重慶大爆撃
重慶大爆撃被害者の謝罪と賠償を求める闘い
 

はじめに 〜「重慶大爆撃とは?」  

 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。
 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。





10月5日(月)、第11回重慶大爆撃裁判が開かれました。
午前9時から中国の重慶・楽山・成都から来日した原告ら18名が、
東京地裁前で爆撃の被害を訴え、裁判の傍聴を呼びかけました。




重慶市の爆撃被害者、弁護士、支援者ら



地裁前で傍聴の呼びかけチラシを配る楽山市の原告・周志鵬さん



自らの爆撃被害について話す楽山市の原告・楊銘佳さん



爆撃によって父と次兄が亡くなったことを話す楽山市の原告・周志鵬さん



第四次提訴の原告・廬賢柏さん(重慶市)は、爆撃によって父を亡くした

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