つをまた失い、日本を更に衰退させることに他ならない。
原子力抜きで、地球温暖化防止のためのCO2削減にどう取り組むのか。日本は引き続き、先進国として世界を主導する責務を負っていることを忘れているのではないか。

おそらく、どの一つについてもまともな答えがないのではないか。しかし、これらはいずれも焦眉の課題であり、すべてについて十分な答えが用意されていなければならない。十年一日がごとき緩慢さで、答えを出していこうなどという怠惰な姿勢が許されるはずがない。こんな調子であれば、十年後には日本は沈没しているかもしれないのである。「十年後」ではなく、「直ちに」どうするかが明確にされる必要がある。
「国民的議論を喚起して結論を出す」(毎日16日)ということらしいが、国民が議論するのは当然としても、そのためにはしっかりした自民党の考えを国民に示す必要がある。議論の材料を容易することも、その方向も、判断も、すべて国民に丸投げするような姿勢で、責任政党と言えるのか。
「再生可能エネルギーや、原発開発技術の動向などを見極める必要がある」は全く意味不明である。再生可能エネルギーは、なにも今急に始まったことではなく、何十年も前から世界中で、そして日本でやっていることである。原発の新技術開発はメーカーで着実に行われており、現在では安全能力を飛躍的に向上させた第三世代の新型炉が普及中である。「動向を見極める」と言っても、現状をよく知れば済むことであり、いまさら見極める特別なものがあるわけではない。結局「動向を見極める」とは、政策を決めることが出来ないから、各国の後ろを付いて行きたいということでしかないのではないか。「原子力先進国」、「技術大国」と世界中に胸を張っていた姿はどうなった?!こんな、腰の引けた姿勢では、激変している世界に完全に取り残され、日本は本当に沈没してしまう。自民党は、もっと明確にそして直ちに、堂々と「原発の存続と安全対策の強化、そして長期目標としての脱原発依存」を国民、そして世界に示すべきである。これは「再生エネルギー開発、促進」と相容れないものではないので、こちらの方も重要な柱となるだろう。なぜなら、地球温暖化防止、そしてエネルギー安保の観点からすれば、当面のめざすべき目標はむしろ「脱石化燃料」ということになるだろうからである。

