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旅・花..雑多に
*ゲール語の「ファダ」文字は
 A^a^O^o^U^u^E^e^I^i^,で代用
     

モード・ゴン

2007-12-01 17:22:00 | ゲール語あれこれ
モード・ゴンMaud Gonne(1865-1953) は
アイルランドが生んだノーベル賞詩人W.B.イェイツが
数回求婚した美しく強い女性である。その面影を持つ
彼女の娘にも求婚するが断られている。彼の愛の詩の
大半は彼女への想いであった。1889年イェイツ23歳の
時に初めて彼女に会う。彼女はすでにアイルランド
独立運動に情熱を燃やしていた頃である。イェイツ
自身が言っている「私の生涯の悩みは始まったのだ
All the trouble of my life began」と。
モードはイギリス上流階級に生まれ、その際立つ美貌
で社交界の花形になるが、やがてアイルランドの窮状
を知りイギリス政府の圧政に憤り、その激しい気性で
敢然と立ち向かい闘い「アイルランドのジャンヌ・
ダルク」と讃えられた。ダブリン、パリ、ロンドンを
往復し、アメリカへ渡り、運動の資金集め、言論活動、
デモ行進に参加し、と献身的に尽くした。イギリスで
投獄もされた。彼女は祖先はアイルランド人であると
好んで言っていたというがそれは定かでない。
1897年パリで月刊誌「自由アイルランド」を発行、
1900年アイルランド初の女性による組織「アイルランド
の娘たちInghinidhe na hE^ireannイニーナヘーラン」
(Inghinidhe:現代ゲール語ではIni^nachaイニーナハ
ini^onイニーン娘(複)、na:~の、
hE^ireann:(E^ireエーラアイルランド)の、
を結成した。女性の権利を守ること、独立のために女性
も運動するということを目標としたが、先ずゲール語、
自国の歴史、文学、伝統音楽などの講座を開いた。
イェイツはじめ多くの詩人、作家、学者たちは協力を
惜しまなかった。
イェイツの詩劇「キャスリーンニーフーリハン」で主役
を演じ女優としても大絶賛された。正式に結婚したジョン
・マクブライドは1916年のイースター蜂起で処刑された。
イェイツに多大な影響を与えた女性、グレゴリー夫人は
生涯敬慕の対象であったが、モード・ゴンは生涯恋した
女性であった。モードは自叙伝にイェイツとの「友情」
は心の支えであったと記している
→W.B.イェイツ、グレゴリー夫人、P.ピアスの家、
 キャスリーン・ニ・フーリハン

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