重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





2009年8月9日、楽山原告と支援者たちは、「8・9長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」に参加しました。





集会で発言する楊追奔さん



集会で発言する李本澤さん



献花に向かう楊追奔さんと三角さん(重慶大爆撃被害者と連帯する会)



長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑の前に立つ李本澤さん(左)と楊追奔さん(右)



中国人原爆被害者追悼碑と楊追奔さん



中国人原爆被害者追悼碑に黙祷をする楽山原告と支援者たち



追悼碑裏にある犠牲者の名前

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