上記の疑問、課題に応えるためには、好むと好まざるとに関わらず、当面は原子力に依存せざるを得ないことは明らかであるだろう。ここでは、詳しいことに踏み込めないが、原発に否定的な人たちの主張に含まれている「幻想」、ないしは「虚飾」をいくつか指摘しておきたい。
その1_ 風力、地熱、太陽光などは一般にクリーンエネルギーとみなされているが、環境への負荷は小さくない。原子力が賄っている電力量をこれらで賄うためには、陸地にしても海にしても桁違いに広い用地を要するので、日本の自然環境、景観を一変させるような工事になるだろう。生態系への影響は避けることが出来ないはずである。地熱はしばらくすると熱水の水脈が切れるので、土地の陥没や地下水系の変化をもたらすことになるだろう。あちこちに井戸が掘られ、熱水を輸送する配管が、山中を長く広く引き回されることになる。
その2_ よく知られているように、現在の技術では、再生可能エネルギーで原子力分を補うとすれば、相当な費用が必要になる。巨額の補助金を注ぎ込んで再生エネルギー先進国となったドイツですら、その比率を50%までにするには、まだ20-40年は必要なのである。本当に再生可能エネルギーで必要分を賄うとすれば、膨大な金を注ぎ込まなければならない。財政が逼迫して、いつギリシャのようになるかもしれない日本にそこまでの金はないだろう。
その3_ 日本の技術力を駆使して「再生・クリーンエネルギーの開発・推進」を行えば、経済の活性化になると同時に、輸出で国を潤すことが出来るとのバラ色の話しがあるが、国内経済の活性化はともかく、輸出については言われているほどのものではないだろう。というのは、これらの技術はもともと高付加価値のものでないから、やろうとすればどの国でも比較的容易に取り組むことが出来るからである。確かに、「高品質」、「高効率」は謳い文句ではあるが、再生エネルギー分野では、これらは結局、コストの問題にしか結び付かないから、人件費、原材料、土地などを安価に供給できる発展途上国との競争に勝ち抜くことは容易ではないのである。
その4_ 福島の事故後、国内外の原子力をめぐる情勢は大きく変わったようにみえるが、よくみてみると、その基本的動向はほとんど変わっていないことがわかる。変わったのは、ドイツ、イタリアなどの一部の国のみである。アメリカはつい先ごろ、34年ぶりに2基の原発の建設の許可を出した。アメリカではまだ多くの原発計画がある。フランスでは大統領選がらみで議論はされているものの、それゆえ選挙結果によって多少の変動はあるかもしれないが、原発依存を変えることなど出来るはずもない。ロシア、中国、韓国、インド…など多くの国において、原発を推進する方向には何の変化もない。ふらふらしているのは日本だけである。
その5_ <今回の福島原発事故は人災である。「原子力が制御不可能」なのではなく、政治が「科学・技術行政を制御できていない」ということではないか。>
菅前首相は福島の原発事故を受けて、「原子力技術は人間が律することが出来ない」という主旨の‘とんでも’発言をした。何を根拠にこんなことが言えるのだろうか。人間は巨大ジャンボ機、宇宙船、原子力艦船、超高速鉄道などなど、いかに難しそうに見えるものでも、安全な技術にまで高めてきているではないか。これは、菅前首相の科学・技術に対する無理解、個人的な不信、恐怖心の表明でしかないだろう。科学・技術でやっていこうという国の首相の発言としては、あまりにも情けない、お粗末な発言である。菅前首相は、「俺は原子力に詳しい」と豪語してみたり、何年もかけてようやくこぎつけたベトナムへの原子力輸出契約がまとまると、あたかも自分の成果であるかのごとく胸を張ったりしていたのだから、落差は大きい。原発の安全は、「安全優先」への真摯な科学・技術的アプローチによって、初めて実現されるものであるのに、彼はこの科学・技術の基本を理解することなく、原子力技術を内閣支持率の浮揚の具にまで貶めたのである。要は、このようないい加減な政治こそが安全を壊すし、このような政治のもとでは、科学・技術立国というようなことは、夢のまた夢でしかないということである。
厳しい言い方にはなるが、今回の原発事故は天災ではなく、また原子力技術そのものの難しさによるものでもなく、いわば人災であったと言わざるを得ないものだろう。というのは、原子炉とは直接的な関係がない二次冷却水系統(海水冷却系)の電源喪失という、百年も前から存在する従来型の機器、システムの計画に不備があったということが直接的な原因であったからである。それは、海水系機器の防潮対策、外部電源の供給システムの多重化、非常用電源の多重化といった古典的技術での対策で対応できたものである。地震予測、津波予測でも予測できていたことが、対策に反映されていなかったという問題もある。これらは技術の問題というより、当該政府機関、東電、研究機関の安全に対する取り組み意識の問題、安全基準の問題であり、いわば行政の問題である。「原子力は律することの出来ない技術」なのではなく、「律する組織、人」を「律していなかった」ということであるだろう。もし、「千年に一度の地震?(マグニチュード9程度の地震はここ百年でも5回程度は起きている)」、「予想をはるかに超えた事態」などというわけのわからないものを今回の事故の原因としてしまえば、確かに「原子力は律することが出来ない」と言うことになってしまうが、これは事故の原因をうやむやにし、批判をかわすための問題摩り替えでしかない。こんなすべてを曖昧と混沌の中に葬ろうとする姿勢こそが、安全を損ない、事故を招くのではないか。
いま日本に必要なことは、このような人災を二度と発生させぬように、原発先進国、国際機関と連携しつつ、徹底的な原因解明と、安全基準の見直し、行政システムを安全が確保されるように改革し、安全な原発の確立に向けて、世界を主導することであるだろう。こういう点では、フランスのサルコジ大統領はさすがと言わざるを得ない。彼は事故が発生するやいなや日本に飛んできて、支援を約束すると同時に、今後のより安全な原子力活用に向けての連帯を訴えたのであり、これこそが科学・技術立国を標榜する国の指導者、世界に貢献する国の指導者のあり方であるだろう。
その6_ なお、今回の事故原因とは直接の関係はないが、福島の事故炉は、古い第一世代の炉であって、それがために事故の拡大を食い止められなかった側面があった。しかし、現在の第三世代の炉では安全性が飛躍的に向上しているのであって、このことはしっかり確認されるべきことだろう。
その7_ これから発展途上国にどんどんエネルギーが必要となり、それを賄うには原子力が主たるものにならざるを得ない。そこでは、高度な技術協力の必要性と、大きなビジネスチャンスが生れるのであるが、日本のようにふらふらして技術に確信を持てない国、やるのかやらぬのかわからぬ政策をとっている国に、技術協力を依頼したり、原発を発注する国はないだろう。危なっかしくて、そのような気になれないのは当然のことである。結局、国際協力の面でも経済の面でも、日本は今のままではどんどん新興国にその地位を奪われることになるのである。

さて、今回の自民党の対応に戻って考えてみるに、自民党はもっと、技術的観点、戦略的観点を入れて党内議論を尽くし、責任政党として、しっかりした根拠に基づいた政策を打ち出すべきである。国会では野田内閣を批判、追及して、「内閣不信任、総選挙、政権奪還」を盛んに唱えているが、原子力政策のように自民党としては比較的決めやすい問題においても党内議論が分裂し、なんの結論も出せないのでは、とても政権に復帰など出来ないし、またもしできたとしても、何も出来ず、何にもならないだろう。政権に復帰しようとするのであれば、少なくとも総裁選が行われる今年9月に向けて、侃々諤々の党内議論を行い、新総裁が決まった時点では、確固とした政策が決まっているようにすべきである。自民党内の良識派、改革派の奮起に期待したい。

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