本日、広島高等裁判所で、被告人に対し死刑判決が言い渡されました。
最高裁判所が、広島高裁での無期懲役判決に対し、破棄差し戻しを求めた事件でした。この件は、注目すべきことがいくつかありました。
① 母子に対する残忍な殺害状況と、
② 犯行当時、犯人の年齢が、法律上、死刑を科することのできる18才になって30日だったこと、
③ 公判での、被告人の弁解の不可解さ、など。
私が、事案に携わっていない弁護士として、評価をするのはどうかと思います。しかし、社会人として冷静に知る限りの事実を分析すると、この案件が、死刑判決でなくて何が社会正義なのだろう、と思います。
最近の世の中、人命軽視の傾向があります。
戦後まもなく、最高裁判所が、「人の命は地球より重い」といった名言は、どこに飛んでしまったのでしょう。
人の命は、生物的な心臓の鼓動だけでなく、人としての、数十年にわたって歩んできた歴史そのものであり、家族を含めた社会そのものです。
人の命を奪う、ということは、他人の人生を奪うことであり、社会を奪うということなのです。
他人を殺害した人が、死刑という極刑に処せられたとしても、本来的には、当たり前のことでしょう。
今回、母子二人を殺害したのであれば、遺族の立場からは、犯人を2回、死刑執行してもなお、憎しみは消えるものではありません。
一般に、刑事学者は、教育刑という観点から、死刑は、教育刑になじまないので、死刑そのものを廃止すべきだ、との議論を展開しています。
でも、その刑事学者の家族が、全員見殺しにされたとしても、学者としてなおかつ死刑廃止論を主張できるのでしょうか。
法律は、社会の常識をふまえて制定されるべきですし、その解釈も適用も、社会常識を前提にすべきでしょう。
最高裁判所が、広島高裁での無期懲役判決に対し、破棄差し戻しを求めた事件でした。この件は、注目すべきことがいくつかありました。
① 母子に対する残忍な殺害状況と、
② 犯行当時、犯人の年齢が、法律上、死刑を科することのできる18才になって30日だったこと、
③ 公判での、被告人の弁解の不可解さ、など。
私が、事案に携わっていない弁護士として、評価をするのはどうかと思います。しかし、社会人として冷静に知る限りの事実を分析すると、この案件が、死刑判決でなくて何が社会正義なのだろう、と思います。
最近の世の中、人命軽視の傾向があります。
戦後まもなく、最高裁判所が、「人の命は地球より重い」といった名言は、どこに飛んでしまったのでしょう。
人の命は、生物的な心臓の鼓動だけでなく、人としての、数十年にわたって歩んできた歴史そのものであり、家族を含めた社会そのものです。
人の命を奪う、ということは、他人の人生を奪うことであり、社会を奪うということなのです。
他人を殺害した人が、死刑という極刑に処せられたとしても、本来的には、当たり前のことでしょう。
今回、母子二人を殺害したのであれば、遺族の立場からは、犯人を2回、死刑執行してもなお、憎しみは消えるものではありません。
一般に、刑事学者は、教育刑という観点から、死刑は、教育刑になじまないので、死刑そのものを廃止すべきだ、との議論を展開しています。
でも、その刑事学者の家族が、全員見殺しにされたとしても、学者としてなおかつ死刑廃止論を主張できるのでしょうか。
法律は、社会の常識をふまえて制定されるべきですし、その解釈も適用も、社会常識を前提にすべきでしょう。
しかしその当たり前のことすらわかっていない人達が
同業におられる事に対しては、いかがお考えでしょうか?
蛇足ですが
『人の命は地球より思い』→『重い』だと思います。
通りすがりでのコメント失礼致しました。
この犯人だけは許せない、と思っていました。その上、ドラえもんの話や「お母さんだと思って・・・」という話が突然出てきて、本当に吐き気がしました。
よくぞ書いてくださいました!
●冤罪?
冤罪を言うなら、すべての刑罰を停止しろということになる。
●死刑廃止は世界の趨勢?
外国がそうなら日本もそうするんですか?
外国が戦争したら、日本も戦争するのですか?
結局死刑廃止論者は言葉遊びをしているだけで、幼稚なこじつけを主張している危険思想者です
みなさん、先導されないよう気をつけてください。
昨今の死刑論者による議論の展開に釈然としないものを感じておりましたが
自分が思っていることが代弁されている気がしてすっきりしました。
川原さんのような聡明な弁護士さんがいらっしゃるのはとても心強いです。
これからも社会の正義を貫いてくださることを真に願います。
死刑判決出る人なんて、ほとんど2人以上の人間を無為に殺してる人ばかりだ
もうすこし、死刑判決の判例勉強してからでなおしてこい
家族がどんなにどんなに泣いても死んだ人は生き返りません
親の責任は認めないばかりか、「罪を憎んで人を憎まず」などと遺族を批判する始末。
被告が親と同じような性格だとしたら、反省・更生など期待できない。極刑は当然と思う。無茶な弁護を展開する弁護団は、言語道断である。